フーコカフェーポストモダン的表象について

 

不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙をささえる<と>を崩壊させてしまう。ーフーコ『言葉と物』序(渡辺一民訳)
L’absurde ruine le et de l’énumération en frappant d’impossibilité le en où se répartiraient les choses énumères.ーFoucault 
Absurdity destroys the and of the enumeration by making impossible the in where the things enumerated would be divided up. ーFoucault

No.1 フーコは何を問うたか

No.2 フーコは何を問うたか

No.3フーコは何を問うたか

フーコを読み解くキーワードは表象です。例えば貨幣は富の表象であると言われます。渡辺一民の説明をひきましょう。
表象représentationは、本質的に両義的な語であり、代名動詞=représenterに対応するものとして用いられるか、他動詞に対応するものとして用いられるかによって、意味を異にする。
1、代名動詞=représenterは、何ももかを意識内に「思い描く」の意味であり、この場合「表象」とは、「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指す。観念、心像などが「表象」と呼ばれるのは、この意味においてである。
2、他動詞représenterはさまざまな訳語がつけられるが、その中心にあるのは他の物の「かわりになる」という観念にほかならない、画家が実物を、記号が観念を、貨幣が富を、représenterするといえば「あらわす」の意であるし、交換においてある商品が他の商品をreprésenterするといえば「あらわす」の意であるし、「等価物として置換される」の意であり、特徴(カラクテール)が生物をreprésenterするといえば、生物も名としてその生物全体を「代表する」の意であるが、いずれの場合にも「代替」の観念が含まれているのに注意されたい。名詞representationは、動詞のこの意味あいに応じて、「かわりになる桃」、「かわりになること」、「物とその代替ものとの関係」などを指すわけである。

No.4フーコは何を問うたのか

ポストモダン孔子」とは何か説明してくれという声があるようなので、「ポストモダン孔子」のコンセントを提唱した子安宣邦氏の伊藤仁斎について書いた研究を知っていただくのが一番良いかと思います。子安氏もフーコ『言葉と物』を読みました。仁斎は朱子学脱構築した古学を打ち立てました。No.4で「表象」représentationについて簡単ですが説明しましたので、仁斎の場合は何を表象したのか考えます。市井の学者仁斎は道とは路であると語りましたが、道は人々の往来によって表象されたのですね。また仁斎の「路」は朱子のテクストに書かれてあった「道」字から表象されているものでもあるわけですね。仁斎が新しかったのは、「表象」による思考をはじめたことです。

「仁斎学講義』が出版されたときの子安氏の言葉を紹介します。

『仁斎学講義』が刊行されました。この書は仁斎の主著『語孟字義』の解読からなるものです。『語孟字義』とは、仁斎が「論語孟子」という思想的血脈によって「天」や「道」や「理」や「徳」などの諸概念を根底的に読み直し、朱子学的思弁体系から解放し、「人倫の学」的概念として再構成していった書です。それはわれわれの天地観、人間観を導き出そうとするラジカルな思想的転換作業です。17世紀日本でなされた仁斎古義学という大きな思想作業の実際を、読者諸兄姉がこの書によって直ちに体験してくださることを切に願っております。

伊藤仁斎がいう「生生一元的世界」とはなにか?

以下は、「仁斎学講義」からの引用です。

仁斎は、宇宙論的な始源を前提にした朱子形而上学的な宇宙観に、運動一元論的な宇宙観を対置した。それを仁斎は「天地の間は一元気のみ」といったのである。天地間にあるのは、一陰一陽というように対をなして展開される一つの運動体的(一元気的)世界であって、陰陽の二契機からなる二元的な世界ではない。天地を一つの運動体として見る仁斎の宇宙観は、生生一元的宇宙観としても表現される。生とは仁斎にあって死をともなって、生死・終始・静動・善悪などといった対概念を構成する一方の契機ではない。生生とは運動体としての天地の根本的な規定である。天地とは一元気であり、それは生生的だということである。 ー p.65、天地は生生して已まず、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第一講「天道」)

「命」字に実字と虚字があるという仁斎は、その語学的な指摘によって朱子における流行的天と主宰的天との同一化を批判する。「天命之謂性(天の命ずる、これを性と謂う)」という「中庸」のテーゼによって朱子は天道の流行による万物化生の過程をいい、同時にそれは天理の万物の性における必然的な分有の過程であることをいうのである。この朱子の解釈的な言説にあって、天は天理として宇宙生成論的な体系のなかに内在していく。天は宇宙生成(流行)論的言語をもって語られていくとともに、その天は天理としてその体系に内在し、天命の性をめぐる性理学的言語をも可能にしていくのである。天は決してこの宇宙論的体系の外に、それを語る言語体系の外に、語りえない超越性をもって存在するわけではない。天が理として宇宙論的言語体系に内在していくところでは、人は天に直面することもないし、仰ぎ見ることもない。仁斎は天に直面するのである。人生の上に天命としてある帰結をもたらす天に仁斎は直面するのである。孔子もまた天に直面していた。「罪を天に得れば禱るところなし」といい、「噫、天予れを滅ぼせり」と嘆き、「我を知るものは其れ天か」という孔子はあきらかに天を仰ぎ見ていた。仁斎はこの孔子の天を再発見しているのである。この再発見は、朱子宇宙論的な言語のなかにある天を、そこから引き離すことによってである。「語孟字義」の「天命」章で仁斎がしているのは、この天の朱子学的言語体系からの引き離し作業である。 ここで確認しておきたいのは、仁斎の倫理思想とは仰ぎ見る天をもった思想だということである。仁斎の思想も言語も、天への究極的な信に立ったものだということである。彼は決してこれを直接に語ることはない。「論語」からの孔子の立場を読み出すことを通してしか仁斎は語らない。 ー p.91、天に直面する仁斎、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第二講「天道」)

No.5フーコは何を問うたのか

フーコは『言葉と物』における冒頭の書き出しの多くの問題提起を最後まで貫いているでしょうか。わたしは貫いていると思います。西欧絵画史の外部性を思想史に介入させたのです。しかし多くのフーコ研究者は第9章、第10章を読むときはヴェラスケスの絵画を思い浮かべることはありません。どうしてでしょうか?

「画家は顔を心もちまわし、頭を肩のほうに傾げて見つめている。目に見えぬ一点を凝視しているのだ。けれどもわれわれ鑑賞者には、それが何か容易に指摘することができる。そも一点こそ、われわれ自身、われわれの身体であり、われわれの顔であり、われわれの眼であるからだ。彼の観察している光景は、だから二重の意味で見えないのである。つまりそれは、絵の空間のなかに表象されていないからであり、またそれは、正確にはあの死角、見つめているときわれわれの視線がわれわれ自身に隠されてしまう、あの本質的な隠れ場に位置しているからである。だが、われわれの目の前にあるこのような不可視なものを、どうしてわれわれは見ないですますことができるだろうか。絵そのものの中に感覚に訴えるその等価物、封印されたその形象があるというのに(『言葉と物』p.28)

Le peintre regards, le visage légèrment tourné et la tête penchée vets l’epaule. I’ll fixe un point invisible, mais que nous, les spectateurs, nous pouvons aisément assigner puisque ce point, c’est nous-même; notre corps, notre visage, nos yeux. Le spectacle qu’il observe est don’t deux fois invisible: puisqu’il n’est pas représenté dans l’espace du tableau, et puisqu’il se situe précisément en ce point aveugle, en cette cache essentialle où se dérobe pour nous-mêmes notre regard au moment où nous regardon. Et pourtant , cette invisibilité , comment pourrions -nous éviter de la voir , là sous nos yeux, puisqu’elle a dans le tableau lui-même son sensible équivalent,sa  figure scellée?

https://youtu.be/7FBZodA4rQc

 

No.6フーコは何を問うたのか

このような無関心に匹敵するものとしては、鏡のそれがあるばかりだと認めなければなるまい。事実鏡は、それと同じ空間にあるものは何も、それに画家を向けている画家も、部屋の真ん中にいる人物達も、何一つ映してはいない。それがその明るい深みに映しているのは、目に見えるものではない。オランダ絵画では、鏡が二重化の役割を果たすという伝統がある。つまり鏡は、絵の中にひとたび与えられたものを、変様され、縮小され、たわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。こうして鏡のなかに、絵の第一審の場におけるとおなじものが、別の法則にしたがって分解され再合成されたかたちで見出されることになる。だが、ここでは、かがみはすでに語られたことについては何も語ってはいない。でもその位置はほとんど真ん中にある。つまり、鏡の上の縁は正確に絵の高さをニ分割する線と重なりあっており、しかも背景の壁の中央の位置うぃ占めている。だから鏡は、絵そのものと同じパースペクティブを示す線によってつらぬかれているのに違いない。だれしも、おなじアトリエ、おなじ画家、おなじ画布が、鏡のなかの同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全な模像となるはずなのである。
とはいえ、この鏡は、絵そのものが表象するどのようなものも見せてはくれない。その不動の視線は、絵の手前、その外部にある正面を形づくる、とうぜん目には見えぬあの領域に、配置されている人物をとらえようとするのである。つまりこの鏡は、目に見える対象のまわりをまわるかわりに、そこで補足しうるものを無視して表象の場全体を横切り、あらゆる視線の外にあるものに対して可視性を回復させてやるのだ。
(フーコ第一章侍女たち)

Dans la peinture hollandaise,
I’ll était de tradition que les mirrors jouent in rôle de redoublement : ils répétaient ce qui était donné une première fois dans le tableau, mais à l’intérieur d’un espace irréal, modifié, rétréci,recourbé. On y voyait la même chose que dans la primière instance du tableau, mais décomposée et recomposée Selina une auger loi. 
Ici le mirror me fit rien de ce qui a été deja dit. Sa position pourtant est à peu près central: son bird supérieur est exactment sur ligne qui partage en deux la hauteur du tableau, I’ll occupe sur le mur du fond une position médiane; Il devrait donc être traversé par les même lignes perspective que le tableau lui-même; on pourrait s’attendre qu’il même atelier, un même peintre, une même toile se disposer en lui seldom espace indentique; Il pourrait être le double parfait.
Or, Il ne fair rien voir de ce que le tableau lui-même représente. Son regard immobile va saisir au-deviant du tableau, dans cette région nécessairement invisible qui en form la face extériure, les personages qui y don’t disposés. Au lieu de tourner autour des objets visible,  ce mirror traverse tout le champ de la représentation , négligeant ce qu’il pourrait y captor, et restitute la visibilité à ce qui demeure hors de tout regard. 
Foucault 

・No.5では、絵は絵の中で鑑賞者の存在を表象しなかった。ここでは鏡が鑑賞者のひとりであるモデルの王を表象する。王を可視化する。

下はピカソのスケッチ

No.7フーコは何を問うたのか

アメリカ人研究者は徳川日本という言い方をする。徳川日本とか明治日本と言えばいいのに、どの時代も日本と呼んでしまうのは貧しいかもしれない。「天命」と「孝」と「敬」と「物哀」が徳川日本の言説空間に書かれる。「人民」(福沢諭吉)と精神主義」(清澤満之)と「「天命の自由と人義の自由」(中江兆民)と「東洋の理想」(岡倉天心)が明治日本の言説空間に書かれる。

<混在なもの>は不安をあたえずにはおかない。むろん、それがひそかに言語(ランガージュ)を掘りくずし、これ<と>あれを名づけることを防げ、共通の名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。断っておくが、「統辞法」というのは、たんに文を構成する統辞法のことばかりではないー語と物とを「ともにささえる」(ならべ向き合わせる)、それほど明確ではない統辞法をも含んでいる。(フーコ) 

Les hétérotopies inquiètent, sans doubt parce qu'elles minent secrètement le language, parce qu'elle empêchent de nommer ceci et cela, parce qu'elles brisent les noms communs ou les enchevêtrent, parce qu'elles ruinent d'avance la <syntaxe>, et pas seulement celle qui construit les phrases, ー celle moins manifeste qui fait < tenir ensemble> ( à côté et en face les uns des autres) les mots et les choses.  ー Foucault

Heterotopias are disturbing , probably because they secretly undermine language, because they make it impossible to name this and that, because they shatter or tangle common names, because they destroy’syntax’ in advance, and not only the syntax with which we construct sentences but also that less apparent syntax which causes words and things( next to and also opposite one another) ー Foucault

No.8フーコカフェ

絵は右端のところで、寸のつまったパースペクティブにしたがって表象されている窓から、光を受けている。見えるのはほとんどその窪みだけだ。だからその窪みが大きくひろげているその光の流れは、交叉しているとはいえ、ひとつには還元しえぬ二つの隣りあった空間を、おなじような豊かさをもって同時にうるおすのである。画布の表面とそれが表象している立体的空間(すなわち画家のアトリエ、あるいは彼が画架をおいたサロン)、そしてそこ表面よりも手前の、鑑賞者の占めている現実の立体的空間(あるいはモデルのいる非現実の座)をだ。そうして右手から左へとわたりながら、金色の幅広い光は、鑑賞者を画家の方へ、モデルを画布のほうへ同時に押し流していく。画家を照らしながら彼を鑑賞者に見えるようにするのも、モデルの像が移されて閉じこまれる謎の画面の枠を、モデルの眼におびただしい金色の線として輝かせるのも、またその光なのである。端にあり、かろうじて指示されぬに過ぎぬ、部分的にしか見えないこの窓は、表象にとって、共通の場所として役立っている。分断されることなく二重働く明るさを解き放つわけだ。それは絵のもう一方も端の、目に見えぬ画面と釣りあっている。その画面は、鑑賞者に背を向けながら、自らを形象してくれる絵にたいして折り重なり、支えてくれる絵の表面に自らの可視的な裏側を重ね合わせて、<イメージ>のなかの<イメージ>の煌めく、われわれが近づきえぬ場所を形づくる。それとおなじように、純粋な光ともいえる窓は画布の空間が隠されているのとおなじ程度に明るい、画布の空間が孤立している(誰も、画家さえもそれを見ないのだから)のと同じ程度に画家、描かれた人物たち、モデル、鑑賞者に共通する、ひとつの空間を創り出しているのである。フーコ

A l’extrême droit, le tableau reçoit sa lumière d’une fenêtre représentér demon unr perspective très courte; on n’en voit guère que l’embrasure.;soi bien air le flux de lumière qu’elle répand largement baigne à la fois, d’une même générosité, deux espaces cousins, entrecroisés, mais irréductibles: la surface de la toile, avec le volume qu’elle représente(c’est-à-dire l’ateiller du peintre, où le salon dans lequel I’ll a installé son chevant) , et en avant- de cette surface le volume réel qu’occupe le spectateur(où encore le site iréel du modèle).
Et parcourant la pièce de droit à gauche , la vast lumière dorée emporte à la fois le spectateur Vera le peintre , et le modèle vers la toile; c’est elle aussi qui en éclairant le peintre, le rend visible au spectateur et fair briller come autant de lignes d’or aux yeux du modèle le cadre de la toile énigmatique où son image , transportér, va de trouser enclose. Cette fenêtre extrême, partielle, à peine indiqée, libère un jour entier et mixte qui sert de lieu commun à la représentation.
Elle équilibre , à l’autre bout du tableau, la toile invisible: tout comme cell-ci , en tournant le dois aux spectateurs, se replie contre le tableau qui représente et form, par la superposition de son envers visible sur la surface du tableau porteur , le lieu, pour nous inaccessible, òu scintille l’Image par excellence, de la même la fenêtre , pure ouverture , instaure un espaceaussi manifests que l’autre est celé: ainsi commun au peintre, aux personages, aux modèles, aux spectateurs, que l’autre est solitaire (car nil ne le regatde, pas même le peintre).

・『ラス・メニーナス』はピカソによって再構成されている。幾つもの作品がある。ピカソは仮面に大きな関心をもっていて、『ラス・メニーナス』は仮面だったのではないかとする説があるほどだ。仮面は外部の敵から受ける損傷に対して、共同体が住処とする身体をまもっている。

下はピカソのスケッチ

No.9フーコカフェ

‪「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語(ランガージュ)についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見いだしたあの古典主義時代の<言説(デイスクール)>が消えたとき、こうして考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。従順な至上のもの、見られる鑑賞者としての人間は、『侍女たち』があらかじめ指定しておいたとはいえ、長いことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所に姿を見せるのだ。それはあたかもベラスケスの総全体がそのほうを向いているのにもかかわらず、その絵が鏡の偶然によってちょうど無断侵入とでもいったように反映しているのにすぎぬ、あの空虚な空間のなかで、これまでそれぞれの交替とか絡みあいとか散光といったことが推測されきたあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」‬
‪フーコ『言葉と物』第九章 人間とその分身3
(渡辺一民訳)

Lorsque l’histoires naturelle devient biologie, lorsque l’analyse does richesses devient économie, lorsque surtout la réflexion sur le languge se fair philosophie et que s’efface ce discours classique où l’êtte et la représentatition trouvaient leur  lieu commun, alors,
dans le mouvement profond d’une telle mutation archéologique, l’homme apparait avec sa position ambigué d’objet pour un savior et de sujet qui connait: souverain soumis, spectateur regardé, is surgit là, en cette place du Roi, que lui assignaient par avance les Ménines, mais d’ou longtemps sa présance réelle fut exclude. 
Comme si, en cet espace vacant vers lequel était tourné tout le tableau de Vélasquez,, mais qui’il be reflétait poutant que par le hazard d’un miroir et comme par refraction, touted les figures don’t on soupçonnait l’alternance, l’exclusion réciproque, l’ entrelacs et le papillotement ( le modèle, le peintre, le roi, le spectateur) cessaient tout à coup leur imperceptible danse, se figeaient en une  air travel en figure plein, et exigeaient  que fût enfin rapporté à in regard de chair tout l’espace de la représentation.
Foucault 

・『言葉と物』は、『侍女たち』からフーコは書かなければいけなかった必然がありました。表象とは何かを考えるためです。人間は有限な自己を認識しなければいけません。表象と有限性の相互作用を考えるために、『侍女たち』から書き始めることが大切でした

・モデルであった王の位置に、先験ー経験二重体である人間がたつ。人間は鑑賞者たちから登場するが、その鑑賞者たちの姿は見えない。人間はどこにいるのか?人間とはわれわれ自身のことなのだ。フーコは巧みに書いている。

・画布は襞における運動として捉えられているのですが、これはバロック音楽的というか、秩序を探る暗闇の世界の底にある魂の底部を、自由な肉体のリズムすなわちあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)の知覚しえぬ舞踏」と共に、成立させていました。しかしここで、
「あらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」

・このフランス語のフーコ『言葉と物』の表象デザインは、あえて画家よ画布を取り除くように枠が再構成されている

 

 

No.10 フーコカフェ

しかし、絵の奥から場面の前景へもう一度降りて来なければならない。螺旋状にまわってきた絵の外縁に別れを告げなければいけない。左手にある、ずれて中心といったものを構成する画家の視線から出発して認められるのは、まず画布の裏側、ついで真ん中に鏡のあるの壁にかかった絵、それから開いた戸口、極端に斜めの角度から見るため厚みのある額縁しか見えない別のいくつかの絵、そして最後に窓、というよりは
むしろ光がそこから溢れて出てくる窪みである。こうした渦巻き状貝殻を象る一巡は、表象関係全体のサイクルを示してくれるわけだ。すなわち、視線、パレットと画筆、記号(シーニュ)で汚されていない画布(これらは表象の物質的道具である)、幾つものの絵、反映、実在する男(ここで表象関係は完成されるのだが、それは、錯覚を起こさせるものにせよ、まことのものにせよ、その男ち並べられる表象の諸内容から解放されたかのようである)、というように。ついで表象関係はほどけてしまう。そこに見えるものはもはやいくつもこ額縁とその光にすぎない。その光は外部からいくつもの絵を浸し、それがあたかもよそから絵の暗い木製の額縁を超えてきたかのように、それらの絵によって絵の固有の形相として再構成されなければならない。そして光は、事実この絵の全体の中で、額縁の隙間から湧き出してくるように見えるのである。そして、片手にパレット、もう一方の手に細い画筆をもった画家の額、頬骨、眼、視線と、光は再びつながっていく...。このようにこの螺旋状が閉ざされる。というよりむしろ、この光によってそれは開かれるもだ。(渡辺訳)

・均衡から不均衡へ、不均衡から均衡へと螺旋状に運動する視線の運動を表象する

Et cette lumière, on la voir en effet sur le tableau qui semble soudre dans l’interstice du cadre; et de là elle rejoint le front, les pommetés, les trad, le regard du peintre qui tient d’une main la palette, de l’autre le fin pinceau…Ainsi se ferme la volute. ou plutôt , par cette lumière, elle s’ouvre. 

