漢字論の言説

ロンドンでWittgensteinをヴィトゲンシュタインと読むと、ウィトゲンシュタインのことだとわからない人もいる。伝記を読んで映画を見ているんだけどね。単に彼のドイツ文化圏の背景を知らないだけでなくて、何となく知りたくない場合もあったのじゃないだろうか。反大陸的な文化ナショナリズムはイギリスの問題だけではない。これと比べてみようとおもうのが、近代日本の問題である。言語(ランガージュ)は「不可避の他者」なのに、反言語(反漢字)の言説は言語化できぬこだわりの対象を漢字から奪われるという感じで、何となくそう感じるのか。でもそうなのかな?漢文の裏側に見つけ出した言語化できぬものを追っかけてもらっても、裏側も表と同じだったという可能性もある。カフカ『城』みたいなこと。戸口でそれがみえる外部の場所もある。漢字論の言説は思考を鍛えてくれる