東浩紀氏の「多文化共生の国際社会」の言説

‪ ‬‪‪「神」に言及するのは中立の立場から両者を説得するためのただのレトリックですか?レトリックならば絡むべきではないでしょうが、しかしですよ、なんか引っかかるんですね。「神々の闘争」というロジックとしても、黙って「なるほど」と頷くこともできません。あなたの、そしてこのわたしの立ち位置はどこですか?多文化共生の国際社会」の言説は、it sounds good で、現代語訳の古典文学からもそういう見方を聞きます。文句もありません。しかし...「多文化共生の国際社会」の言説は、安易に「日本の神」をいうことによって、かえって、「多文化共生の国際社会」とは全く反対の国のあり方を現実化してしまう危険だってありますよ、きっと。 ‪ ‪

‪「韓国には韓国の歴史があり韓国の神がいる。日本に日本の神がいるように。異なった神=歴史を信じている以上、不毛な対話もあるだろう。けれども人類はその不毛さを乗り越え、多文化共生の国際社会を作りあげてきたのだ。東アジアでもその可能性を諦めてはならない。」(東浩紀)‬