 

No.11フーコカフェーポストモダン的表象

いま開かれたのは、もはや画面の奥におけるように引きあけられた扉ではない。絵の幅そのものである。そしてそこを過ぎる視線は彼方の訪問者のものではない。絵の前景と中景を占める一帯はー画家まで含めるとすればー八人の人物を表象している。彼らのうち五人は、頭をおおかれすくなけれ傾げ、振り向き、またかがみ、絵に対して垂直の方向を見つめている。この一群の中心を占めるのが、灰色と薔薇色のゆったりとした衣裳をつけた小さな姫君である。王女は顔を絵の右の方に回しているが、彼女の上半身と衣裳の大きな襞は心もち左側に流れている。けれども視線はしっかりと、絵の正面にいる鑑賞者の方向に向けられる。フーコ

Cette ouverture, ce n’est plus comme dans le fond, une porte qu’on a tireé; c’est la largeur même du tableau, et les regards qui y passent ne sont pas d’un visiteur lointain. La frise qui occupe le primiere et le second plan du tableau représente, ーsi on y comprend le peinture ーhuit personages. Cinq d’entre eux, la tête plus ou moins inclinée, tournée ou penchée, regardent à la perpendiculaire du tableau. Le centre du groups est occupé par la petite infante, avec son ample robe grise et rose. La princesse tourne la tête vers la droit du tableau, alors son buste et les grands volants de la robe fuient fuient légèrement vers la gauche; mais le grande se dirige bien d’aplomb dans la direction du spectateur qui se trouve en face du tableau. 

 

・視線を表象している絵

No.12フーコカフェ

「画家の視線、パレット、休止した手から、描きあげられたいくつもの絵まで、アトリエの周囲をまわる大きな螺旋運動の中で、表象関係が生まれ、完成され、再び光の中に解消する。こうしてサイクルが完成される。それにたいして、絵の奥行きをよこぎるいく本もの線は不完全なまま止まる。それらすべてに、行路の一部が欠けているからだ。このような欠落は王の不在ーその不在こそ画家の詭計であるのだがーのせいであろう。しかしこの詭計は、一個の直接的空位、絵を見つめ、あるいは制作するときの、画家と鑑賞者の空位を、覆い隠すと共に指示するものにほかならない。それはおそらく、この絵のなかでも、この絵がいわばその本質を明らかにしているあらゆる表象関係におけると同様、見えているものの底知れぬ不可能性がー鏡や反映や模倣や肖像にもかかわらずー見る人の不可能性と固くむすびあっているということであろう。なるほど、場面の周りには表象関係の多くの記号(シーニュ)とその継起する諸形態が分配されてはいる。けれどもそのモデル、その至上なる君主にたいする、表象の二重の関係というもものは、かならず断ち切れているのだ。たとえそれ自身を光景として示されるような表象のうちにあってさえも、そのような関係があますところなく現前することは決してあり得ない。場面を横切り、虚構のうえでそれと()ち、それらの手前に投射する奥行きのなかで、表象する巨匠と表象される君主とを、まことに幸運にもイメージがあまねく光のなかに差し出しことなど、決して可能ではないのである。

おそらくこのベラスケスの絵のなかには、古典主義時代における表象関係の表象のようなもも、そしてそうした表象の開く空間の定義があると言えるだろう。事実その表象hs、そのあらゆる要素において、すなわち、そのイメージ、それが身を晒している視線、それが目に見えるものとしている香り、それを生み出している動作と共に、自己をこの絵のなかで表象しようと企てているのだ。だがそこでは、表象がその全体を結集すると共に展覧する、こうした分散状態のなかで、至るところから厳然としてひとつの本質的な空白が指し示される。その空白こそ、表象を基礎づけるものの消滅ー表象がそれに類似する者と、その眼には表象が類似物に過ぎぬところの者との、必然的な消滅にほかならない。この主体そのものーそれは同じひとつのものであるーが省かれているのだ。そして自分を鎖で繋いでいたあの関係からついに自由となって、表象は純粋な表象関係として示されることができるわけである。

・鑑賞者のは映すことに無関心な鏡を眺めている。奇妙なことに、鏡は部屋の中に置かれているのに、部屋の中を映さず、部屋の外にいる人々を映している鏡。これは窓か。しかし窓は殆ど描かれていない。窪みから溢れる光だけだ。

・鑑賞者のわれわれは画布の前で、その裏側と鏡を見て部屋全体を描く画家を見ている。自己と類似しているもの全てが空白に消滅している。この自由で純粋な表象を嘲笑う者はだれか?

No.13フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀末までの西欧文化においては、類似というものが知を構築する八鍬を演じてきた。テクストの釈義や解釈の大半を方向づけていたのも類似なら、象徴の働きを組織化し、目に見える物、目に見えぬ物の認識を可能にし、それらを表象する技術の指針となっていたのもやはり類似である。世界はそれ自身のまわり巻きついていた。大地は空を写し、人の顔が星に反映し、 草はその茎のなかに人間に役立つ秘密を宿していた。絵画は空間の模倣であった。そして表象はー祝祭であるにせよ知であるにせよーつねに何かものかの模写にほかならなかった。人生の劇場、あるいは世界に鏡であること、それがあらゆる言語(ランガージュ)の資格であり、言語(ランガージュ)が自らの身分を告げ、語る権利を定式化する際のやり方だったのである。ー第二章世界の散文、フーコ『言葉と物』

No.16フーコカフェー ポストモダン的表象

『ドンキ・ホーテ』は、ルネサンスセカンドの陰画(ネガティヴ)を描いている。書かれたものは、もはやそのまま世界という散文ではない。類似と記号(シーニュ)とのあのね古い和合は改称下。相似は人を欺き、幻覚や錯乱に変わっていく。物は頑固にその皮肉な同一性を守り続ける。それらはもはや、それらがあるところのものでしかない。語は、自らを満たすべき内容も類似も失ってあてどもなくさまよい、もはや物の標識となることもなく、書物のページの間で塵にまみれて眠るのである。かつて、記号(シーニュ)の下の密かにな類似関係えお明らかにすることによって世界の解読を可能性にしたい魔術は、今や清浄な働きを失い、類比がなぜいつも人を欺くかを説明することにしか役立たない。自然と書物とをひとつづきのテクストとして買い得した博識は、いまでは妄想としてしりぞけられr。書物の黄ばんだページのうえに打ちすてられた言語記号(シーニュ・デユ・ランガージュ)には、もはやそれらが表象しているつまらぬ作り話だけの値打ちしかない。書かれたものと物とは、互いにもう似ていない。ドンキ・ホーテは、この二つのもののあいだをあてどなくさまよいつづけるのだ。
とはいえ、言語(ランガージュ)が全く無力になったわけではない。以降、それはあらたな固有の力を帯びるのである。小説の第二部で、ドンキ・ホーテは、その第一部を読んだ人物に出会い、この人物は現実的の人間であるドンキ・ホーテを本の主人公として認知する。セルバンテイスのテクストは、それ自身のうえに折り重なり、自らの厚みのうちに食い込み、自らにとって自らの物語の対象となるかわけだ。ドンキ・ホーテの冒険の第一部は、第二部において、最初騎士物語が引き受けていた役割を演じるものである。ドンキ・ホーテは、自分が本当にそれとなってしまったままこの書物に忠実でなければいけない。誤りや偽作や間違った続編空この書物を守って抜き、抜けていた細部を追加し、書物の真実性を維持しなけれどばならない。だけれどドンキ・ホーテは実際は、この書物を読んだわけでもなく、また読む必要がない。彼の肉体そのものがこの書物だからだ。書物を読みすぎたため世界を彷徨う記号(シーニュ)と化し、世界から見忘れられていたドンキ・ホーテは、いまやおのれの意に反して、それと知らずに一冊の書物と化したのである。この書物は彼の真実を保持し、そのなし、語り、見、考えたすべてのことを正確に拾いあげる。消すことの出来ぬ航路のように背後に残してきたそれらの記号(シーニュ)に、彼はそれほど酷似してあるいるのだ。小説の第一部と第二部のあいだ、その二巻の間隙で、書物のみの力によってドンキ・ホーテはは水かの現実に到達した。言語(ランガージュ)のみからきて、まったく言葉の内部に止まっている現実ぬ。ドンキ・ホーテに真実は、語と世界との関係のうちにではなく、言葉という標識が互いのあいだに張り巡らすこの厚みのない恒常的関係のうちにあるのだ。幻滅に終わる英雄話の作りごとは、言語(ランガージュ)の表象能力と化した。語はいま、その記号(シーニュ)としての性質にもとづいて再び閉ざされるのである。

第3章表象すること、フーコ『言葉と物』

・フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」Indéfiniment il la parcourt, sans franchir jamais les frontières nettes de la différence, ni rejoindre le cœur de l'identité. Or, il est lui-même à la ressemblance des signes. 
尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する」という。昔のひとはうまいことをいうものだ

・「私は明治の末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語を連想する。」(尾崎行雄)明治の末から昭和の敗戦に至るまでを書いた日本ドン・キホーテ物語のアジア侵略の後半は、アジアから西欧列強を解放する前半に忠実にしたがわなければいけなかった。アジアから西欧列強を解放するホンモノでなければいけなかったかた、インチキの日中戦争を日本ドン・キホーテ物語の書物から消した。米国との戦争がホンモノだったから、戦後の日本人は太平洋戦争に先行した10年の戦争を自覚してはいない

No.17フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀における秘教的学問は、書かれたものにかかわる現象であり、話された言葉にかかわる現象ではない。いずれにせよ、話された言葉はその力を奪われているのであって、ヴィジュネールとデュレによれば、それが言語(ランガージュ)の女性的部分、いわばその受動的理性にすぎず、<書かれたもの>こそ、言語(ランガージュ)の能動的理性、「男性的原理」なのである。<書かれたもの>のみが真理を保有しているのだ。
 <書かれたもの>のこうした優越性こそ、16世紀において、表面対立するにもかかわらず切り離しえない、双子のような対をなす二つの形態の共存を説明してくれる。そのひとつは、見られるものと読まれるもの、観察されたものと人づてに伝えられたものとが区別されず、その結果、視線と言語(ランガージュ)とが無限に交錯する唯一の滑らかな連続面が構成されていたことであり、もう一つは逆に、どのような言語(ランガージュ)もただちに分裂し、はてしなくむしかえされる注釈によって二重化されていったことである。(フーコ「言葉と物」渡辺一民訳)

L'ésotérism au XVI siècle est un phènomène d'écriture, non de parole. En tout cas, celle-ci est dépouillée de ses pouvoirs; elle n'est, disent Vigenère et Duret, que la part female du language, comme son intellect passif; l'Ecriture elle, c'est l'intellect agent, le <principle male> du language. Elle seul détient la vérite.
Cette primauté de l'écrit explique la presence jumelle de deux forms qui sont indissociables dans le savoir du  XVI siècle. malgré leur opposition apparente. Il s'agit d'abord de la non=-distinction entre ce qu'on voit et ce qu'on lit, entre l'observé et le rapport, donc de la constitution d'une nappe unique et lisse où
le regard et le language s'entrecroisent à l'infini;et il s'agit aussi, à l'inverse, de de la dissociation immediate de tout language que dédouble, sans jamais aucun terme assignable, le ressassement du commentaire. ー Foucault

 

No.18フーコカフェー ポストモダン的表象

・わたしの母はドンキホーテ的で、全く知らない人をずっと知っていたかのように対しますし、息子のわたしをいつまでも他人に思うのですね。馬鹿と言ってしまえばそれっきりですが、どうしてそういうことが起きるかといえば、類似にもとづく同一性の知とフーコが呼んだものと関係したことが起きているのでしょう。ドンキホーテ的な母とかトンチンカンな上司は困りますが、ドンキホーテは天才です。わたしが一番尊敬する芸術家かもしれません。類似性が埋もれていて気がつかれることがなかったのに、全く関係のない時代の思想と思想を前提として結びつけることができるからです。未来を思い出すこと、これは復古主義の精神の本質かもしれません。
フーコはすこし難しいかもしれませんが、ヨーロッパの知について非常におもしろいことえお考えるのですね。人間は表象の知ー類似にもとづく同一性の知ーのなかにあってその内部に存在していましたが、記号の体制が優位となって結局表象の解体が起きたときに、言語と言語の端に近代の人間が現れたのです。言語が分散したとき人間が現れたならば言語が集中したら人間は消滅するかもしれません

 

No.?フーコカフェー ポストモダン的表象

言語(ランガージュ)が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語(ランガージュ)が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか?そしてそれが真実であるとすれば、現代の経験を、人間的なものの次元に対する言語(ランガージュ)の諸形態の応用と解釈することは誤りーそれがわれわれに対して、いま思考しなければならぬものを隠すであろうゆえに、根深い誤りとならぬであろうか?むしろ人間を思考することを放棄し、あるいはより厳密に言えば、この人間の消滅をーそしてあらゆる人間科学の可能性の地盤をーそれと言語(ランガージュ)というわれわれの関心事との相関関係において、十分思考しなければならないのではなかろうか?言語(ランガージュ)がふたたびそこにあるとすれば、かつて<言説デイスクール>の有無を言わさぬ統一性が人間性を維持していたあもおだやかな非在に、人間が立ち戻っていくであろうことを承認しなければならなくはないか?かつて人間は、言語(ランガージュ)の二つの存在様態のあいだにおける一形象にすぎなかった。というよりむしろ人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見える言語(ランガージュ)が、細分化されたかたちにおいてのみ表象ksら解消されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間に作りあげたのである。なるほど、これは断言しうることではなく、せいぜいのところ、答えることのできぬ問いにすぎまい。ただ、こうした問いを提起する可能性がたぶん未来の思考につらなっているということを知った上で 提起されたところに、こも問いを中断というかたちで残しておかなければならないであろう。

 

No.1 フーコは何を問うたか

No.2 フーコは何を問うたか

No.3フーコは何を問うたか

フーコを読み解くキーワードは表象です。例えば貨幣は富の表象であると言われます。渡辺一民の説明をひきましょう。
表象représentationは、本質的に両義的な語であり、代名動詞=représenterに対応するものとして用いられるか、他動詞に対応するものとして用いられるかによって、意味を異にする。
1、代名動詞=représenterは、何ももかを意識内に「思い描く」の意味であり、この場合「表象」とは、「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指す。観念、心像などが「表象」と呼ばれるのは、この意味においてである。
2、他動詞représenterはさまざまな訳語がつけられるが、その中心にあるのは他の物の「かわりになる」という観念にほかならない、画家が実物を、記号が観念を、貨幣が富を、représenterするといえば「あらわす」の意であるし、交換においてある商品が他の商品をreprésenterするといえば「あらわす」の意であるし、「等価物として置換される」の意であり、特徴(カラクテール)が生物をreprésenterするといえば、生物も名としてその生物全体を「代表する」の意であるが、いずれの場合にも「代替」の観念が含まれているのに注意されたい。名詞representationは、動詞のこの意味あいに応じて、「かわりになる桃」、「かわりになること」、「物とその代替ものとの関係」などを指すわけである。

No.4フーコは何を問うたのか

ポストモダン孔子」とは何か説明してくれという声があるようなので、「ポストモダン孔子」のコンセントを提唱した子安宣邦氏の伊藤仁斎について書いた研究を知っていただくのが一番良いかと思います。子安氏もフーコ『言葉と物』を読みました。仁斎は朱子学脱構築した古学を打ち立てました。No.4で「表象」représentationについて簡単ですが説明しましたので、仁斎の場合は何を表象したのか考えます。市井の学者仁斎は道とは路であると語りましたが、道は人々の往来によって表象されたのですね。また仁斎の「路」は朱子のテクストに書かれてあった「道」字から表象されているものでもあるわけですね。仁斎が新しかったのは、「表象」による思考をはじめたことです。

「仁斎学講義』が出版されたときの子安氏の言葉を紹介します。

『仁斎学講義』が刊行されました。この書は仁斎の主著『語孟字義』の解読からなるものです。『語孟字義』とは、仁斎が「論語孟子」という思想的血脈によって「天」や「道」や「理」や「徳」などの諸概念を根底的に読み直し、朱子学的思弁体系から解放し、「人倫の学」的概念として再構成していった書です。それはわれわれの天地観、人間観を導き出そうとするラジカルな思想的転換作業です。17世紀日本でなされた仁斎古義学という大きな思想作業の実際を、読者諸兄姉がこの書によって直ちに体験してくださることを切に願っております。

伊藤仁斎がいう「生生一元的世界」とはなにか?

以下は、「仁斎学講義」からの引用です。

仁斎は、宇宙論的な始源を前提にした朱子形而上学的な宇宙観に、運動一元論的な宇宙観を対置した。それを仁斎は「天地の間は一元気のみ」といったのである。天地間にあるのは、一陰一陽というように対をなして展開される一つの運動体的(一元気的)世界であって、陰陽の二契機からなる二元的な世界ではない。天地を一つの運動体として見る仁斎の宇宙観は、生生一元的宇宙観としても表現される。生とは仁斎にあって死をともなって、生死・終始・静動・善悪などといった対概念を構成する一方の契機ではない。生生とは運動体としての天地の根本的な規定である。天地とは一元気であり、それは生生的だということである。 ー p.65、天地は生生して已まず、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第一講「天道」)

「命」字に実字と虚字があるという仁斎は、その語学的な指摘によって朱子における流行的天と主宰的天との同一化を批判する。「天命之謂性(天の命ずる、これを性と謂う)」という「中庸」のテーゼによって朱子は天道の流行による万物化生の過程をいい、同時にそれは天理の万物の性における必然的な分有の過程であることをいうのである。この朱子の解釈的な言説にあって、天は天理として宇宙生成論的な体系のなかに内在していく。天は宇宙生成(流行)論的言語をもって語られていくとともに、その天は天理としてその体系に内在し、天命の性をめぐる性理学的言語をも可能にしていくのである。天は決してこの宇宙論的体系の外に、それを語る言語体系の外に、語りえない超越性をもって存在するわけではない。天が理として宇宙論的言語体系に内在していくところでは、人は天に直面することもないし、仰ぎ見ることもない。仁斎は天に直面するのである。人生の上に天命としてある帰結をもたらす天に仁斎は直面するのである。孔子もまた天に直面していた。「罪を天に得れば禱るところなし」といい、「噫、天予れを滅ぼせり」と嘆き、「我を知るものは其れ天か」という孔子はあきらかに天を仰ぎ見ていた。仁斎はこの孔子の天を再発見しているのである。この再発見は、朱子宇宙論的な言語のなかにある天を、そこから引き離すことによってである。「語孟字義」の「天命」章で仁斎がしているのは、この天の朱子学的言語体系からの引き離し作業である。 ここで確認しておきたいのは、仁斎の倫理思想とは仰ぎ見る天をもった思想だということである。仁斎の思想も言語も、天への究極的な信に立ったものだということである。彼は決してこれを直接に語ることはない。「論語」からの孔子の立場を読み出すことを通してしか仁斎は語らない。 ー p.91、天に直面する仁斎、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第二講「天道」)

No.5フーコは何を問うたのか

フーコは『言葉と物』における冒頭の書き出しの多くの問題提起を最後まで貫いているでしょうか。わたしは貫いていると思います。西欧絵画史の外部性を思想史に介入させたのです。しかし多くのフーコ研究者は第9章、第10章を読むときはヴェラスケスの絵画を思い浮かべることはありません。どうしてでしょうか?

