発音記号



わたしのダブリン時代はゲール語の辞書に発音記号はありませんでした。ネットではあるようですが、本屋に発音記号のある辞書をおいていませんでした。友達に理由を聞きましたら、言語は共同体に属するから、直にゲール語を喋るひとたちから言葉の読み方を教わるべきだということでした。しかし私が思うに、もしかして、これはあまりに、アンチ大英帝国イデオロギーではなかろうかとおもっています。ところで発音記号はほんとうに必要でしょうか?結構難しいですね、これは。何か英語に侵入されると危惧されることがないように願ってますが、大袈裟に考えるのではなく、時々役に立つ発音記号に慣れるために、ひらがなにもひとつひとつ発音記号を示したらどうでしょうか?ローマ字を勉強するようにですね。そういう試みがあってもいいと思います。外国の方にわたしたちの会話はどう響くのだろうかとおもったりしませんか?と、こう考えた子供も発音記号の知識を以って日本語の特徴もよく理解できます。漢字文化圏のアジアのどの言葉もそれぞれ心地よい響きがありますが、それはなぜだろうかという理解も発音記号の知識が一定程度役立ててくれるかもしれません。発音記号が便利とは限りません。こういうことも知るためにも発音記号を勉強するのは無駄ではないだろうとおもいます。


たかが発音記号、されど発音記号。ブルバキのことばかりいわれるけれど、音声学を知らずして記号学構造主義を理解できない。そこから誰も彼も記号学構造主義に行く必要がなく一人でいいのだ、と、音声学の大家が憂いているとその娘が話してくれた。学生時代にきいた話だったが、その意味はなんだろうかとはっきりとわかっていない。今日ならば、ポスト構造主義とポストコロニアリニズムから<帝国の構造>へ行くのはひとりで十分だ‬ということになるのかしら