属性と本質

ドゥルーズの前に、ドゥルーズのように、共通概念から、属性と本質を混同せずに考えていく読み方でスピノザを読み解いたものはいなかったとおもうのだけれど、ドゥルーズにおいてこのように初めて言われたことを恰もバロック時代に遡る過去から言われてきたとするのが言説的なやり方。20世紀はこれで十分だった。ところで、当たり前といえば当たり前なのだけれど、形而上学はヨーロッパに属しているが、部分ではなかった。他者との関係によって自己との関係を絶えず再構成していくという問題意識は普遍的にある。ロンドン時代に近所の本屋さんで手にいれたユダヤ哲学を初心者向けに解説した本を読んでいたら、本質と属性の区別をめぐる思弁的なもの論争がイスラム思想史にあったということをあらためて知った。もちろん20世紀に属性と本質について言われていることを中世思想に向かって直に直線を引くことはできないけれど。だけれど、イスラムからかんがえてみようとするというか、いやいや、(絶対的に知識がわたしに欠けているから)正直かんがえるふりでしかないかもしれないが、21世紀においてイスラムから問題提供されてきた近代の問題をかんがえるところから避けることができない視点というか‬...