「画家は顔を心もちまわし、頭を肩のほうに傾げて見つめている。目に見えぬ一点を凝視しているのだ。けれどもわれわれ鑑賞者には、それが何か容易に指摘することができる。そも一点こそ、われわれ自身、われわれの身体であり、われわれの顔であり、われわれの眼であるからだ。彼の観察している光景は、だから二重の意味で見えないのである。つまりそれは、絵の空間のなかに表象されていないからであり、またそれは、正確にはあの死角、見つめているときわれわれの視線がわれわれ自身に隠されてしまう、あの本質的な隠れ場に位置しているからである。だが、われわれの目の前にあるこのような不可視なものを、どうしてわれわれは見ないですますことができるだろうか。絵そのものの中に感覚に訴えるその等価物、封印されたその形象があるというのに(『言葉と物』p.28)

Le peintre regards, le visage légèrment tourné et la tête penchée vets l’epaule. I’ll fixe un point invisible, mais que nous, les spectateurs, nous pouvons aisément assigner puisque ce point, c’est nous-même; notre corps, notre visage, nos yeux. Le spectacle qu’il observe est don’t deux fois invisible: puisqu’il n’est pas représenté dans l’espace du tableau, et puisqu’il se situe précisément en ce point aveugle, en cette cache essentialle où se dérobe pour nous-mêmes notre regard au moment où nous regardon. Et pourtant , cette invisibilité , comment pourrions -nous éviter de la voir , là sous nos yeux, puisqu’elle a dans le tableau lui-même son sensible équivalent,sa  figure scellée?

https://youtu.be/7FBZodA4rQc

 

No.6フーコは何を問うたのか

このような無関心に匹敵するものとしては、鏡のそれがあるばかりだと認めなければなるまい。事実鏡は、それと同じ空間にあるものは何も、それに画家を向けている画家も、部屋の真ん中にいる人物達も、何一つ映してはいない。それがその明るい深みに映しているのは、目に見えるものではない。オランダ絵画では、鏡が二重化の役割を果たすという伝統がある。つまり鏡は、絵の中にひとたび与えられたものを、変様され、縮小され、たわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。こうして鏡のなかに、絵の第一審の場におけるとおなじものが、別の法則にしたがって分解され再合成されたかたちで見出されることになる。だが、ここでは、かがみはすでに語られたことについては何も語ってはいない。でもその位置はほとんど真ん中にある。つまり、鏡の上の縁は正確に絵の高さをニ分割する線と重なりあっており、しかも背景の壁の中央の位置うぃ占めている。だから鏡は、絵そのものと同じパースペクティブを示す線によってつらぬかれているのに違いない。だれしも、おなじアトリエ、おなじ画家、おなじ画布が、鏡のなかの同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全な模像となるはずなのである。
とはいえ、この鏡は、絵そのものが表象するどのようなものも見せてはくれない。その不動の視線は、絵の手前、その外部にある正面を形づくる、とうぜん目には見えぬあの領域に、配置されている人物をとらえようとするのである。つまりこの鏡は、目に見える対象のまわりをまわるかわりに、そこで補足しうるものを無視して表象の場全体を横切り、あらゆる視線の外にあるものに対して可視性を回復させてやるのだ。
(フーコ第一章侍女たち)

Dans la peinture hollandaise,
I’ll était de tradition que les mirrors jouent in rôle de redoublement : ils répétaient ce qui était donné une première fois dans le tableau, mais à l’intérieur d’un espace irréal, modifié, rétréci,recourbé. On y voyait la même chose que dans la primière instance du tableau, mais décomposée et recomposée Selina une auger loi. 
Ici le mirror me fit rien de ce qui a été deja dit. Sa position pourtant est à peu près central: son bird supérieur est exactment sur ligne qui partage en deux la hauteur du tableau, I’ll occupe sur le mur du fond une position médiane; Il devrait donc être traversé par les même lignes perspective que le tableau lui-même; on pourrait s’attendre qu’il même atelier, un même peintre, une même toile se disposer en lui seldom espace indentique; Il pourrait être le double parfait.
Or, Il ne fair rien voir de ce que le tableau lui-même représente. Son regard immobile va saisir au-deviant du tableau, dans cette région nécessairement invisible qui en form la face extériure, les personages qui y don’t disposés. Au lieu de tourner autour des objets visible,  ce mirror traverse tout le champ de la représentation , négligeant ce qu’il pourrait y captor, et restitute la visibilité à ce qui demeure hors de tout regard. 
Foucault 

・No.5では、絵は絵の中で鑑賞者の存在を表象しなかった。ここでは鏡が鑑賞者のひとりであるモデルの王を表象する。王を可視化する。

下はピカソのスケッチ

No.7フーコは何を問うたのか

アメリカ人研究者は徳川日本という言い方をする。徳川日本とか明治日本と言えばいいのに、どの時代も日本と呼んでしまうのは貧しいかもしれない。「天命」と「孝」と「敬」と「物哀」が徳川日本の言説空間に書かれる。「人民」(福沢諭吉)と精神主義」(清澤満之)と「「天命の自由と人義の自由」(中江兆民)と「東洋の理想」(岡倉天心)が明治日本の言説空間に書かれる。

<混在なもの>は不安をあたえずにはおかない。むろん、それがひそかに言語(ランガージュ)を掘りくずし、これ<と>あれを名づけることを防げ、共通の名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。断っておくが、「統辞法」というのは、たんに文を構成する統辞法のことばかりではないー語と物とを「ともにささえる」(ならべ向き合わせる)、それほど明確ではない統辞法をも含んでいる。(フーコ) 

Les hétérotopies inquiètent, sans doubt parce qu'elles minent secrètement le language, parce qu'elle empêchent de nommer ceci et cela, parce qu'elles brisent les noms communs ou les enchevêtrent, parce qu'elles ruinent d'avance la <syntaxe>, et pas seulement celle qui construit les phrases, ー celle moins manifeste qui fait < tenir ensemble> ( à côté et en face les uns des autres) les mots et les choses.  ー Foucault

Heterotopias are disturbing , probably because they secretly undermine language, because they make it impossible to name this and that, because they shatter or tangle common names, because they destroy’syntax’ in advance, and not only the syntax with which we construct sentences but also that less apparent syntax which causes words and things( next to and also opposite one another) ー Foucault

No.8フーコカフェ

絵は右端のところで、寸のつまったパースペクティブにしたがって表象されている窓から、光を受けている。見えるのはほとんどその窪みだけだ。だからその窪みが大きくひろげているその光の流れは、交叉しているとはいえ、ひとつには還元しえぬ二つの隣りあった空間を、おなじような豊かさをもって同時にうるおすのである。画布の表面とそれが表象している立体的空間(すなわち画家のアトリエ、あるいは彼が画架をおいたサロン)、そしてそこ表面よりも手前の、鑑賞者の占めている現実の立体的空間(あるいはモデルのいる非現実の座)をだ。そうして右手から左へとわたりながら、金色の幅広い光は、鑑賞者を画家の方へ、モデルを画布のほうへ同時に押し流していく。画家を照らしながら彼を鑑賞者に見えるようにするのも、モデルの像が移されて閉じこまれる謎の画面の枠を、モデルの眼におびただしい金色の線として輝かせるのも、またその光なのである。端にあり、かろうじて指示されぬに過ぎぬ、部分的にしか見えないこの窓は、表象にとって、共通の場所として役立っている。分断されることなく二重働く明るさを解き放つわけだ。それは絵のもう一方も端の、目に見えぬ画面と釣りあっている。その画面は、鑑賞者に背を向けながら、自らを形象してくれる絵にたいして折り重なり、支えてくれる絵の表面に自らの可視的な裏側を重ね合わせて、<イメージ>のなかの<イメージ>の煌めく、われわれが近づきえぬ場所を形づくる。それとおなじように、純粋な光ともいえる窓は画布の空間が隠されているのとおなじ程度に明るい、画布の空間が孤立している(誰も、画家さえもそれを見ないのだから)のと同じ程度に画家、描かれた人物たち、モデル、鑑賞者に共通する、ひとつの空間を創り出しているのである。フーコ

A l’extrême droit, le tableau reçoit sa lumière d’une fenêtre représentér demon unr perspective très courte; on n’en voit guère que l’embrasure.;soi bien air le flux de lumière qu’elle répand largement baigne à la fois, d’une même générosité, deux espaces cousins, entrecroisés, mais irréductibles: la surface de la toile, avec le volume qu’elle représente(c’est-à-dire l’ateiller du peintre, où le salon dans lequel I’ll a installé son chevant) , et en avant- de cette surface le volume réel qu’occupe le spectateur(où encore le site iréel du modèle).
Et parcourant la pièce de droit à gauche , la vast lumière dorée emporte à la fois le spectateur Vera le peintre , et le modèle vers la toile; c’est elle aussi qui en éclairant le peintre, le rend visible au spectateur et fair briller come autant de lignes d’or aux yeux du modèle le cadre de la toile énigmatique où son image , transportér, va de trouser enclose. Cette fenêtre extrême, partielle, à peine indiqée, libère un jour entier et mixte qui sert de lieu commun à la représentation.
Elle équilibre , à l’autre bout du tableau, la toile invisible: tout comme cell-ci , en tournant le dois aux spectateurs, se replie contre le tableau qui représente et form, par la superposition de son envers visible sur la surface du tableau porteur , le lieu, pour nous inaccessible, òu scintille l’Image par excellence, de la même la fenêtre , pure ouverture , instaure un espaceaussi manifests que l’autre est celé: ainsi commun au peintre, aux personages, aux modèles, aux spectateurs, que l’autre est solitaire (car nil ne le regatde, pas même le peintre).

・『ラス・メニーナス』はピカソによって再構成されている。幾つもの作品がある。ピカソは仮面に大きな関心をもっていて、『ラス・メニーナス』は仮面だったのではないかとする説があるほどだ。仮面は外部の敵から受ける損傷に対して、共同体が住処とする身体をまもっている。

下はピカソのスケッチ

No.9フーコカフェ

‪「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語(ランガージュ)についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見いだしたあの古典主義時代の<言説(デイスクール)>が消えたとき、こうして考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。従順な至上のもの、見られる鑑賞者としての人間は、『侍女たち』があらかじめ指定しておいたとはいえ、長いことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所に姿を見せるのだ。それはあたかもベラスケスの総全体がそのほうを向いているのにもかかわらず、その絵が鏡の偶然によってちょうど無断侵入とでもいったように反映しているのにすぎぬ、あの空虚な空間のなかで、これまでそれぞれの交替とか絡みあいとか散光といったことが推測されきたあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」‬
‪フーコ『言葉と物』第九章 人間とその分身3
(渡辺一民訳)

Lorsque l’histoires naturelle devient biologie, lorsque l’analyse does richesses devient économie, lorsque surtout la réflexion sur le languge se fair philosophie et que s’efface ce discours classique où l’êtte et la représentatition trouvaient leur  lieu commun, alors,
dans le mouvement profond d’une telle mutation archéologique, l’homme apparait avec sa position ambigué d’objet pour un savior et de sujet qui connait: souverain soumis, spectateur regardé, is surgit là, en cette place du Roi, que lui assignaient par avance les Ménines, mais d’ou longtemps sa présance réelle fut exclude. 
Comme si, en cet espace vacant vers lequel était tourné tout le tableau de Vélasquez,, mais qui’il be reflétait poutant que par le hazard d’un miroir et comme par refraction, touted les figures don’t on soupçonnait l’alternance, l’exclusion réciproque, l’ entrelacs et le papillotement ( le modèle, le peintre, le roi, le spectateur) cessaient tout à coup leur imperceptible danse, se figeaient en une  air travel en figure plein, et exigeaient  que fût enfin rapporté à in regard de chair tout l’espace de la représentation.
Foucault 

・『言葉と物』は、『侍女たち』からフーコは書かなければいけなかった必然がありました。表象とは何かを考えるためです。人間は有限な自己を認識しなければいけません。表象と有限性の相互作用を考えるために、『侍女たち』から書き始めることが大切でした

・モデルであった王の位置に、先験ー経験二重体である人間がたつ。人間は鑑賞者たちから登場するが、その鑑賞者たちの姿は見えない。人間はどこにいるのか?人間とはわれわれ自身のことなのだ。フーコは巧みに書いている。

・画布は襞における運動として捉えられているのですが、これはバロック音楽的というか、秩序を探る暗闇の世界の底にある魂の底部を、自由な肉体のリズムすなわちあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)の知覚しえぬ舞踏」と共に、成立させていました。しかしここで、
「あらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」

・このフランス語のフーコ『言葉と物』の表象デザインは、あえて画家よ画布を取り除くように枠が再構成されている

 

 

No.10 フーコカフェ

しかし、絵の奥から場面の前景へもう一度降りて来なければならない。螺旋状にまわってきた絵の外縁に別れを告げなければいけない。左手にある、ずれて中心といったものを構成する画家の視線から出発して認められるのは、まず画布の裏側、ついで真ん中に鏡のあるの壁にかかった絵、それから開いた戸口、極端に斜めの角度から見るため厚みのある額縁しか見えない別のいくつかの絵、そして最後に窓、というよりは
むしろ光がそこから溢れて出てくる窪みである。こうした渦巻き状貝殻を象る一巡は、表象関係全体のサイクルを示してくれるわけだ。すなわち、視線、パレットと画筆、記号(シーニュ)で汚されていない画布(これらは表象の物質的道具である)、幾つものの絵、反映、実在する男(ここで表象関係は完成されるのだが、それは、錯覚を起こさせるものにせよ、まことのものにせよ、その男ち並べられる表象の諸内容から解放されたかのようである)、というように。ついで表象関係はほどけtrてしまう。そこに見えるものはもはやいくつもこ額縁とその光にすぎない。その光は外部からいくつもの絵を浸し、それがあたかもよそから絵の暗い木製の額縁を超えてきたかのように、それらの絵によって絵の固有の形相として再構成されなければならない。そして光は、事実この絵の全体の中で、額縁の隙間から湧き出してくるように見えるのである。そして、片手にパレット、もう一方の手に細い画筆をもった画家の額、頬骨、眼、視線と、光は再びつながっていく...。このようにこの螺旋状hs閉ざされる。というよりむしろ、この光によってそれは開かれるもだ。(渡辺訳)

・均衡から不均衡へ、不均衡から均衡へと螺旋状に運動する視線の運動を表象する

 

No.11フーコカフェーポストモダン的表象

いま開かれたのは、もはや画面の奥におけるように引きあけられた扉ではない。絵の幅そのものである。そしてそこを過ぎる視線は彼方の訪問者のものではない。絵の前景と中景を占める一帯はー画家まで含めるとすればー八人の人物を表象している。彼らのうち五人は、頭をおおかれすくなけれ傾げ、振り向き、またかがみ、絵に対して垂直の方向を見つめている。この一群の中心を占めるのが、灰色と薔薇色のゆったりとした衣裳をつけた小さな姫君である。王女は顔を絵の右の方に回しているが、彼女の上半身と衣裳の大きな襞は心もち左側に流れている。けれども視線はしっかりと、絵の正面にいる鑑賞者の方向に向けられる。フーコ

・視線を表象している絵

No.12フーコカフェ

「画家の視線、パレット、休止した手から、描きあげられたいくつもの絵まで、アトリエの周囲をまわる大きな螺旋運動の中で、表象関係が生まれ、完成され、再び光の中に解消する。こうしてサイクルが完成される。それにたいして、絵の奥行きをよこぎるいく本もの線は不完全なまま止まる。それらすべてに、行路の一部が欠けているからだ。このような欠落は王の不在ーその不在こそ画家の詭計であるのだがーのせいであろう。しかしこの詭計は、一個の直接的空位、絵を見つめ、あるいは制作するときの、画家と鑑賞者の空位を、覆い隠すと共に指示するものにほかならない。それはおそらく、この絵のなかでも、この絵がいわばその本質を明らかにしているあらゆる表象関係におけると同様、見えているものの底知れぬ不可能性がー鏡や反映や模倣や肖像にもかかわらずー見る人の不可能性と固くむすびあっているということであろう。なるほど、場面の周りには表象関係の多くの記号(シーニュ)とその継起する諸形態が分配されてはいる。けれどもそのモデル、その至上なる君主にたいする、表象の二重の関係というもものは、かならず断ち切れているのだ。たとえそれ自身を光景として示されるような表象のうちにあってさえも、そのような関係があますところなく現前することは決してあり得ない。場面を横切り、虚構のうえでそれと()ち、それらの手前に投射する奥行きのなかで、表象する巨匠と表象される君主とを、まことに幸運にもイメージがあまねく光のなかに差し出しことなど、決して可能ではないのである。

おそらくこのベラスケスの絵のなかには、古典主義時代における表象関係の表象のようなもも、そしてそうした表象の開く空間の定義があると言えるだろう。事実その表象hs、そのあらゆる要素において、すなわち、そのイメージ、それが身を晒している視線、それが目に見えるものとしている香り、それを生み出している動作と共に、自己をこの絵のなかで表象しようと企てているのだ。だがそこでは、表象がその全体を結集すると共に展覧する、こうした分散状態のなかで、至るところから厳然としてひとつの本質的な空白が指し示される。その空白こそ、表象を基礎づけるものの消滅ー表象がそれに類似する者と、その眼には表象が類似物に過ぎぬところの者との、必然的な消滅にほかならない。この主体そのものーそれは同じひとつのものであるーが省かれているのだ。そして自分を鎖で繋いでいたあの関係からついに自由となって、表象は純粋な表象関係として示されることができるわけである。

・鑑賞者のは映すことに無関心な鏡を眺めている。奇妙なことに、鏡は部屋の中に置かれているのに、部屋の中を映さず、部屋の外にいる人々を映している鏡。これは窓か。しかし窓は殆ど描かれていない。窪みから溢れる光だけだ。

・鑑賞者のわれわれは画布の前で、その裏側と鏡を見て部屋全体を描く画家を見ている。自己と類似しているもの全てが空白に消滅している。この自由で純粋な表象を嘲笑う者はだれか?

