漢字論

‪他者を罵倒する幻想、ヘイトスピーチ。どうしてヘイトスピーチがおきるのか ?この他者を罵倒する幻想が幻想を生むのは、『古事記』みたいなものを読むからではないかと思っていた。そんなに単純なことではない。たしかに現代語訳を読めば、他者を罵倒する一国主義的幻想の近現代をもつことになるかもしれない。ヘイトスピーチの背景に、言語支配者である表現する他者が与えてくれた漢字を発展させてきた感化の大きな運動の意味が十分に理解されていないことから生じる問題があるのではとおもう。『日本書紀』『古事記』は読めない漢字書記テクストである。12世紀の朱子のテクストが読めないのだから、千年以上前のテクストであるそれらを読むことはもっと困難だろう。漢字のせいで読めないとわれわれはおもう。しかし読むとは何であるか?考え方によっては、言語支配者(中国)から与えられた漢字のおかげで、われわれは考えることができるようになった。漢字を読む工夫から、漢字仮名からなる日本語が形作られてくる。漢字受容から千年後に、天皇・貴族・寺社に独占されていた学問を町人と農民が行う。市井の学者さんであった儒者達は注釈を書いた。漢字仮名による思考が成熟してくる。これが本当の意味で漢字を自分たちのものとして読むことである。ここにオリジナリティがある。もちろん本居宣長のように大和言葉と古代人の心を想定することは可能である。大和言葉も古代人も思考の方法である。ところが近代主義のもとでこれらが思考実体化される。問題は、近代の物の見方を共有するナショナリストは古代人の心が住処としていた言葉をオリジナリティとするような幻想をもつことにある。ナショナリストは『古事記』という漢字テクストから考えることをしない。漢字によって日本が日本であるオリジナリティは破壊されたのだから。ただし津田左右吉ナショナリストでありながら皇国史観の批判を徹底的に行った。