漢字

‪大活躍のトゥランドット姫。写真は、舞台のスクリーンで映し出される舞台裏の姫の姿‬。ちょっと本音が出るネット発信のくつろいだ雰囲気を思わせる。やはり大切な場面だとわたしはおもっている。自由に振舞っているようにみえて、隅から隅まで皇帝の姫を演じなければならない。勝手に、二つのことを考えた。人は疲れるときに自らの限界に直面するが、そこではじめて有限性を哲学するようになる。不完全ゆえに人間だけが哲学できる(わたしはいかに考えることができるのか?わたしはなにを望んでいるのか?)と、トゥランドット姫は哲学をもつことによって、無誤謬性を演じているだけの無限の力が宿る皇帝の世界を、もしかしたら別の見方をもってとらえなおす視点が成り立つかもしれない。もう一つは、この漢字が書かれている衣装は何を意味するのだろうか?台詞で説明されていたが、これとは別に、長い歴史の間アジアの人びとが住処としてきた漢字が存在している意味について考えた。戦争を導いた天皇ファシズムの祭祀国家をやめた憲法のこと、敗戦後の誓いのことを思った。他ならない、ここに依拠していく究極的な主体は、この1500年間の漢字を不可避の他者とするアジアと共存していく、また今現在言論の自由を尊重した政治的多元主義へ行くことが要請されている