No.13フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀末までの西欧文化においては、類似というものが知を構築する八鍬を演じてきた。テクストの釈義や解釈の大半を方向づけていたのも類似なら、象徴の働きを組織化し、目に見える物、目に見えぬ物の認識を可能にし、それらを表象する技術の指針となっていたのもやはり類似である。世界はそれ自身のまわり巻きついていた。大地は空を写し、人の顔が星に反映し、 草はその茎のなかに人間に役立つ秘密を宿していた。絵画は空間の模倣であった。そして表象はー祝祭であるにせよ知であるにせよーつねに何かものかの模写にほかならなかった。人生の劇場、あるいは世界に鏡であること、それがあらゆる言語(ランガージュ)の資格であり、言語(ランガージュ)が自らの身分を告げ、語る権利を定式化する際のやり方だったのである。ー第二章世界の散文、フーコ『言葉と物』

No.16フーコカフェー ポストモダン的表象

『ドンキ・ホーテ』は、ルネサンスセカンドの陰画(ネガティヴ)を描いている。書かれたものは、もはやそのまま世界という散文ではない。類似と記号(シーニュ)とのあのね古い和合は改称下。相似は人を欺き、幻覚や錯乱に変わっていく。物は頑固にその皮肉な同一性を守り続ける。それらはもはや、それらがあるところのものでしかない。語は、自らを満たすべき内容も類似も失ってあてどもなくさまよい、もはや物の標識となることもなく、書物のページの間で塵にまみれて眠るのである。かつて、記号(シーニュ)の下の密かにな類似関係えお明らかにすることによって世界の解読を可能性にしたい魔術は、今や清浄な働きを失い、類比がなぜいつも人を欺くかを説明することにしか役立たない。自然と書物とをひとつづきのテクストとして買い得した博識は、いまでは妄想としてしりぞけられr。書物の黄ばんだページのうえに打ちすてられた言語記号(シーニュ・デユ・ランガージュ)には、もはやそれらが表象しているつまらぬ作り話だけの値打ちしかない。書かれたものと物とは、互いにもう似ていない。ドンキ・ホーテは、この二つのもののあいだをあてどなくさまよいつづけるのだ。
とはいえ、言語(ランガージュ)が全く無力になったわけではない。以降、それはあらたな固有の力を帯びるのである。小説の第二部で、ドンキ・ホーテは、その第一部を読んだ人物に出会い、この人物は現実的の人間であるドンキ・ホーテを本の主人公として認知する。セルバンテイスのテクストは、それ自身のうえに折り重なり、自らの厚みのうちに食い込み、自らにとって自らの物語の対象となるかわけだ。ドンキ・ホーテの冒険の第一部は、第二部において、最初騎士物語が引き受けていた役割を演じるものである。ドンキ・ホーテは、自分が本当にそれとなってしまったままこの書物に忠実でなければいけない。誤りや偽作や間違った続編空この書物を守って抜き、抜けていた細部を追加し、書物の真実性を維持しなけれどばならない。だけれどドンキ・ホーテは実際は、この書物を読んだわけでもなく、また読む必要がない。彼の肉体そのものがこの書物だからだ。書物を読みすぎたため世界を彷徨う記号(シーニュ)と化し、世界から見忘れられていたドンキ・ホーテは、いまやおのれの意に反して、それと知らずに一冊の書物と化したのである。この書物は彼の真実を保持し、そのなし、語り、見、考えたすべてのことを正確に拾いあげる。消すことの出来ぬ航路のように背後に残してきたそれらの記号(シーニュ)に、彼はそれほど酷似してあるいるのだ。小説の第一部と第二部のあいだ、その二巻の間隙で、書物のみの力によってドンキ・ホーテはは水かの現実に到達した。言語(ランガージュ)のみからきて、まったく言葉の内部に止まっている現実ぬ。ドンキ・ホーテに真実は、語と世界との関係のうちにではなく、言葉という標識が互いのあいだに張り巡らすこの厚みのない恒常的関係のうちにあるのだ。幻滅に終わる英雄話の作りごとは、言語(ランガージュ)の表象能力と化した。語はいま、その記号(シーニュ)としての性質にもとづいて再び閉ざされるのである。

第3章表象すること、フーコ『言葉と物』

・フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」Indéfiniment il la parcourt, sans franchir jamais les frontières nettes de la différence, ni rejoindre le cœur de l'identité. Or, il est lui-même à la ressemblance des signes. 
尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する」という。昔のひとはうまいことをいうものだ

・「私は明治の末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語を連想する。」(尾崎行雄)明治の末から昭和の敗戦に至るまでを書いた日本ドン・キホーテ物語のアジア侵略の後半は、アジアから西欧列強を解放する前半に忠実にしたがわなければいけなかった。アジアから西欧列強を解放するホンモノでなければいけなかったかた、インチキの日中戦争を日本ドン・キホーテ物語の書物から消した。米国との戦争がホンモノだったから、戦後の日本人は太平洋戦争に先行した10年の戦争を自覚してはいない

No.17フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀における秘教的学問は、書かれたものにかかわる現象であり、話された言葉にかかわる現象ではない。いずれにせよ、話された言葉はその力を奪われているのであって、ヴィジュネールとデュレによれば、それが言語(ランガージュ)の女性的部分、いわばその受動的理性にすぎず、<書かれたもの>こそ、言語(ランガージュ)の能動的理性、「男性的原理」なのである。<書かれたもの>のみが真理を保有しているのだ。
 <書かれたもの>のこうした優越性こそ、16世紀において、表面対立するにもかかわらず切り離しえない、双子のような対をなす二つの形態の共存を説明してくれる。そのひとつは、見られるものと読まれるもの、観察されたものと人づてに伝えられたものとが区別されず、その結果、視線と言語(ランガージュ)とが無限に交錯する唯一の滑らかな連続面が構成されていたことであり、もう一つは逆に、どのような言語(ランガージュ)もただちに分裂し、はてしなくむしかえされる注釈によって二重化されていったことである。(フーコ「言葉と物」渡辺一民訳)

L'ésotérism au XVI siècle est un phènomène d'écriture, non de parole. En tout cas, celle-ci est dépouillée de ses pouvoirs; elle n'est, disent Vigenère et Duret, que la part female du language, comme son intellect passif; l'Ecriture elle, c'est l'intellect agent, le <principle male> du language. Elle seul détient la vérite.
Cette primauté de l'écrit explique la presence jumelle de deux forms qui sont indissociables dans le savoir du  XVI siècle. malgré leur opposition apparente. Il s'agit d'abord de la non=-distinction entre ce qu'on voit et ce qu'on lit, entre l'observé et le rapport, donc de la constitution d'une nappe unique et lisse où
le regard et le language s'entrecroisent à l'infini;et il s'agit aussi, à l'inverse, de de la dissociation immediate de tout language que dédouble, sans jamais aucun terme assignable, le ressassement du commentaire. ー Foucault

 

 

No.18フーコカフェー ポストモダン的表象

この変様は、次のように要約できるだろう。第一に、分析が類比的な階層構造(ヒエラルキー)にとってかわったこと。16世紀には、照応の全体的体系(大地と空、惑星と顔、小宇宙と大宇宙)が最初に承認されており,それぞれの個別的な相似関係はあとからこの総体的関係の内部に宿った。ところがいまでは、あらゆる相似は比較という吟味にかけられる。すなわち、相似は、計量と共通の単位によって、さらに根源的には、秩序と同一性と相違の系列とによって、ひとたび発見されたうえ、はじめて容認されるというわけである。その上、相似関係の戯れはかつては無限なものであって、新たな相似を見いだすことがつねに可能であり、唯一の制限は物の配置から、すなわち、大宇宙と小宇宙のあいだにはさまれた世界の有限性からくるものだった。しかし今や、考察される総体を構成する全ての要素の網羅的調査なり、研究される領域全体のいくつかの範疇への分節化なり、あるいはまた、系列全体から選ばれた充分なだけ多くの点の分析なりの形で、完全な列挙が可能となろうとしているのだ。したがって比較は、完璧な確実さに到達することができる。なるほど、決して完成されることなくつねに新たな偶発性に対して開かれていたふるい相似の体系も、継怒的確認というみちるをへて次第に蓋然性を高めることはできたが、それは決して確実なものではなかった。これにたいして、完全な列挙と、それぞれの点において次の点への必然的な指定する可能性とは、同一性と相違性との絶対的に確実な認識を可能にするのである。「ただ列挙によってのみ、われわれは、自らの心を向けるいかなる問題にでも、つね正しく確実な判断を下すことができる。」したがって精神の活動家はーこれが第四の点なのだがーもはや物を相互のに<接近させ>たり、物同士の近縁関係や、互いのけん引力が、ひそかに共有する性格を明らかにし得るすべてを探究したりすることではなく、逆に<識別>すること、言い換えれば、まず同一のものを、ついでそこから遠ざけるあらゆる段階への移行の必然性を、確定することに存するのである。

・近世に成立した朱子学の「性」にもとづく天命の理解の再構成ついても同じことが言える

 

No.19フーコカフェー ポストモダン的表象

古典主義時代における言語(ランガージュ)のじつざは、至上でありと同時に、目立たないものである。
至上であるというのは、語が「思考を表象する」任務と能力を与えられたからだ。だが、表象するとは、この場合、本屋すること、可視的な形に訳出すること、思考を身体の外側において正確に再現しうるような物質的複製を作ること、を指すのではない。表象するとは、厳密にな意味に理解されるべきであって、言語(ランガージュ)は、思考が自らを表象するように思考を表象するのである。言語(ランガージュ)を成立させるものとして、意味作用(シニフィカション)とうう本質的で原初的な行為があるのではなく、ただたんに表象の核心に、表象のもつあの自己表象の能力があるにすぎない。すなわち、反省の眼差しのもとで、自らを部分的相互が並置されたかたちに分析し、自らの延長である代替物のうちに自己を委託するという、あの表象固有の能力があるのにすぎぬのだ。古典主義時代においては、表象に与えられないものは何ひとつとして与えられぬ。だが、まさにそのことによって、自己との間に距離をおき、自らを二重化し、自己の等価物である他の表象のうちに自らを反映させる表象の働きによらなければ、いかなる記号(シーニュ)も出現せず、いかなる言葉(パロール)も言表されず、いかなる語も命題も決してそのような内容をも目指しはしないのである。表象は世界に根を下ろして自己の意味を借り受けるのではない。それは自らの力で表象固有の空間に向かって開かれており、この空間内部の脈綱が意味を生じさせるのだ。そして言語(ランガージュ)は、表象が自己との間に設けるこも偏差のうちにある。したがって、語は、思考の外側の面でなぞる薄膜を形成するのではない。語は思考を想起させ、思考を指し示すが、それはまず内側に向かってであり、他の表象を表象するあのすべての表象もあいだにおいてなのだ。古典主義時代の言語(ランガージュ)は、それが顕示する任務をおびている思考にたいして、ふつう考えられているよりはるかに近いところにある。とはいえそれは、思考と平行なのものではない。それは思考の網目のなかにとらえられ、思考の繰り出す横糸そのものの中に織り込まれている。それは思考の外的な結果ではなく、思考それ自体にほかならない。

そして、このことによって、言語(ランガージュ)は目に見えぬもの、もしくはほとんど目に見えぬものとなる。いずれにしても、言語(ランガージュ)が表象に対して全く透明になったため、言語(ランガージュ)の存在は問題とならなくなる。ルネサンス時代は、言語(ランガージュ)がそこにあるという生のままの事実も前で足をとめた。世界も厚みのなかに、物と混じりあいあるいは物の質をはしる文字記号(グラヒズム)があり、手書きの稿本や書物のページの上には、さまざまな頭文字符号(シーグル)がおかれていた。そして、これらすべての執拗な標識は、自らのうちにまどんでいる言語(ランガージュ)をを語らしめ、ついに目覚まさせるために、二次的言語(ランガージュ)ー注釈、釈義、博識のそれーを呼びよせるのだった。言語(ランガージュ)の存在(エートル)が、その中に読み取れるものやそれを鳴り響きさせる言葉(パロール)に、いわば無言のままかたくなに先行していたのである。17世紀以降欠落するのは、このずっしりとした、そして当惑させずにはおかぬ、言語(ランガージュ)の実在にほかならない。それはもはや標識の謎のうちに秘められてもあらわれはせず、まだ意味作用(シニフィカション)の理論のうちに展開されて現れるものではない。換言すれば、古典主義時代の言語(ランガージュ)は実在しなかったと言えるかもしれない。だが、それでいてそして、言語(ランガージュ)は自らの表象的役割も中に完全に位置しており、正確にそこにとどまり、けっきょくそこで尽きはてる。言語(ランガージュ)ははもはや表象以外に場を持たず、表象の中でしか、すなわち表象がしつらえる力をもつあの空洞の中でしか、価値をもたないのだ。
このようにして、固定主義時代の言語(ランガージュ)は、それ自身に対して、それまで可能でもなく考えられさえもしなかったある種の関係に立つこととなる。16世紀の言語(ランガージュ)は、自己に対して、絶えざる注釈という立場をとっていた。ところでこの注釈は、何らかの言語(ランガージュ)がそこにあるー何らかの言語(ランガージュ)が、それを語らせようとして用いられる言説に先立って沈黙のうちに実在するーという条件ではじめて行なわれるものにほかならない。注釈を加えるにはテクストの絶対的先在が必要なのだ。逆にまた、世界が標識と語との絡み合いだとすれば、注釈という形態を取らずにどうしてそれについて語れるだろうか?ところが古典主義時代以降、言語(ランガージュ)は、表象の内部、表象の中に空洞を設ける表象それ自体の二重化のうちに展開される。爾後、第一義的<テクスト>は消滅し、それとともに、自らの無言の存在(エートル)を物の中に刻みつけていた語の尽きることのない基盤全体も消滅する。表象だけが残り、それを顕現する言語記号(シーニュヴェルバル)の中に繰り広げられ、そのことによって厳選となるのである。二次的言語(ランガージュ)によって解釈される言葉(パロール)の謎に、まだ中性的で特徴のない開いたままの可能性に過ぎず、それを現実化し固定するのが言説の任務である、表象の本質的言説性が置き換えられたわけだ。この言説が今度は別の言語(ランガージュ)の対象となる場合、人々はもはや、この言説が何ものかをそれと言わずに語っているかのように、それがそれ自身に限られた言語(ランガージュ)や閉じた言葉(パロール)であるかのように、この言説に対して問いかけるのではない。もはや、それら記号のしたに隠された大いなる謎のことばを読みとろうとするのではない。人々はただ、この言説にたいして、それがいかに機能しているか、つまり、それがいかなる表象を指示しているか、いかなる要素を裁断しとりあげているか、いかにして分析と合成を行っているか、いかなる置換の仕組みによって自らの表象的役割を確保しているかを問うだけである。<注釈>が<批評>に席を譲ったのだ。

フーコ、批評と注釈 第4章語ること

ソビエトが崩壊して、絶対的真理とされたマルクス資本論』の解釈が自由になったとき、そもそも解釈の自由とは何かが問題提起されました。注釈について考えられたとき、表象が成立する為には自己を表象してくれる他の表象が必要ですが、それはマルクスが「等価形式」と呼んだものではなくないかと喚起したのは柄谷でした。江戸思想史は注釈と批評の歴史です。注釈は言語の存在と共にあり、他方で批評は言語から自立する空間ですね。フーコが書いてあるようなヨーロッパの注釈と批評の歴史を勉強しなくとも、江戸思想史にあります

・日本でソシュール研究は朝鮮の大学を支配した戦前に遡ります。ソシュールは記号について差異のことを言ったのに、言語について語っていたと考えられたのです。時枝誠記において言語について差異を考えた結果、漢字で書かれた日本語文を分析することになりました。通説では、これは時枝の間違いとされますが、わたしはそう思いません。日本語において主語は漢字で書かれることを時枝は発見しました。そうして、言語の自立的あり方(音声中心の母国語つまり国語)とは自立した言語の他者的なありかたを差異として考えていきます。漢字は借り物であると考えて、今日の国語学者のように音声的な起源を考えていく必要がありません。しかし文を包摂する助詞について語り出したとき、時枝の言語学は他者性を失いました。
現代中国の根源的誤謬は、彼らが帝国主義による文化的支配をいまも漢字の優位によると考えていることです。たしかに漢字は仏教を翻訳して周辺の他の国(日本)に伝えることができました(華厳教はインドの中国化です)。何故翻訳が出来たかというと、まあ、漢字は表象の帝国だったからでしょう。漢字は今日のようにシニフアンとシニフィエの非常に限定された関係しかもっていなかったのではありません。しかしその漢字は、現代中国のもとにどんどん簡素化されて音声化されています。現代中国語はマイノリティーにとって中国人の国家言語でしかないのです。だから彼らの同化主義が反発されるのです。
自分の研究している領域に引っ張って恐縮ですが、たとえば、「鬼神」の字ですが、これは目に見えずこれも聴こえないものと語られたのですが、『中庸』において、初めて宇宙論的に構成されました。その後、朱子は鬼神を精神であるという言説を展開しますが、これは仏教の「空」の中国化ではないかと思えます。朱子が鬼神について語るためには、「空」と「無」の違いをめぐる1000年要した儒教と仏教の間の思想闘争がありました。徳川日本の古学は、朱子学脱構築ですから、荻生徂徠から、古代がどのように鬼神を考えたかを語り出します。徂徠は学的鬼神論を語り始めましたが、それに対して平田篤胤のような民情論的鬼神論が言われます。これらの言説が後期水戸学の政治神学の言説を形成します。「鬼神とは何か?」。それは実体があるのではなくて、鬼神論についての学者的議論に中に存在するというわけです。これがポストモダンが見いだす言説的差異の意味です。名が先にあるのですね、その後に物が語れます。

 

No.20フーコカフェー ポストモダン的表象

・言語(ランガージュ)の実在がひとたび欠落すると、残るのは表象作用における言語(ランガージュ)の働き、すなわちその<言説>としての性格及び効力だけとなる。<言説>とは、言語記号によって表象された表象そのものにほかならない。だがしかし 
言語記号の特徴とは何なのであろうか?言語記号にたいして、他のあらゆる種類の記号よりもyいく表象を表示し分析sじ再構成することを可能ならしめる、あの不思議な力とは何なのか?記号のあらゆる体系のうちで、言語(ランガージュ)固有のももとは何であろうか。

・・けれども、直ちにいくつかの帰結を引き出しておかなければなるまい。<第一>の帰結として、固定主義時代における言語(ランガージュ)も学がいかに分割されているかが明らかとなる。一方に、<型>(フィギュール)と<トロープ>ーすなわち、言語(ランガージュ)が言語記号のかたちで空間化される仕方ーを扱う<修辞学>は、言語(ランガージュ)の使用と共に生じる表象の空間性を規定し、<文法>は、それぞれの言語(ラング)について、その空洞性を時間のうちに分布する順序を規定する。

一般分法「語ること」フーコ

 

No.21フーコカフェー ポストモダン的表象

<普遍的特徴記述>と<観念学>とは、言語(ラング)一般(それは、あらゆる可能な秩序を唯一の基本的表(タブロー)の同時性のなかに展開する)の普遍性と、網羅的言説(デイスクール)(それは、連鎖関係にある可能な認識のひとつひとつに対して、唯一で有効な発生過程を再構成する)も普遍性とが対立するように対立している。しかし、両者の企てと共通の可能性とは、古典主義時代が言語(ランガージュ)に貸し与えたある種の能力のうちに宿っているのだ。それは、いかなるものであれあらゆる表象に正直な記号(シーニュ)を与え、表象相互の間に、可能なすべての結合関係を設定する能力にほかならない。言語(ランガージュ)があらゆる表象を表象しうる限りにおいて、言語(ランガージュ)は当然普遍的なものが宿る場である。自らのもつ語の間に世界全体を収用しうるような言語(ランガージュ)が少なくとも可能なものとして存在しなければならず、逆にまた、表象されうるものの全体としての世界は、その総体において、一個の<百科事典>になることができなければならない。
そして、シャルル・ボネの壮大な夢は、ここで、表象に結びつきこれに依存するももとしての言語(ランガージュ)のあり方と合致するわけだ。「私は、数えきれぬほど多くの<世界>が、それぞれ書物であると考えるのを好む。それらを集めるたものが、<宇宙>という膨大な<書庫>、もしくは真の普遍的<百科全書>を形作るのである。これらさまざまな世界のあいだにある見事な漸次的推移は、それらを巡歴するーあるいはむしろ、読むーことを許される優れた叡智に対して、そこに隠されたあらゆる種類の真実の獲得を容易ならしめ、彼らの認識のうちに、それらの主要な美を形成するあも秩序と連鎖とをもたらすのだと思う。しかしながら、これらの天の<百科事典編者>たちhs、みな同じ程度に<宇宙論の百科事典事典>に精通シテいるわけではない。ある者はいくつかの部門にしかし通じないが、より多くの部門を理解する者もある。けれども、彼らは皆、知識を増大し完成させ、さらに自らもすべての能力をはってさせるため、永遠の自己をもっているのだ」。

・古典主義時代の<エピステーメー>におけるそれらも可能性の基礎をなすのは、言語(ランガージュ)の存在(エートル)が表象におけるその働きに完全に帰着するとすれば、逆に表象は、言語(ランガージュ)の媒介によってのみ普遍的なものと関係をもつという、まさにそのような事実にほかならない。

・古典主義時代においては、認識することと語ることとは同一の網目の中で錯綜する。私にとっても言語(ランガージュ)にとっても、表象み記号を与え、その記号によって表象を必然的で可視的な順序に展開することが問題んsのだ。16世紀の知は、言表された場合にもひとつの秘密であり、ただ共有された秘密となるに過ぎない、17世紀と18世紀の知は、隠されている場合にもひとつの言説であり、ただそのうえにヴェールがかけられているのにすぎない。というのは、そももっとも根源的に本性からして、学問とは言語による伝達も体系に属するものであり、言語(ランガージュ)は最初の一語からして既に認識であるのだ。

・いまや、17世紀後半に現れ、次mp世紀も末葉に消滅した、<一般文法>の認識論的な場を想定できるであろう。一般文法は全く比較文法ではない。それは、諸言語(ラング)間の比較を目的とするわけでも、またほうほうとして利用するわけでもない。というのは、一般文法の一般性とは、あらゆる諸言語領域に共通な、そして可能な限りのすべての言語(ラング)も構造を拘束力ある観念上の統一体として出現させるような、固有の意味での文法的法則を一般文法が一般的であるのは、それが、文法的諸規則のしたに、しかもそれらの基礎をなすもののレベルにおいて、言説の表象的機能ー表象されているものを指示する垂直方向の機能にせよ、言説を思考と同一の様態に基づいて帰結する水平方向の機能にせよーを示そうとする限りにおいてなのだ。一般文法が言語(ランガージュ)を、もう一つの表象を分節化する表象として出現させる以上、一般文法は「一般的」と呼ばれる正当な権利をもつ。それが扱うのは、表象の内部における二重化だけである。

・このことから、一般文法は必然的に二つの方向をとる。言説が自己の各部分を連結する仕方が、表象が自らの各要素を連結する仕方と同様である以上、一般文法は、他の語との関係における語の表象関係を研究しなければならない。そのためには、まず語と語とを結びつける紐帯の分析(命題の理論、とりわけ動詞の理論)、ついで、語の種類のタイプとそれら相互の区別や、それらが表象を裁断する仕方の分析(分節化の理論)が前提されるであろう。けれども他方、言説が単なる表象的総体ではなく、その表象するものがさらにまた表象であるという二重化された表象である以上、一般文法は、語がその語るものを指示する仕方を、まず語の原初的価値において(起源と語根の理論)、ついで語がつねにもつ変位、意味拡張、再組織の能力について(修辞的空間と転移の理論)、研究しなければならない。

 

 

No.22 フーコカフェー ポストモダン的表象

・しかしある観念を肯定するとは、その実在を言表することであろうか?ーボーゼは、まさにそう考え、動詞がその形態の内に種々の時制を取り入れた理由のひとつをそこに見いだした。つまり、物の本質は変化するものではなく、ただその実在だけが、現れては消え、過去と未来とをもつからである。これに対して、コンデイヤックは、実在を物うぃ奪うことができるのは、それが一つの属性以上のなにものdrもないからであること、動詞は実在ばかりでなく死減をも肯定できることを指摘した。動詞が肯定する唯一のものを、例えば緑色と樹木、人間と実在または死といった、二つの表象の共存にほかならない。だかこそ動詞の時制は、物が絶対的に実在した時を示すのでは無く物同士の先後関係や同時性の相対的体系を占めのである。(...)こうしたわけで、全ての言語(ランガージュ)をその指示する表象に関係づけるのが、<ある>(エートル)という動詞の本質的機能だというとになろう。それが記号(シーニュ)から溢れ出て向かう存在こそ、まさしく思考の存在にほかならない

動詞の理論、第4章語ること

・それは、言説が、表象に与えられたものを部分ごとに<名指す>語からできているからだ。

・語は指示する。すなわち、その本性において語は名詞である。しかもそれは、まだ他のいかなる表象でもなくあるひとつの表象に向かられている以上、固有名詞なのである。したがって、主辞ー属辞関係の普遍的言表ほかならぬ動詞の画一性に対して、名詞は無限にひしめきあうこととなろう。名詞は名指すべき物と同数だけなければならないからだ。だがその場合、それぞれの名詞はそれが指示する表象に完全に密着してしまうから、いかなる主辞ー属辞関係をも定立することができず、言語(ランガージュ)は言語(ランガージ)以下のものに下落してしまうに違いない。「われわれは実詞として固有名詞しか持たないならば、その数を無限にふやさなければなるまい。それらの無数の語は、記憶力に過重な負担をかけ、われわれの認識の対象にも、したがってわれわれの観念にも、いかなる秩序をももたらさず、われわれの言説は酷い混乱におちいるであろう。」名詞が文中で機能を持ち、主辞ー属辞関係の定立が行われるためには、二つの名詞の一方(少なくとも属辞)が、お多くの表象に共通のな何らかの要素を指示しなければならない。名詞が一般性をもつことが言説の諸部分(🟰種々の品詞)にとっては必要なのだ。

『ポール=ロワイヤル論理学』の筆者たち学言うように、物を意味する(シニフィエ)語は、<大地>、<太陽>のように、<実名詞>と呼ばれる。様態を意味し(シニフィエ)、同時にそれが適合する主辞に標識を与える語は、<良い>、<ただし違>、<丸い>のように<形容名詞>と呼ばれる」とはいえ、言語(ランガージュ)の分節化と表象のそれとのあいだにhs、ずれの生じる余地がある。「白さ」という場合、指示されているのはまさに品質であるが、それは実詞によって指示されているし、「人間たち』(humains)という場合、「人間的な」(human)という形容詞を用いて、それぞれ自体で存立する個体が指示されている。こうしたズレは、言語(ランガージュ)が表象以外の法則に従うことを示すのではなく、むしろ逆に、言語(ランガージュ)が、自らに付随するものとして、自らも厚みのなかに、表象における諸関係と同一の関係を供ええていることを示すものにほかならない。実際のところ、言語(ランガージュ)は二重化された表象なのではなかろうか?言語(ランガージュ)は、表象の諸要素に、その表象を表象する以外に機能も意味も持たぬとはいえ、その第一の表象とは別のものである、そうした第二の表象を組み合わせる力をもつのではないか?言説が、修飾を指示する形容詞をもってきて、文の内部でそれに命題の<実体>としての価値を持たせるとすれば、そのとき形容詞は実詞となる。反対に、文中で偶有性として働く名詞は、元通り実体を指示しながら形容詞となる。

・「実体とはそれ自体によって存立するものであるから、言説の中でそれ自体によって存立べきすべての語を、たとえ偶有性を意味するものであっても実詞と呼び、反対に、実体を意味する語でも、その意味したからいって、言説の中でほかの名詞に付加されなければならぬ場合には、それを形容詞と呼んだのである。」命題の要素相互の関係は、表象の要素のそれと同一であるが、この同一性は、あらゆる実体が実詞によって指示され、あらゆる偶有性が形容詞によって指示されるというふうに、一対一の対応によって保証されているのはわけではない。それは、全体としてに、性質上の同一性である。つまり、命題はひとつの表象で<あり>、表象と同一の様式で分節化されているのである。けれども、表象を言説に変形するに際して、命題はそれをさまざまなな仕方で分節化することができる。明大はそれ自体ひとつの表象であって、それがもう一つの表象を分節化するわけだが、その際ある種のずれの生じる可能性が残されており、このことが、言説に自由を与えると共に、諸言語(ラング)のあいだの相違をもたらすのである。

 

No.23フーコカフェー ポストモダン的表象

・けれども、「一般化された命名」の理論は、言語(ランガージュ)の末端に、物とのある種の関係、命題性質とは全く性質を異にする関係を発見する。言語(ランガージュ)に根本的機能が、名指すこと、すなわち、ある表象を取り上げ、それを指で指すように示すことであるならば、言語(ランガージュ)は指示であって判断ではばい。(・・・) 言語(ランガージュ)の起源を明らかにすること、それは、言語(ランガージュ)が純然たる指示であった原初の瞬間を再発見することである。
ー指示作用

・したがって人間は、話す主体として、もしくは既に出来上がった言語(ランガージュ)の内部から、自己の周囲に、解読し再び聞き取れるようにすべき無言の言葉(パロール)に似たももとして、記号(シーニュ)を発見するものではんし。表象が自己に記号(シーニュ)を与えるからこそ語が生まれ、それにともなって、その後の音声記号の組織化にほかならぬ言語(ランガージュ)全体が生まれるのだ。「動作による言語(ランガージュ)」hs、その名にもかかわらず、言語(ランガージュ)を動作から隔てる記号の還元不能の網目うぃ出現させるわけである。

・語根とそれが名指しているものとの類似は、人間たちを結びつけ動作による言語(ランガージュ)を言語(ラング)として整えた約束事によって、はじめて言語記号(シーニュヴェルブ)としての価値をもつものにほかならない。
・原初の語根から遠ざければ遠ざかるほど、横の線で規定される言語(ラング)は複雑となり、しかもおそらくは新しいものとなるわけだが、同時にその場合、語は表象の分析に際してより有効で精緻なものとなるであろう。歴史的空間と思考の基盤目は、こうして正確に重なりあうに違いない。

・語が根源的本質において名詞すなわち指示名詞であり、またそれが表象そのものが分析されるのと同じ様態で分節化されているとすれば、語はなぜ抗いがたい力で起源における意味(シニフィカション)から遠ざかり、隣接した意味、より広い意味、もしくはより狭い意味を獲得することができるのだろうか?語はなぜ、形態のみならず意味の広がりまで変えるのだろうか?語gs新たな音ばかりだけでなく新たな内容を獲得し、その結果同一のものだった一組の語根から、異なる音、さらには互いに意味の対応しない語が、さまざまに言語(ラング)によって形成されたのはなぜなのか?

・アルファベット文字は、表象の図示を断念することにより、理性そのものとって有効な規則を音の分析に移入する。その結果、個々の観念を表象しないとはいえ、それらは観念と同じように結合され分離される。表象と文字記号(グラフイズム)との正確な平行関係を破ることによって、書かれたものを含む現象(ランガージュ)全体を分析の一般的領域に宿らしめ、文字表記進歩と思考の進歩を並立させることができたのである。
6転移

・ 「 中央市場で市の成り立つ日には、アカデミーの数日にわたる会合の席上生まれる以上の比喩形象(フィギュール)が生じる。」この可動性は、起源において、今日におけるより遥かに強かったと考えられる。今日では、分析が精緻を極め、基盤目が緻密であり、等位と従属の関係がはっきりと確立されているので、語が所定の場所から移動する機会はほとんどない、けれども、語の数が少なく、表現がぼんやりしてよく分析されておらず、情念が表象を変様させたり基礎づけていた人類の黎明期には、語は大きな転位能力を持っていた。語は本来の意味を持つまえに比喩的な意味を持ったとさえ言えるだろう。つまり語は、単称的な名としてのあり方を獲得するとほとんど同時に、自然発生的修辞の力によって、早くも種々の表象の上に拡張されていたのである。ルソーが語るように、人々は人間を指示する以前におそらく「巨人」と言ったのであろう。最初に帆によって船が指示され、霊魂すなわち<プシュケ>は、原初において蝶の姿であらわされていた。

・しかし、分析し、不連続的要素を出現させるこの継起は、表象が精神的眼に対して呈示する空間の中を巡歴するのであり、したがって、言語(ランジュ)が行うのは、表象の断片を線状に配列することにほかならぬ。

ー言語(ランガージュ)の四辺形

・この2本の対角線の交点、四辺形の中央、表象の二重化が分析として現れ、代替部が分離の能力を帯びるところ、それゆえに表象の一般的分類法の可能性と原理とが宿るところ、そこに<名>(名詞)がある。名指すとは、ある表象の言語表現を与えるのと全く同様に、この最初の表象を一般的表(タブロー)の中に位置づけることである。古典主義時代の言語(ランガージュ)理論のすべては、こも特権的で中心的な存在のまわりに組織される。表象が命題の中に現わされうるのはまだにこも存在による以上、言語(ランガージュ)のすべての機能はこの存在の中で交叉するわけだ。

サドと共に、言語(ランガージュ)が欲望の舞台、充足、際限のない端緒となり、その全域にわたって欲望に貫かれているときであった。われわれの文化の中で、サドの作品が絶えざる本源的呟きとしての役割を演じるという事実は、まさにそこに由来する。ついにそれ自体のために発音された名のこの暴力によって、言語(ランガージュ)は物としての兇暴な姿をあらわにするのだ。名詞(名)以外の「品詞」も自律性を帯び、名詞の至上権を脱し、名詞の周りで装飾としての付属的輪舞を踊るのをやめる。そして、言語(ランガージュ)を名の周辺に「引き止め」、その直線に言い表さぬものを表示させることのうちにはもはや特異な美がない以上、ここに、言語(ランガージュ)をその生のままの存在(エートル)において顕示する役割を持った、言説的でない言説が生まれるであろう。言語(ランガージュ)のこの周辺の存在(エートル)こそ、やがて十九世紀が<言葉(ヴェルブ)>(言語(ランガージュ)を表象の存在に絶えずそっとピンで留めるという機能をもっていた古典主義時代の「動詞(ヴェルブ)」に対して)と呼ぶこととなるものである。そして、
言語(ランガージュ)のこの存在を保持し、それをそれ自体のために解き放つ言説こそ文学にほかならない。

・しかし、他の三つの理論的線分は、それとはまったく異なった要請を含んでいる。すなわち、語の起源から出発してその転移が起こり、ある語根がその意味と起源において既に結合し、さらに表象の分節化された裁断が生じるためには、すでに最も直接的な経験において、者同士の類比関係の呟き、最初から与えられている類似がなければならないのである。

・古典主義時代における「現世」の基本的任務は、<物に名を付与し、この名においてももの存在(エートル)うぃ名指す>ことである。二世紀にわたって西欧の言説hs存在論も場であった。つまりそれは、表象一般の存在を名指すとき、哲学、すなわち認識の理論および観念の分析であり、表象された個々の物に適切な名を付与し、表象の場全域にわたって「よくできた言語(ラング)の網目を張り巡らすとき、学問ーすなわち、名称体系と分類法ーだったのである。

 

 

No.24フーコカフェー ポストモダン的表象

・そしてその事は、学問が合理的な使命と素朴な伝承の重みとも間でためらっていたことからくるのではなくそれより遥か明確で遥かに拘束力をもつ理由に基づいている。つまり、やがて十七世紀に表象の様態とばる記号(シーニュ)が、当時はまだ物の一部をなしていたことにほかならない。
ー第5章分類すること

・動物と絡みあっていたさまざまな語がほどかれて取りさられ、解剖学的要素、形態、習性、誕生、死をもつ生身の存在が剥き出しのままに現れているのだ。博物学(イストワール・ナチュレル)は、語と物とのあいだにいまや開かれたこの隔たりのうちに自らの場を見いだす。ー沈黙の支配するこの隔たりに、そこではいかなる言葉の沈積も生じないとはいえ、表象の諸要素、すなわち、やがて正当な権利をもって名指されるであろうまさにその諸要素にしたがって、すでに分節化されている。

博物学(イストワール・ナチュレル)とは、ーそしてそれこそまさしくこの時期にそれが出現した理由だがー名指すことの可能性をみこした分析によって表象のうちに開かれる空間にほかならない。

・このように配置され、このように理解された博物学は、物と言語(ランガージュ)とが共に表象に依存することをその成立条件としている。しかし、博物学になすべき仕事があるのは、物と言語(ランガージュ)とが切り離されているからにほかならない。したがって博物学は、こも隔たりを短縮し、言語(ランガージュ)を視線にもっとも近いところまで、導かなければならない。博物学とは、まさに可視的なものに名を与える作業なのだ。ー構造こも四つの可変要素は、植物の五の部分ー根、茎、葉、花、果実ーにも同様に適用できるし、表象に対して呈示される延長の特徴を十分に規定するものであるから、この延長を分節化して、誰しもが容認するような記述を行うことが可能となろう。ー構造

・表象が雑然としかも同時性の形で与えるものは、構造によって分析され、かくて言語(ランガージュ)の線状の展開のうちにすぐにも取り入れうるものとなる。

・通常の言語(ランガージュ)では、表象を充足する種々の名がそれをさまざま様態に基づいて分節化するから、同一の表象が多数の命題を生むことがあるのにたいして、同一の動物、同一の植物は、表象と言語(ランガージュ)のあいだに構造が君臨する限り、同一の仕方で記述されるであろう。

・すでに見たように、自然発生的な言語(ランガージュ)においては、個別的な表象のみに関わる最初の指示名詞が、動作による言語(ランガージュ)と原初の語根のうちにその起源を見出したのち、転移の力によって次第に一般的価値を獲得していった。しかし、博物学はよくできた言語(ラング)である。それは転移やその比喩形象(フィギュール)に拘束されるべきでも、またいかなる語源を信用すべきでもなかろう。それは、日常の言語(ランガージュ)では切り離されている二つのものを、ただ一つの操作のうちに結合しなければならない。つまり博物学は、自然の諸存在すべてを極めて明瞭に指示すると同時に、他のものとの比較と区別とを可能にする同一性と相違性の体系のうちに、それらを位置づけなければならないわけだ。

・特徴の設定は容易であると同時に困難である。容易であるというのは、博物学が、分析しがたい表象から出発して名の体系を設定するのではなく、すでに記述のうちに展開されている言語(ランガージュ)を、こも体系の基礎とするからだ。命名は、見えているものを出発点とするのではばく、構造によってすでに言説の内部に移された諸要素を出発点として行われるであろう。(...)けれどみ、直ちに大きな困難が立ちはだかる。自然の諸存在すべてのあいだに同一性ち相違性を設定するためには、記述において言及されえたひとつの特質を考慮しなければならない。ー特徴

・十七世紀以降、記号(シーニュ)はもはや同一性と相違性に基づく表象の分析のうちにしかなくなる。

・言語(ランガージュ)において普通名詞(🟰共通の名)が可能となるためには、物相互のあいだに直接的類似がなければならず、その直接的類似のおかげで、能記となる要素は、物の表象に沿って走り、その表面で変位し、その類似点にまとわりつき、かくしてついには多数の物に適用しうる指示名称を形成することができた。しかし、名が次第に一般的価値を帯びていくこの修辞的空間を描き出すには、この直接的類似が何であるか、それが真実に基づくか否か、否定する必要はなく、ただこの類似が想像力に充分な力を貸し与えるというだけでこと足りたのだ。だが、よくできた言語(ラング)である博物学にとっては、想像力に基づく類比は保証となり得ない。経験における反復の必然性についてヒュームは根源的懐疑を抱いたが、あらゆる種類の言語(ランガージュ)と同じくこの懐疑に脅かされている博物学も、それを回避する手段を見出さなければなるまい。つまり、自然には連続性があると考えるなければならないのである。ー連続体と天変地異

古典主義時代における博物館学は、好奇心の新たな対象の単なる発見に照応するものではなく、表象の一総体のうちに恒常的秩序の可能性を導入する一連の複雑な操作に対応している。それは、経験性の一領域全体を、<記述しうる>と同時に、<秩序づけうる>ものとして成立させるのだ。これこそ、博物学を言語(ランガージュ)の理論に結びつけると同時に、それを19世紀以来われわれが生物学という言葉で理解しているものから区別し、博物学に古典主義時代の思考においてある種の批判的役割を演じさせるものなのである。
 
・自然発生的な「出来の悪い」言語(ラング)では、4つの要素(命題、分節化、指示作用、転移)がそれぞれのあいだに空隙を残している。それゆえ、各人の経験、欲求や情念、習慣、偏見、注意力の低下の程度に応じて、幾百の言語(ラング)が生じたのだし、しかもそれらは、造形ばかりでなく、なによりも語が表象を裁断する際の仕方によって区別されるのだ。

・しかもそれは、この連続体がよくできた
言語(ランガージュ)を基礎づけうるからばかりではなく、一般的にすべての言語(ランガージュ)を説明するからなのだ。ある表象が、不明瞭に知覚された漠然たる何らの同一性によって他の表象を想起させ、共通の名(普通名詞)という恣意的な記号の両者への適用を可能にするというふうに、記憶というものに働く機会が与えられるのは、たぶん自然的連続性を持つからにほかならない。

・批判の問題は、概念から判断へ、種族の実在(表象の分析によって得られた)から表象相互を結合す可能性へ、名づける権利から属辞関係定立の基礎をなすものへ、名による分節化から命題そのものとそれを成立せしめる<ある>という動詞へ、と移行する。

 

No.25フーコカフェー ポストモダン的表象

・世界に実在するあらゆる物のうちで、重商主義が「富」と呼ぼうとしているのはいかなる物なのであろうか?それは、表象可能であるうえに欲望の対象となるような、そうしたすべての物である。
ー交換すること

・貨幣とは、富の表象を可能にするものである。

重商主義の経験を通じて、富の領域は表象の領域と同一の様態に基づいて成立する。すでに見たように、表象は自らを出版点として自らを表象する能力をもつ。すなわち、自らも内部にひとつの空間を開いてそこで自己分析を行い、記号の体系および同一性と相違性の表(タブロー)の設定を可能にする代替物を、自己固有の要素を以って形成する能力をもつ。同様に富は、互いに交換され、相等と不等の関係を可能にするいくつもの部分に分析され、貴金属という完全に比較可能なあの富の要素によって互いに他の富の記号となる、そうした能力を持つもである。そして、表象の全領域が、その表象をさらに表象する第二次の表象によって、切れ目のない連鎖の形で覆われたのと同様に、世界もあらゆる富は、ひとつの交換体系に所属する限りにおいて互いに他の富と関係づけられるのだ。ある表象と他の表象とのあいだには、意味作用の自律的行為というものはなく、ただし単なる無限の交換可能性があるに過ぎない。その経済上の決定因および帰結がいかなるものであったにせよ、<エピステーメー>のレベルにおいて検討すれば、重商主義は、価格と貨幣に関する反省を表象の分析正当な線上に行うとする、ながいゆっくりとした努力と見えるだろう。

・表象作用において、記号がその表象しているものを思考の前に呼び戻す力をもつ。貨幣とは、個体となった記憶、二重化される表象、まだ実現されていない交換にほかならない。

・担保として、貨幣はある一定の富(顕在的であると田舎とを問わず)を指示する。つまり貨幣はこの富の価格を定めるのだ、けれども、貨幣と諸々の商品との関係、したがって諸物価の体系は、ある時点における貨幣あるいは商品の量がかわれば直ちに変化する。財に比して貨幣の量が少なくなれば、貨幣は大きな価値を持ち、物価は低下するであろう。富にたいして有り余るほど貨幣の量が増加すれば、貨幣の価値は下落し、物価は上昇するだろう。貨幣の持つ表象および分析の能力は、一方において通貨の量、他方において富の量にしたがって変化する。この能力が恒常的であるのは、二つの量が一定しているか、両者が同時に同じ比率で変化する場合に限られるであろう。

・それに反して貨幣の場合には、時間は、表象を律する内的法則に属し、この法則と一体をなしているのであって、貨幣の体系において自らを表象し分析するという、富の能力につきまとい、それを耐えまなく変化させる。博物学が相違によって分離された同一性の領界を見いだしたところに、富の分析は、微分ーすなわち増加および減少への傾向ーを見いだすのである。

・こうしたすべては、貨幣という記号を、富にたいして、語十全な意味における<表象>とみなす思考形態の結果にほからぬ。

・ひとつは、価値を交換という行為それ自体、与えられるものと受け取られるものとの交点において分析するものである。

・いまや、<重農主義>とその論敵とにおいて、理論的要素が同一であることが納得されるであろう。基本的命題は両者に共通である。つまり、あらゆる富は土地から生じ、物の価値は交換と関係があり、貨幣は流通状態にあえう富の表象として勝ちをもつ、すなわち、流通は可能な限り単純かつ完全でなければならぬ、とされるているのだ。
・したがって<価値>は、富の分析において、博物学における<構造>と正解に同じ地位を占めるのであった。<構造>と同様に、記号と別の記号、表象と別の表象とのあいだに主辞ー属辞関係を定立することを可能ならしめる機能と、諸表象の総体を合成する要素やそれらを分解する記号を分節化することを可能ならしめる機能とを、ただひとつの創作のうちに結合するわけだ。

・富の秩序、自然の諸存在にうちたげられ、その姿を明瞭にあらわすのは、必要の対象や可視的な個体相互のあいだに記号の体系が設定され、この体系によって、諸表象間の相互的指示作用、能記となる表象の所記となる表象との関係における転移、表象されるものの分節化、ある種の表象と他のある種の表象とのあいだの主辞ー属辞関係定立という、四つの作用が可能となる限りにおいてである。

・こうした転移の一定の瞬間において、そしてまたひとつの個別的言語(ラング)の内部において、人々は、語の一総体、互いに分節的に連接しつつ表象を裁断する、名の一総体を所有している。

・表象および存在の連続体、無の不在として消極的に規定された存在論、存在の表象可能性、表象の建前による存在の顕現ーこうしたすべては、古典主義時代の<エピステーメ>の全体的布置の一部をなしている。

・したがって、表象の分析は、すべての経験的領域にとって決定的価値をもつ。古典主義時代における秩序の体系のすべて、すなわち、物をその同一性の体系によって認識することを可能ならしめるあの偉大な<タクシノミア>のすべては、表象が自らを表象するとき自らの内部に開く空間も中で展開される。
ー欲望と表象

・この逆転が起こるのはサドの時代である。あるいはむしろ、倦むことを知らぬサドの作品が、欲望の掟なき掟と言説的表象の細心な秩序づけの、束の間の均衡をあらわしているというべきかもしれない。言説の秩序はそこに自らの<限界>と<掟>を見いだすが、この秩序はまだ自らを支配するもの自体と同一の広がりを保つ力を残している。それこそ、おそらくは、西欧世界で最後のものだったこの「遊蕩」(これ以後、性の時代が始まる)の原理があるのだ。

•ところで、物語の第二部において、ドン・キホーテはおのれの真実と掟をこの表象された世界から受けとる。いまや彼は、自分がその中で生まれた書物、自分では読んだことのない、けれども自らその筋を追わねばならぬこの書物が、他人によって彼にかせられることとなった運命を彼に告げてくれるのを待つだけでよい。彼はただ、言われるがままにひとつの城に住み続ければよく、その城の中で、かつて自らの狂気によって純粋表象の世界に分け入った彼自身が、ついにはひとつの表象的仮構の中の純然たる登場人物と化するのだ。古典主義時代のもう一方の端、すなわちその頽落の時期にあって、サドの登場人物達はドン・キホーテに呼応する。

・『ジュステイーヌ』は『ドン・キホーテ』の第二部に正応するであろう。その深い存在において表象であるドン・キホーテ自身が、自らの意志に反してその表象の対象であるように、ジュステイーヌは、まさに彼女自身がその純然たる起源にほかならぬ欲望の、際限のない対象なのである。ジュステイーヌにおいて、欲望と表象とは、主人公を欲望の対象として表象する<他者>の現前によって結びつくのに過ぎず、彼女自身は、表象という、軽く遠く外的で冷たい形でしか欲望というものを知らない。これが彼女の不幸である。つまり欲望と表象との間に、彼女の天真爛漫さが常に第三者として介在しているのだ。ジュリエットのほうは、可能な限りのあらゆる欲望の主体にほかならない。しかも、それらの欲望は残らず表象のうちに取り込まれ、表象がそれらを条理にしたがった仕方で<言説>として定着させるばかりか、さらには意志的にそれらを<場面>に変形する。だからジュリエットの生涯も長い物語は、欲望、暴力、残虐行為、そして死を語りながら、同時に表象の純然たる表(タブロー)を展開するわけだ。けれどもこも表示は、ほとんど厚みがなく、倦むことなくそこに蓄積されては固有の結合法の力のみで繁殖していく欲望の比喩形象すべてにたいして全く透明であるため、世界と書物との混在する道を相似から相似へと進んでいるつもりでいて、実は彼自身をあらわす表象の迷路に入り込んでいった、あのドン・キホーテの表と同じように不条理なものなのである。『ジュリエット』が、表象されたもののあに厚みを削ぎ落としたあとには、欲望のあらゆる可能性が、いささかの空隙も言い落としもなく、いかなるヴェールにも覆われぬ姿で露呈されるのだ。

・こうした意味で、この物語は、ちょうど『ドン・キホーテ』がそれを開いたように、古典主義時代を閉じるのである。この物語が、ルソーやラシーヌと同時代に属する言語の最後のものであり、「表象する」こと、すなわち<名指す>ことを目指す最後の言説であるのは事実だが、周知のように、この儀式はここではぎりぎり必要なものに限られ(物はその必要最小限の名で呼ばれ、一切の修辞的空港は解体する)、、同時にまた際限もなく引き伸ばされている(この物語はあらゆるものを名指sじ、もっとも取るに足らぬ可能性をも見逃さない。なぜなら、それらの可能性<欲望>の<普遍的特徴記述>に基づいてひとつひとつ検討されているからだ)。
サドは古典主義時代の言説と思考の果てに到達した。彼はまさにそれらの限界に君臨している。彼以後、暴力、生と死、欲望、そして性が、表象のしたに巨大んs連続面を広げはじめ、われわれは今日、この影の連続面を、われわれの言説、われわれの自由、われわれの思考の中にとり入れようとして、できる限りの努力を払っているのだ。けれどもわれわれの思考は極めて限られており、われわれの自由は極めて福寿に甘んじやすく、われわれの言説にはあまりにも無駄な繰り返しが多いので、結局のところわれわれは、この下方の影を極め尽すのは海をのみつくそうとするぐらいの事柄と認めざるを得ない。『ジュリエット』の栄えはますますその孤独を深めつつある。そしてこも栄えには果てしというものがない。

 

No.26フーコカフェー ポストモダン的表象

・人間の富、自然界の種、諸言語を構成する語は、なお、彼らが古典主義時代においてあったところのもの、すなわち、二重化された表象ー自ら表象であると同時に、諸表象を指示し、分析し、合成し、分解する役割をおび、かくて諸表象のうちにそれらの同一性と相違性の体系と共に秩序の一般的原理を出現させるものーであり続ける。
ー第七章 表象の限界

・・この労働のもつ生産力の大きさについていえば、それは、個人的技術や利益の計算によるというよりも、商業の進歩、分業の増大、資本の蓄積、生産的労働と非生産的労働の分離といった、これまた表象の外部にある諸条件に基づいている。
ー労働という尺度

・こうして、名と種族、指示と分類、言語と自然は、もはや当然のこととして交錯しあうものではなくなる。語の秩序と諸存在の秩序とは、もはや人為的に定められた一本の線で交わるに過ぎない。この古い依存関係の線こそが、古典主義時代における博物学うぃ基礎づけ、構造から特徴まで、表象から名まで、そして可視的な個体から抽象的な種族まで、一挙に導くものだったが、その絆がいまやほどけはじめる。
ー生物の組織

・言語(ランガージュ)は、量的でない秩序のあらゆる形態のうち、もっとも直接的であり、もっとも意図的でなく、表象固有の働きにもっとも深く結びついたものであった。そして、その限りにおいて、言語(ランガージュ)は、諸存在の分類や富の交換によって立てられるあの反省的秩
学問的であるにせよ利己心に基づくにせよーよりも、表象とその存在様態のうちに深く根をおろしていたのである。(...)だが、言語(ランガージュ)の学がおなじように重要な変動を被るためには、西欧文化における表象の存在(エートル)そのものまでをも変化させうるほどの、さらに深い出来事が必要だったのだ。17、18世紀における名理論が表象作用の極めて近くに宿り、そのことによって、生物の領域における構造と特徴に分析や、富の領域における価格と価値のそれをある程度まで律していたのと同じく、古典主義時代の終わりにあたってもっとも長く生き延びるのは名に理論であり、それが解体するのは、やや遅れて、表象それ自体がその考古学的体制のもっとも深いレベルにおいて変様をどげるときのことである。
19世紀初頭に至るまで、言語(ランガージュ)の分析はまだごくわずかな変化しか示さない。語は相変わらず、それらすべてに同一の存在様態を指定する潜在的要素として、その表象的価値から出発して考察されている。とはいえ、それらの表象的内容は、もはや、それらを絶対的起源ー神話的であると否とを問わずーに近づける次元においてのみ分析されるのではない。(..)
18世紀の最後の25年間になると、諸言語(ラング)の水平方向の比較は、別の機能を獲得する。それはもはや、それぞれの言語(ラング)が父祖から伝わったいかなる記憶をとどめているか、バベル以前のいかなる標識が語の音の中に宿っているかを教ええうのではなく、言語(ラング)同士がどの程度に似ているか、それらの相似の濃度はいかなるものか、それらはどの程度に互いに透明であるかを教えるべきものとなるのだ。

・ところで、18世紀末における諸言語(ラング)の対比は、意味内容の分節化と語根の価値とのあいだに、もうひとつの中間的形象があることを明らかにした。すなわち屈折である。なるほど、文法家達は、久しい以前から屈折という現象を知ってはいた。(博物学においてパラスysラマルク以前に組織の概念が、経済の領域でアダム・スミス以前から労働の概念が、知られていたように)。けれども屈折はーこれを付帯的表象とみなすにせよ、そこに表象の相互を連結するある種の仕方(いわばもう一つの語順ともいうべきもの)を見るにせよーその表象的価値ゆえに分析の対象となったのに過ぎない。

・十八世紀の末に至るまで、この新たな分析は言語(ランガージュ)の表象的価値の探究の内部にとどまっている。問題とされているのは依然として言説なのだ。だが既に、屈折体系というものを通じて、純粋に文法的なものも次元があらわれる。言語(ランガージュ)はもはや、さまざまな表象と、それらをさらに表象しつつ思考の結合の要求する通りの秩序に配列される音という、この二つのものだけから構成されるのではない。言語(ランガージュ)はさらに、体系としてのまとまりをもつ形態上の要素から構成されており、それが、音、音韻、語根に、表象の体制とは異なった体制を課するのである。

・こうして言語(ランガージュ)の分析のなかに、表象に還元しえぬ要素が導入されたのだ(ちょうど、交換の分析の中に労働の概念が、特徴の分析に組織の概念が導入されたように)、このことから生じる最初の帰結として、18世紀末に、もはや音の最初の表現的価値を探究するのではなく、さまざまな音とそれらの相互関係、ある音が他の音に変化する可能性を分析する、音声学が出現したことがあげられよう。

・さまざまな言語(ラング)は、もはや語の指示するものによってではなく、語を互いに結びつけうるものによって対比される。言語(ラング)と言語(ラング)とは、いまや、それらが表象すべきあの無名で一般的な思考の媒介によってではなく、語の相互的配置を定める、かくも脆弱に見えながらかくも恒常的で還元不能なこれらの華奢な道具によって、互い直接通じ合うこととなろう。

・このように、十八世紀の末葉、<一般文法>、<博物学>、<富の分析>において、いずれもおなじタイプの出来事が起こったわけだ。

・表象に与えられていた記号(シーニュ)、それによって成立した同一性と相違性の分析、相似物の繁茂のなかに設けられていた連続的で分節化された表(タブロー)、無数の経験的事物の間に立てられていた秩序、こうしたすべては、これ以降、もはや表象のそれ自体に対する二重化のみに基礎をおくことはできなくなる。この出来事が起こって以来、欲望の対象となる品物を価値あらしめるのは、もはや欲望が自らに対して表象することのできる他の品物ばかりではなく、この表象に還元することのできぬ<労働>という要素である。

・ひとつの言語(ラング)を規定するのは、その言語(ラング)が諸表象を表象する仕方ではなく、ある種の内定建築物 、語が他の語にたいしてとる文法的姿勢に応じて語そのものを変様させるある種の仕方、すなわち、その言語(ラング)の<屈折体系>にほかならない。いずれの場合にも、表象の表象それ自身に対する関係と、この関係によっていかなる量的測定もなしに決定される秩序関係は、いまや、現に与えられている表象そのものの外部にある諸条件によって媒介されることになる。

・古典主義時代には、諸言語(ラング)は表象能力をもつがゆえに文法をもつのであった。いまや諸言語(ラング)は、文法から出発して表象を行う。そしてその文法とは、それらの諸言語(ラング)にとって、いわば歴史的裏面、内的で必然的な嵩ともいうべきものであり、表象的価値hsその煌めく可視的な外面にすぎぬのだ。

アダム・スミス、最初の文献学者たち、ジュシュー、ヴィック・ダジール、ラマルクと共に生じたのは、極めて微小だが全く本質的なひとつのずれであって、それは西欧の思考全体を一挙に転回させずにはおかなかった。すなわち、表象が、その諸要素の間に成り立ちうる結合を、表象それ自体かts出発して、表象固有の展開において、表象を二重化する仕組みによって、基礎づける力を喪失したのである。いかなる合成も、いかなる分解も、同一性と相違性へもいかなる分析も、もはや表象相互の結合を正当化することができない。

・この結合の条件は、以降、表象の外部、その直接的可視性の彼方、表象それ自体よりも深く厚みのある一種の背後の世界に宿るのだ。
・かつては自らに関わる諸表象を同一の形式にしたがって分布させる恒性にほかならなかった物は、いまや自らに巻きつき、固有の嵩をもち、われわれの表象の<外部>に自己の<内的>空間を規定するのだ。

・物のもつ近づきがたい貯えになかから、表象はとるに足りぬ要素を一片一片と剥がしとるのにすぎず、それらを統一するものはつねに物の内部にわだかまっているのだ。

・やがて、一方には、固有の組織と密かな脈網をそなえた物、それらを分節化する空間、それらを生み出す時間があり、他方には、純然たる時間的継起としての表象があることとなろう。そしてこの表象において、物は、一個の主観、一個の意識、一個の認識主体の個別的努力に対して、おのれの歴史もしくは受け継いだ伝統から出発して知を得ようとする「心理学的」個体に対して、つねぬ部分的にしか自らを告げぬこととなろう。表象は物と記憶とに共通すな存在様態を規定する力を失いつつある。表象されたものの存在自体が、いまや表象そのものの外にこぼれ落ちようとしているのだ。

・忘れてはならぬことだが、スミス、ジュシュー、w・ジョーンズが労働、組織、文法体系の概念を用いたとして、それは、固定主義時代の思考によって規定された表の空間から脱出するためでも、物の可視性を迂回して、自らを表象する表象の仕組みから逃れるためでもなく、ただ、分析可能で、恒常的でしかるべき根拠を持つような結合の一形態を、そこに設定するためにすぎなかった。
・やがて人々は、表象を迂回して、表象されたものの存在自体を表象の向こう側に求めるようになるのだが、こも大きな回路はまだ完成されていない。

・<観念学>は、表象の基礎、限界、根拠を問うものではない。それは、表象一般の領域を巡歴し、そこにあらゆる必然的継起を見定め、そこに生じる結合関係を規定し、この領域を支配しうる合成と分解の諸法則を明らかにする。それは、すべての知が表象の空間に宿るものと考え、この空間を巡歴することによって、それを組織する法則に関する知を定式化する。けれども<観念学>の基礎にこうした重視性があるからと言って、<観念学>は表象のべつのところに展開するわけではんし。この重視性は、のがれるきとのできぬ直接性をもつ表象へと、あらゆる知を引き下ろすことを目的としているのだ。「思考とは何か、何のことを考えるにせよ、考えるときにあなたは何を経験するのか、それをあなたは少しでも明確に理解したことがあるだろうか?

・関係についての思考をその関係が与える感覚により、定義することによって、デステユットはたしかに表象の領域に出ることなしにその領域全体を覆っている。だが彼は、表象の全く単純な始源的形態としての感覚、思考の対象となりうるものの最小限の内容としての感覚が、この感覚を説明しうる生理学的条件の次元へと転落する境界線にまで到達しているのだ。

・カントの問題と<観念学>のそれとが、その形態、様式、狙いにおいてどれほど異なっていようとの、両者は表象の相互関係という同一の点に適用されるものである。けれどもカントは、この関係ーそれを基礎づけ正当化するものーを表象(内容を奪われて痩せ細り、意識の受動性の極限においてもはや純然たる感覚にすぎなくなった表象であってみ)のレベルに求めるものではない。彼がこの関係に問いかけるのは、それをその一般性において可能ならしめるものの方向に向かってなのだ。彼は、表象相互の結合関係を、それを次第にうつろなものとしてついに純然たる印象までいたらしめる一種の空洞化によって基礎づけるかわりに、その普遍的に有効な形式を規定する条件に基づいて設定するのである。カントは、表象及び表象おのうちに与えられるものを迂回し、いかなるものであれ表象というものが与えられる際の、その前提となるものに直接訴えかける。表象それ自体が固有の法則にしたがって自ずから展開し、おなじひとつの動きで分解(分析によって)され再合成(総合)されるのではない。表象内容に基づいて行われうるのは、経験判断あるいは経験的確認のみである。それ以外のあらゆる結合関係は、普遍的であろうとする限り、あらゆる経験の彼方、すなわち、その結合関係を可能ならしめるアプリオリの中に基礎を持たなければならない。問題となるのは、別の世界ではなく、この世界のすべての表象が実在しうるための条件なのだ。

・このように、カントの批判哲学と、それと同時に観念学分析の最初のほぼ完全な形態として現れたものとの間には、確実な照応関係がある。けれども<観念学>は、認識の場のすべてー起源にある印象から論理学、算術、自然の学、文法を経て経済学にいたるまでーに反省を拡張しながら、表象の外部で校正され再構成されつつあったまさにそのままを、表象の形態のうちに取り戻そうとしていたのだ。このような奪回作業は、個別的であると同時に普遍的な発生過程という、半ば神話的な形態でしか行われなかった。すなわち、孤立した、空虚で抽象的なひとつの意識が、もっとも取るに足らぬ表象から出発して、表象可能なあらゆるものの壮大な表うぃ徐々に展開すると考えられたのである。こうした意味で<観念学>は、古典主義時代の最後の哲学であって、いわばそれは、『ジュリエット』が古典主義時代の最後の物語であったと同断である。

・サドの描く場面と その論述が、欲望の新たな激しさを透明で隙間にのない表象の広がりの中にそっくり取り戻すように、<観念学>の分析は、もっとも複雑なものまで含めた表象のすべての形態を、ひとつの誕生の物語のうちに取り戻すのだ。その観念学にたいして、カントの批判哲学は、逆にわれわれ近代の発端をしるしづけている。それは、単純な要素からあらゆる可能な組み合わせに至る際限のない動きに即してではなく、表象の権利上の限界から出発して表象に問いかける。かくして批判哲学は、表象の空間からの知と思考の後退という、十八世紀の末のヨーロッパ文化に起こったこの出来事を、はじめて承認ずみのものとしたといえるだろう。いまや、表象の空間の基礎、起源、限界が問題とされるわけだ。まさしくそのことによって、古典主義時代の思考が創設し、<観念学>が言説的で科学的な仕方で一歩一歩と巡歴しようとしたあの表象の無限の場は、ひとつの形而上学、それも、自らの限界を心得ず、迷もうな独断論に閉じこもり、みずからの権利の問題を決して明らかにしたことのない、ひとつの形而上学として現れるのである。この意味において、<批判哲学>は、十八世紀の哲学が表象の分析のみによって減却しようとした、 形而上学的次元を明るみに出したといえよう。だが、同時に、<批判哲学>は、表象の由来と起源をなすすべてのものに表象の外部で問いかけることを意味するような、もうひとつの形而上学の可能性を開くものであった。それは、十八世紀が批判哲学の開いた道にいまや解明しようとしている<生命>、<意志>、<言葉(パロール)>の哲学を可能としたのである。

・ひとつの思考形態は、表象相互の関係の条件を、表象一般を可能ならしめるものの側に求め、そうすることで、経験には決して与えられぬが(主体は経験的なものではないから)主体が、客体=Xとの関係において経験一般のあらゆる形式的条件を決定する先験的な場をあらわにする。
ー客体の側における総合

・先験的なものにたいして開かれたこの思考形態とはあたかも対称的に、もうひとつの思考形態は、表象相互の条件を、そこに表象されている存在そのもの側に求める。

ー客体の側における総合

 

No.27フーコカフェー ポストモダン的表象

・人間の活動と物の価値は、表象の透明な本領内で連続しているのだ。

ー第ハ章 労働、生命、言語

・市場に流通し、互いに交換される以上、諸価値はなお表象力をもつのである。しかしこの力を、諸価値は他のところから、ーどのような表象よりも原初的でより根源的な、したがって交換によって規定されえぬ、あの労働からー引き出してくる。古典主義時代の思考において、取引と交換が、富の分析にとって乗り越えがたい根底として役立っていたのに対して(アダム・スミスでさえなおそうであって、分業が交換の基準によって律せられている)、リカード以降、交換の可能性は労働に基づくことになる。そして生産の理論が、以来つねに、流通の理論に先行しなければナラなくなるわけだ。

・同じように、<重農主義者>たちも、生産経費から出発して価値を分析した、リカード以降の経済学のそもそもの始祖だったとみなされることとなろう。だが実際には、ケネーとかコンデイヤックを同時に可能とした布置から、既に人々は脱けだしているのである。表象の秩序の上に認識を打ちたてた、あの<エピステーメ>の統治を逃れでているのだ。

・たとえば、こうした配置が古典語学(ユマニスム)の疲弊した善意を蘇らせるために演じた役割は知られているし、それがいかにして完成された非在郷(ユートピア)を再生せしめたかは周知のことであろう。古典主義時代の思考においては非在郷(ユートピア)はむしろ起源についての夢想として機能した。つもり、世界の新鮮さとは、それぞれの物が、その隣接関係、その固有の相違性、その直接的等価性をともなってしかるべき場所に置かれるような、表の理想的展開を補償するはずだった。そうして最初の光の中で、表象は、それが表象するものの生き生きとして鋭く感覚的な現前からまだ引き離されていなかったのだ。ところが19世紀になっると、非在郷(ユートピア)は、時間も朝というよりもむしろその凋落に関わってくる。つまり、知は、もはや表といった様態ではなく、系列、連鎖、生成といった様態で成立させられるのである。
・表象の連続体(記号と特徴のそれ)と諸存在の連続体(構造相互の極端な近接性)とは、だから相関的だった。

・かつて存在は膨大なひとつの表にみち溢れたが、いま生命は、それぞれ自身で固く結びあわされてしまう諸形態を孤立させるのに過ぎない。存在は、かつて常に分析可能な表象の空間に現れたが、いま生命は、その本質において近づきがたく、ここかしこで自らを顕現し維持するため行う努力においてのみとらえられる、謎めいたひとつの力の中に後退していく。

・おそらくは西欧文化においてはじめて、生命は、表象の中で示され分析されるような存在の一般的諸法則を逃れるのだ。存在しうる物のまさしく手前にあるすべての物と対(的なところで、物を支えて現前せしめ、しかも絶えず死という暴力によって物を破壊する生命は、基本的なひとつの力となり、運動が不動性に、時間が空間に、密かなる意志が目に見える顕現に対立するように、存在と対立するのである。

・たしかに語は、それを利用しあるいはそれを聞く人々の精神の中で、ひとつの意味をもち、何かを「表象」しうることをやめはしなかった。しかしそうした役割は、語の存在そのものにおいて、語の本質的建築において、文の内部に場所を占め、そこで多かれ少なかれ異なった他の語と結ぶことを語に可能としてくれるものにおいて、語を成立させるものではなくなった。(..)語が言おうとするところを言うことができるためには、語との関係において第一義的で基本的で決定的な、ひとつの文法的総体に、語が所属していなければならない。

・語の見せたこうしたずれ、表象的諸機能の外へのこうした一種の後方跳躍は、たしかに十八世紀末ごろ、西欧文化の重要な出来事のひとつだった。

・けれどもシュレーゲル以降、言語(ラング)は、少なくともそのもっとも一般的な類型系統においては、言語を合成する固有の意味での言葉上の諸要素を、言語(ラング)が互いに繋ぎ合わせていく、そのやり方によって規定されることとなる。それらの諸要素にうちのあるものは、まぐれもなく表象的なものであって、ともかくもはっきりとした表象的価値を有している。

・こうし新しい文献学が、諸言語(ラング)を特徴づけるため内部組織に関わるこれらの基準をいまや所有することによって、十八世紀が実践した階層的類別を廃棄した事情も理解されるだろう。かつては、表象の分析がより的確かより繊細かによって、他の言語(ラング)よりより重要な言語(ラング)の実在することが認められている。けれども以降、すべての言語(ラング)に優劣はなくなる。ただそれぞれが異なった内部の組織をもつのに過ぎない。そこからほとんど話されることもなく十分「文明化」される言語(ラング)に対する、あの好奇心が芽生えてくる。

・十八世紀には、語根は、そもそもの起源において具体的な物、直接的表象、視線あるいは感覚のどれかひとつに触れる対象を指示する、基礎的な名であった。

・言語(ランガージュ)はもはや、他の表象を裁断し組み立て直す力を持つ、表象のひとつの体系ではない。それは、もっともな恒常的なその語根において、行為や状態や意志を指示し、人の見るものというよりじゃむしろ、人のなすことあるいは蒙ることを最初から言おうと望むのであって、最終的には指によってのように物を指すことがあるとしても、それは、物がそのような行為の対象であり、手段である限りにおいてなのである。

・言語(ランガージュ)は表象を二重化するあの記憶というよりはむしろ、意志と力とから生じたものであろう。

・直接的比較というのは、純粋な表象、ないし全く原初的な語根をもはや経る必要がなくなったからで、語根の変様、屈折体系、屈折語尾系列の研究だけでいまやこと足りる。他方横向きの比較というのは、あらゆる言語(ラング)に共通のな諸要素にも、言語(ラング)がそこから素材を汲みとってくる表象的基盤にも、遡ることがないからで、それだけに、ある言語(ラング)を他のすべての言語(ラング)を可能にする形式役割原理に関係づけることはできず、たださまざまな言語(ラング)をその形式的近接関係にしたがってまとめればいいわけだ。

・古典主義時代における言語(ランガージュ)の秩序は、いまや再びそれ自身の上に閉ざされる。言語(ランガージュ)はその透明さと知の領域における主要な機能を喪失した。十七世紀と18世紀において、それは表象の直接的で自然発生的な展開に他ならなかった。表象がしの最初の記号(シーニュ)を与えられたのも、その共通の特質を裁断し区分けしたのも、まず言語(ランガージュ)にうちであった。言語(ランガージュ)とは認識であり、認識は当然のこととして言説だったのである。したがって、どのような認識との関係においても、言語(ランガージュ)は基本的状況のなかにあったわけで、言語(ランガージュ)を通してしか人々は世界の者を認識することができなかった。つまり、言語(ランガージュ)が存在論的錯綜の中で世界の一部となっていたからではなく(ルネサンスにおけるように)、それが、世界を表象する際における秩序の最初の素描だったからであり、表象を表象する際の最初の、しかも避けられぬやり方だったからである。一切の一般的範疇が形成されたのも言語(ランガージュ)の中でだ。古典主義時代の認識は極めて唯名論的だった。19世紀以降、言語(ランガージュ)hsそれ自身の上に折れ重なり、それ固有の厚みを獲得し、言語(ランガージュ)にのみ属する歴史と諸法則と客体性を展開する。それは、他の多くのもののあいだで、生物、富と価値、さまざまな出来事と人間の歴史、の傍らにあって、認識すべき客体となったのである。おそらく言語(ランガージュ)は固有の意味での諸概念に依存するものであろう。

ー客体となった言語(ランガージュ)

・文学は、次第に観念的な言説から区別され、根源的な自己完結性の中に閉じこもるか。それは、古典主義時代に文学を流通させえたすべての価値(趣味、快楽、自然さ、真実)から身を引き離し、それ固有の空間に、遊戯としての否認を保証しうるすべてのもの(破廉恥なもの、醜いもの、不可能なもの)を誕生させる。文学は、表象の秩序に合致させられた形態としての「ジャンル」のどのような定義とも縁を切り、自らの峻険な実在をーあらゆる他の言説と対立してー肯定する以外の法則をもたぬ、そのような言説の純然たる顕現となる。そのとき文学は、その言説が固有の形式を語る以外の内容を持ちえないかのように、もはや絶えざる自己反省のうちにそれ自身に回帰すると
ほかない。つもり文学は、書く主観として自己に向かうか、文学を生み出す運動の中で文学というものの本質を奪回しようと試みるか、そのいずれかなのだ。こうして、そのあらゆる糸は、もっとも鋭い尖端ー毒胃異で瞬時的な、しかもともかく絶対に普遍的なー書くという単純んs行為に向かって収斂する。いかなる言葉(パロール)としての言語(ランガージュ)が認識の客体となるとき、言語(ランガージュ)は全く反対の様相のもとに、白紙のうえに沈黙のうちに用心深く語をおく行為として再び姿をあらわすのだ。そこでは言語(ランガージュ)hs音声も対話者も持たない。自己以外語るべぃ何ものも、その存在の閃光の中で煌めく以外なすべき何ものも、持たないのである。

 

No.28 フーコカフェー ポストモダン的表象

・最後に飛び散った「作品』こそーその消滅が永遠にわれわれから古典主義時代の思考を遠ざけtsのであるがーまさしくそれらの核子の最初のもの、表象をまず自然発生的かつ素朴なかたちで表として展開することを保証した言説にほかならなかった。つもり、言説が表象の内部においてその最初の秩序化として実在sじ昨日することを中止した日以来、古典主義時代の思考もまた直接われわれの接近しうるものであることを止めたのである。

ー第9章人間とその分身

・古典主義時代における表象の仕組みといえば、ひとつは進んで、あらかじめ存在するその法則を『侍女たち』の絵の中に認めたがルネサンスかもしれない。そこでは、表象がその諸契機それぞれにおいて表象されているわけであって、その場合の諸契機とは、画家であり、パレットであり、裏返しされた画布の大きなくすんだ表面であり、壁にかけられたいくつもの表面であり、自ら眺めていながら自分たちを眺めている人々によって額縁にはめ込まれいる人物たちであり、最後に、表象関係の中央、その中心で、本質的なもののもっとも近くにあるーしかも、表象のもっともはかない二重化にすぎなくなるほど、はるかに遠く、非実在の空間の奥深くさしこまれ、よそに向けられているあらゆる視線とは無縁な、反映として、ー表象されているものを示す鏡にほかならないない。絵の内部のあらゆる線、とりわけ、中心にあるその反映からくる線は、表象され包んで不在であるものそのものを目指している。それは客体でありー表象された画家が画布のうえに写しつつあるものであるからー同時に主体であるー画家が自身をその制作を通じて表象しながら見ていたのは、画家自身にほかならず、絵に描かれている視線は、王というあの虚構の点に向けられているが現実にはそこに画家がおり、画家と至上のものとが瞬く間にいわば際限なく交代していくのの両義的場所の主人公こそ、最終的には、その視線が絵をひとつの客体に、あの本質的欠如の純粋な表象にと変形していく、鑑賞者にほかならないからだ。しかもその本質的欠如は、ほねを折ってこの絵を分解していく言説にとって以外、欠落ではない。というのは、表象された画家の注意、絵があらわす人物たちの敬意、裏から眺められる大きな画布の現存、そのためにこの絵が実在し、そのためにそもそも最初からこの絵が陳列されている、われわれの視線、そうしたものが証明してくれるように、その欠如は絶えず充足させられ、しかも実質的に充足させられれているからである。
ー王の場所

・古典主義時代の<エピステーメ>において、「自然(ナチュール)」の諸機能と「人間の本性(ナチュール)」の諸機能とが各項ごとに互いに対立していることに留意しなじければならない。すなわち、自然(ナチュール)」は、現実の無秩序な並置の仕組みによって、署存在の秩序づけられた連続体のなかに相違を浮かびあがらせるのであり、「人間の本性(ナチュール)」は、表象の無秩序の鎖の中に、心像の並列の仕組みによって同一のものを出現させるのである。

・実際のところ、表象の鎖は、そも保持する自らを二重化する力(想像と回想、そして比較を行う多様な注意の中における)によって、地表の無秩序の下に、諸存在の断絶しない連続面を再び見いだすことができるわけだ。はじめは成り行き任せで、現実に提示されるままの表象の気まぐれに委ねられている記憶は、少しづつ、実在するすべてのものの一般的表のかたちに固定されていく。そのとき人間は、自らの表象を表象する力を持つ言説の至上性の中に、世界を取り入れることができるのである。語るという行為の中で、というよりはむしろ(きー古典主義時代における言語(ランガージュ)の経験にとって本質的なもののもっとも近いところにある)<名指す>という行為の中で、表象の折り目としての人間の本性は、思考の線上の列を部分的に相違する諸存在の恒常的表面へと変形する。

・そのかわり、表象と存在の遭遇地点に、自然と人間の本性との交叉するところぬ、ー今日のわれわれが、人間という拒むえぬ謎めいた第一義的存在を認めていると信じるあの場所に、ー古典主義時代の思考が浮かび上がらせたもの、それは言説の近いなのだ。つまり、表象を行う限りでの言語(ランガージュ)の力ー物を語の透明さのうちに示しながら、物を名指し、裁断し、組み合わせて、結びつけてはほどく、言語(ランガージュ)の力だったのである。

・言説とはー諸存在が精神の視線に対して表象されるとき表象が諸存在をその真実において目に見えるものとするときー表象と存在とがそれを横切っていく、あの透明な必要物にほかならない。

Á l’âge classique, le discours , c’est cette necessité translucide à travers laquelle passent la représentation et les êttesーlorsque les êtres don’t représentés au regard de l’esprit, lorsque la représentation rend visible les êtresen lemur verite 
ーl‘home et ses doubles ,Foucault 

 

discours is that translucent necessity through which representation and beings must passーas beings are represented to the mind’s eye, and as representation renders being visible in their truth ー Foucalt

 

 

物とその秩序を認識する可能性は、古典主義時代の経験の中では、物の至上性を経ることとなる。語は、まさしく判読すべき標識(ルネサンス時代におけるように)でも、多かれ少なかれ忠実で制御しうる道具(実証主義の時代におけるように)でもなく、むしろ、そこから出発して、諸存在が顕現し表象が秩序づけられる、無色の網目を形成する。

・このような言語(ランガージュ)が西欧文化の中で語り続ける限り、人間の実存がそれ自体として問題とされるこtpは可能ではなかった。言語(ランガージュ)の中で結びつけられていたのは、表象と存在だったからである。
・言説はー17世紀に、それを企てる者の「われ思う」と「われあり」を互いに結び合わせたあの言説は、目に見える形で、古典主義の時代の言説の本質そのものであり続ける。言語の中で正当な権利をもってその中で結ばれていたのも、やはり表象と存在だったからだ。「われ思う」から「われあり」への移行は、自らに対して表象するものと存在するものとを互いに連接させることからその全領域とその全体性とが成り立っている。ひとつの言説の内部で明証性の光のもとに遂行されたのである。

まさしくそうして、表象は、生物にとって、必要にとってみ、語にとってみ、それらの起源の場としての、さらにそれらの真実の原初的拠点としての、価値を持つことを止めたのである。それらのものとの関係において、以後、表象は、それらを補足し復元する意識の中で多かれ少なかれ溷濁したかたちでそれらに答えていく、ひとつの結果以外の何ものでもなくなる。人が物に関して自身のために作り上げる表象は、もはや至上の空間の中で、物を秩序づける表を展開するわけにはいかない。

・かつて、表象と無限とに関わる<、および、形而上学>、生物と人間の欲望とその言語(ラング)の語との<分析>、その両者の相関関係のあったところに、有限性と人間実存との<分析論>、そしてそれと対立しながら(だが相関的対立関係において)、生命と労働と言語(ランガージュ)の<形而上学>を、成立せしめようとする不断の誘惑が生じるのが見受けられるであろう。

・そしてそうすることによって、起源を自身にもっとも近いところともっとも遠いところで思考するという、その無限の任務の中で、思考は、人間が、人間を存在させるものーあるいはそこから出発して人間が存在しているものー同時期のものではなく、人間を分散させ、それ自身の起源から遠ざけ、しかもおそらくは常に到来しそうで到来しない切迫の中で人間に起源を約束する、そうした近いの内部でとらえられるものであることを発見するだろう。ところが、そのような力は人間にとって外部にあるものではない。それは、絶えず再開される永遠の起源の穏やかさの中で、人間の外に場所を占めるのではない。なぜなら、そうだとすれば、起源は実際に与えられることになるであろうからだ。それこそ人間の固有の存在の力である。時間はーしかも、人間そのものであるこの時間はー人間がそこから発生した朝からも、人間に予告される朝からも、人間うぃ引き離す。こうした基本的時間はーそこから出発して時間が経験に与えられるこうした時間は、表象の哲学の中で作用してきた時間とは異なったものだ。かつて時間は表象を分散させたが、それは、時間が表象の線状の継起の形態を強制したからだった。しかし、表象は、想像の中で自己を復元し、そうして自己を二重化し、時間を制御することができた。

・心像が、時間をことごとく回復し、継起に対して譲渡されていたものをとらえなおし、永遠の悟性も知と同じような真実の知を構築することが可能にしたのである。けれども近代の経験においては、反対に、起源の後退はあらゆる経験よりも基本的ばものであるが、それは、起源にうちで、経験が煌めき、その実定性を明らかにするからにほかならない。物がそれ固有の時間と共に自らに与えるのは、人間がおのれの存在と同時期のものではないからである。そしてここに再び、有限性の最初のテーマが見出されるのだ。しかし、まず人間のうえへの物の張り出しによってー人間が生命と歴史と言語(ランガージュ)により支配されているという事実によっー告示されたあの有限性は、今やより基本的なレベルにおいて姿をあらわす。それこそ、人間の存在の時間に対するうちがたい関係である。

 

 

No.29 フーコカフェー ポストモダン的表象

・18世紀の末に表象の理論が消滅したとき、それらの線分は分裂させられ、機能とレベルを変え、その有効性の領域を変換したのである。古典主義時代のあいだ、一般文法は、言説の単純で絶対的に細い線のなかに現れながら同時性の諸形態実存と共存の肯定、表象される物の裁断と一般性の形成、語と物の起源における消し難い関係、修辞学的空間における語の転移)を想定していた言語(ランガージュ)が、いかにして諸表象の継起する鎖の内部に導入されうるか、示すことを機能としていた。反対に、19世紀以来発展してきたようなかたちでの人間の存在様態の分析は、表象の理論の内部には宿らない。その任務は、全く反対に物一般が表象に与えられうるか、どのような条件で、どのような地盤のうえで、どのような限界の下で、物が知覚のさまざまな様態以上に深い実定性の中にし方をあらわしうるか、示すことにあるわけなのだ。そしてその時、表象が開く大きな空間的展開を通して、この人間と物との共存の中で明らかにされるのが、人間の根源的有限性であえい、人間を起源から遠ざけると同時に人間に起源を約束する分散性であり、時間の避け難い距離である。(...)表象の理論があるかないか、より正確に言えば、その理論が第一義的性格をもつか派生的立場におかれるかによって、体系の均衡はことごとく変わってしまう。

・語幹の理論は、表象的語幹の分析と入れ代わり、最後に、転移の境のない連続性の求められたところに、諸言語(ラング)の横向きの近縁関係が発見される。別も言い方をすれば、物(表象されるがままの)と語(表象的価値を持つ)との関係の次元において機能してきたすべてのものは、言語(ランガージュ)の内部へ奪回され言語(ランガージュ)の内部的法則性を保証する任務を委ねられるのである。ー言説と人間の存在、第9章人間とその分身

・古典主義時代における言説の実在(表象の文句なしも明証性にもとづく)と、近代も思考に与えられているような形ふぇも人間の実存(近代に思考の許す人間学的反省をともなう)との間にある非両立性えおいまやあますところなく理解できるだろう。

・古典主義時代の思考が、物を表(タブロー)の形に空間化する可能性を、自己から出発して自己を想起し二重化し、連続的時間から出発して同時性を成立せしめる、あの表象の純粋な継起の特性に関係づけていたことに気づくはずだ。時間が空間を基礎づけていたのである。近代の思考においては、物も歴史と人間に固有の歴史性とも基礎に現れるのは、<同一者>を穿(うが)つ距離であり、<同一者>をそれ自身の二つの末端で
分散させ集合させる偏差である。近代の思考に対してつねに時間を思考することを可能にするのは、ー時間を継起として認識し、それを完成、起源、もしくは回帰として自らに約束することを可能にするのはーこの狭い空間性なのである。

・じじつ、もう少し注意して見るならば、古典主義の時代の思考が、物の表(タブロー)のかたちに空間化する可能性を、自己から出発して自己を想起し二重化し、連続的時間から出発して同時性を成立せしめる、あの表象の純粋な継起の特性の関係づけていたことに気づくはずだ。時間が空間を基礎づけていたのである。

・実のところ、問題は、それこそより散文的でより精神的でないことなのだが、指示、交換、もしくは言説をもつものとしての人間をそれ自身の有限性の基礎として価値づけようとこころみるに際して突き当たる、経験的=先験的二重性なのである。このような<折り目>の中で、先験的機能は、その有無も言わさぬ網目によって、経験的領域の動かぬ灰色の空間を覆い隠しにくる。逆に、経験的諸内容は、活気づけられ、少しづつ立ち直り、立ちあがり、その先験的たらんでとする思いあがりを遠くに運ぶ言説の中に直ちに包摂される。こうして<折り目>のなかで、哲学は新しい眠りを、<独断論>のそれではなく<人間学>の眠りをねむるのだ。経験的などのような認識も、人間に関わりさえすれば、そこで認識の基礎とその諸限界の規定と最終的にはすべての真実の真実とが明らかにされるはずの、ありうべき哲学的場としての価値を持つだろう。
ー8人間学的眠り 第8章 人間とその分身

 

ペンローズの『皇帝の心』が何を意味するのか私はよくわからないでいる。構造主義は消滅した。もはや神話の構造は表象に与えることはできない。そして18世紀末に表象理論が消滅したように現在はポストモダン思想の消滅が起きそうなのだが、物が表象に与える実定性が復活しているらしい。王の金ピカの衣装が王であるとされることは錯乱とされるだろう。代わって、リアリズム、神と皇位の連続性のような人間の起源が再び語られるのか。絶対的保守主義のなんという退屈

 

No.30 フーコカフェー ポストモダン的表象

・このような条件のもとでは、人間についての認識が、その科学的狙いにおいて、生物学、経済学、文献学とおなじ種子から生じた同時期のものとシテ現れるのも当然のことであって、人々はそこにごく自然に、ヨーロッパ文化の歴史の中で、経験的合理性によって果たされたもっとも決定的んs進歩一つを認めたのである。けれども、同時に表象の一般理論が消滅し、かわり、あらゆる実定的諸領域の基礎としても人間の存在(エートル)に問いかける必要が強調されたもである柄谷、一つの不均衡が生じざるを得なかった。人間は、そこから出発してあらゆる認識がその直接的で問題化されない明証性のうちにこうでされる。
ー知の三角形、第10章人文諸科学 フーコ

・というよりもむしろ、人間諸科学の対象は、この生物学的働きの裏面であって、その窪みによって示されるものにほかならない。人間諸科学の対象は、この生物学的働きの作用もしくは結果ではなく、生物学的働き固有の存在(エートル)そのものがおわるところ...すなわち、真実のものであれ偽りのものであれ、明晰なものであれ晦冥なものであれ、完全に意識的なものであれ何らかの半睡共通の深層のうちに束縛されたものであれ、直接観察しうるものであれ間接的に観察しうるものであれ、人間自身が言表するもののうちに提示されているものであれそれがどこにあるかただ外部からのみわかるものであれ、ともかくも諸表象が解放されるところーに、はじまるのである。言語中枢に結合される諸中枢(中枢、視覚中枢、運動中枢)もあいだに見られる大脳皮質内部の関係の探究は、人文諸科学には属さない。人文諸科学が自らの作用空間を見いだすのは、主体がおそらくは意識しないにも関わらず、そのおなじ主体が表象を所有しなければ指示されるべきいかなる様態を持たぬに違いない、語のあの空間、語の意味のあの現前もしくは忘却、人が語ろうと望むものと、語るべく目指したものがそこに投下される分節化との間の偏差、そうしたももについて人が問いかける直後のことだ。
より一般的に言って、人文諸科学にとっての人間は、独異な形態(かなり特別な生理とほとんど他に例を見ぬ自律性)をもつあの成分ではない。それは、自らがことごとくそれに属し、それによって自らの全存在(エートル)がつらぬかれている生命の内部から、諸表象を成立させる生物であって、その表象のおかげで人間は生き、そこから出発して、まさしく生命を自らに対して表象することのできるあの奇妙な能力を保持しているのである。フーコ

・人文諸科学が表象の次元においてそれらの科学をひとたびあげることがあるのは、むしろ、それらの科学をその外側の斜面の上でふたたびとらえ、それらに不透明さを残したまま、それらが分離するメカニズムや働きがそうであるところのものについて、このメカニズムや働きに問いかける、そのようにすることを通じてなのである。
ー人文諸科学の形態、第10章 人文諸科学 フーコ

・最後に、言語(ランガージュ)の諸法則と諸形態が君臨し、しかも、人間諸表象の戯れをそこに移行させることを人間に可能としながら、諸法則と諸形態がそれ自身の縁にとどまっている、あの領域においては、文学と神話についての研究、口頭のあらゆる顕示と書かれたあらゆる資料との分析、つまり、文化あるいは個人gsみずからについて残すことのできる言葉の痕跡の分析が、誕生するのである。

 

No.31 フーコカフェー ポストモダン的表象

けれども精神分析学は、精神分析的な言語(ランガージュ)と実践との極端に有限性の具体的諸形象を描く、<欲望>、<法則>、<死>を表象の堺に発見するため、感情転移という独異の関係を使用する。一方 文化人類学のほうは、西欧の<ラテイオ>が他のすべて文化との間に設定する独異の関係のうちに宿り、そこから出発して、文明の中で人間が、自分自身について、その生命について、その必要について、その言語(ランガージュ)のなかに寄託される意味作用(シニフィカについて、自らに与える表象を回避する。そしてそれらの表象の背後に、そこから出発して人々が生命の諸機能を遂行しつつその直接的圧力を斥ける諸規範、それらを通して人々はその必要を経験sじ維持する諸規則、それらを下地としてあらゆる意味(シニフィアン)が表象に与えられる諸体系が、うかびあがるのを見るわけだ。
ー第10章人文諸科学フーコ『言葉と物』

 

No.32 フーコカフェー ポストモダン的表象

言語(ランガージュ)が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語(ランガージュ)が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか?そしてそれが真実であるとすれば、現代の経験を、人間的なものの次元に対する言語(ランガージュ)の諸形態の応用と解釈することは誤りーそれがわれわれに対して、いま思考しなければならぬものを隠すであろうゆえに、根深い誤りとならぬであろうか?むしろ人間を思考することを放棄し、あるいはより厳密に言えば、この人間の消滅をーそしてあらゆる人間科学の可能性の地盤をーそれと言語(ランガージュ)というわれわれの関心事との相関関係において、十分思考しなければならないのではなかろうか?言語(ランガージュ)がふたたびそこにあるとすれば、かつて<言説デイスクール>の有無を言わさぬ統一性が人間性を維持していたあもおだやかな非在に、人間が立ち戻っていくであろうことを承認しなければならなくはないか?かつて人間は、言語(ランガージュ)の二つの存在様態のあいだにおける一形象にすぎなかった。というよりむしろ人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見える言語(ランガージュ)が、細分化されたかたちにおいてのみ表象ksら解消されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間に作りあげたのである。なるほど、これは断言しうることではなく、せいぜいのところ、答えることのできぬ問いにすぎまい。ただ、こうした問いを提起する可能性がたぶん未来の思考につらなっているということを知った上で 提起されたところに、こも問いを中断というかたちで残しておかなければならないであろう。

・わたしの母はドンキホーテ的で、全く知らない人をずっと知っていたかのように対しますし、息子のわたしをいつまでも他人に思うのですね。馬鹿と言ってしまえばそれっきりですが、どうしてそういうことが起きるかといえば、類似にもとづく同一性の知とフーコが呼んだものと関係したことが起きているのでしょう。ドンキホーテ的な母とかトンチンカンな上司は困りますが、ドンキホーテは天才です。わたしが一番尊敬する芸術家かもしれません。類似性が埋もれていて気がつかれることがなかったのに、全く関係のない時代の思想と思想を前提として結びつけることができるからです。未来を思い出すこと、これは復古主義の精神の本質かもしれません。
フーコはすこし難しいかもしれませんが、ヨーロッパの知について非常におもしろいことえお考えるのですね。人間は表象の知ー類似にもとづく同一性の知ーのなかにあってその内部に存在していましたが、記号の体制が優位となって結局表象の解体が起きたときに、言語と言語の端に近代の人間が現れたのです。言語が分散したとき人間が現れたならば言語が集中したら人間は消滅するかもしれません

ピケテイの主張は、市場が推進した問題は再び市場によっては倫理的に解決することは不可能だということです。政治が介入すべきだという考えです。
うまく書けているかわかりませんが、間違いもあるでしょうが、当時こんなことを書いていました。

owlcato's blog http://owlcato.hatenablog.com/entry/2015/09/30/120840

 

 

ポストモダンは、天皇制を反対していますが、モダニズムのようには反対しません。和辻哲郎は国体的な現人神の正統化を行っているのはモダニズムからです。また天皇制を受け入れようとしていますが、モダニズムが賛成しているようには受け入れることは考えていません。国家祭祀の禁止という形で象徴天皇制の成熟を願う意見もあります。
ポストモダンは、権威主義体制の全体主義からファシズムを差異化して、ファシズムを擁護したりします。胆汁には行かないのですね。ポストモダンが、反全体主義です。
理性批判と反理性は全然違うことは、説明の必要もないでしょう。どんな分割されているものにわたしは関心がありますから、理性と狂気の二項対立から考えます。理性を消した狂気は、狂気を消した理性と同様に、考えることはできません。デカルトがコギトについて「夢の中では..」と書いたように、理性の覚醒に絶えず狂気が現れるとフーコが分析した通りではないでしょうか。だから、反理性とは、たとえば、スターリニズム文革の知識人の全否定です。つまりファショですね。ただ、トルーズは、カフカ論で、文学機械における反理性の意義を語っています。しかしこれは、マイナー文学のための解体ー理性中心主義ぐらいの意味と解釈すべきだろうとおもいます。
思想闘争をなす言語的な言説の場以外に、ポストモダンの存在理由があるのでしょうか?それだけに、いくら芸術において批評精神的な作品を擁護するポストモダン的なものが確立できたとしても、絶対的保守主義の近代(国が安定すれば、神と皇位との連続性によるべし)に対する思想闘争を展開できないようではポストモダンは政治的に敗北だと思います。及び腰で逆らってやろうと思いますが、天皇ファシズムを批判的に問題にしなければいけないのに、ネットの大方も、ずっと、ナチス全体主義のことしか批判しないのですね。それでヨーロッパのポストモダンを理解できるが、天皇ファシズムを批判した日本のポストモダンはわからないでしょう

 

補追

 

そしてニーチェがわれわれのために開いた哲学=文献学的空間に、いまや言語(ランガージュ)が姿をあらわし、その謎めいた多様性を制御することが必要とされるであろう。そのとき、おびただしい投企(妄想かもしれない。さしあたってだれがそれを知ることができようか?)としてあらわれるのが、あらゆる言説の普遍的形式の諸テーマであり、同時に世界の完全な非神話化でもあるような全体的釈義の諸テーマであり、記号の一般理論の諸テーマであり、さらに、あらゆる言説を唯一の語に、あらゆる書物を一頁に、全世界を一冊の書物にあますところなく変形して吸収するとくテーマ(多分歴史的に見て最初のものだった)にほかならない。マラルメが死に至るまで一身を捧げた偉大なる作業こそ、われわれを今日支配している作業なのだ。つまり、言語(ランガージュ)細分化された存在をおそらくは不可能なひとつの統一の拘束のもとにつれ戻そうとする今日のわれわれのあらゆる努力を、それは辿々しいものであったとはいえ、心の中に包み込んでいるのである。可能なあらゆる言説を、語の束の間の厚みのなかに、白紙の上にインクで書かれるあの厚みのない物的な線の中に、閉じこめようとするマラルメの企ては、事実上、ニーチェが哲学に対して解決を命じた問いかけに答えるものだ。ニーチェにとって問題は、善と悪がそれ自体何であるksではんsく、自身を指示するため<アガドス>、他者を指示するための<デイロス>という時、だれが指示されているか、というよりはむしろ、<だれが語っているのか>、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説を<する>者、より深い意味において、言葉(パロール)を<保持する>者の中においてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いに対して、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける心もとない存在だ、と述べることによって答え、自らの答えを繰り返すことを止めようとはいえしない。ーフーコ

Et voila que maintenant dans cet espace philosophique-philiologique que Nietzsche à ouvert pour nous , le language surgit selon une multiplicité enigmatique qu’il faudrait maitriser. Apparaissent alors, comme autant  de projets( de chimères, qui Prut le savoir pour l’indtant?), les thèmes d’une formalization universelle de tout discours, ou ceux d’une exégèse integral du monde qui en serait  en même temps la parfaits démystification, ou ceux d’une théorie générale Fès signed; ou encore le thème (qui cut sans flute historiauement premier) d’une transformation sans reste, ,d’une résportjon intégrele de tout les discours en un seul mot, de tous les livres en une page, de tout le monde en in livre. Le grand tâche à laquelle s’est voué Mallarmé, et jusqu’a la mort, c’est elle qui nous domine maintenant; dans son balbutiement, elle envelope tous nod efforts d’aujourd’hui, pour ramenèr à la constraints d’une unite  Prut-être impossible l’être morcelé  du language. L’entreprise de Mallarme pour enfermer tout discours possible dans la fragile épaisseur du mot, dans cette mince et matérielle ligne noire tracés par l’encre sur le papier, répond au fond à la question que Nietzsche prescrivait à la philosophie. Pour Nietzsche, i’ll ne s’agissait pas de savoir ce qu’étaient en lui-mêmes le bien et le mal, mais qui était désigné, ou plutôt qui parlait lorsque, pour se désigner soi-même, on disaster Agatha’s , et Deimos pour désigner les autres. Car c’est là, en celui qui Tientsin le discours et Prius profondément détient la parole, que le langage tout entire se rassemble. A cette question nietzschéenne; qui parle? Mallarmé répond, et ne cesse de reprendre sa réponse, en disant que ce qui parle , c’est en sa solitude,en sa vibration fragile, en son néant le mot lui-mêmeーnon pas le sens du mot, mais son être énigmatique et précaire.