「‪われわれ物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく... 」

「‪われわれ物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく...」


解釈の解釈はなんのために行われるのか?それは、読む人間が依拠できる究極の原初的テクストの存在をもとめているとする説明がある。朱子学の言説から言葉を奪回しようとして、注釈の任務を通じて、依拠できる天の思想が近世の儒者によって読み直されているのである。「すでに言われたはずの事柄を言い直すことをもっぱら目的とする未来の言説のなかではじめて真実を表明する」。「だが、このきたるべき言説自体、みずからのうえにとどまる力をもたず、その言わんとするところを、一種の約束として閉じこめたが、さらにべつの言説へと遺贈するのである。その定義からして、注釈の任務はけっしておわることはない。」「われわれは物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく... 」。と、フーコにおいて分析されたように、本居宣長の仕事は、古文辞学荻生徂徠から影響を受けることになったのは必然である。(子安先生は宣長は徂徠の一番弟子であると指摘なさっている。) 宣長は『古事記』に拠れというときは、中国文明からの自立を主張するためにだったのだろうか。アジアの危機をもたらした西欧列強の時代に、言論の自由がないなかで、徳川日本に何か言うとしたら、漢字の思考を批判する言葉しかなかっただろうかとわたしは想像してみる。彼は開かれた解釈の解釈を可能にする漢字書記言語を否定した。問題は、そうして『古事記』は(想定された)「大和言葉」に同一化される可能性がでてくること(あくまでも可能性の話。) そのとき漢字は「借り物」に過ぎない。ところが近代主義は一見して同じ類いの同一化によって、ただし遥かに陰険に、非難されるべき宣長の思考に原理主義の存在を同一的に指示する。大和言葉が実体化するのは、宣長の思考形式を思考実体化することによってである。自ら実体化した思考を前にして、われわれはかくのごとく「合理性」の否定、したがって普遍の否定に導く原理主義(教説)に抗議すると近代は語るようである。ポストモダン多元主義はこの近代主義の普遍を批判する。漢字論の言説の運動として読み直すときわかってくるのはこういうことである。近代の普遍の同一化の見方からはみえないが、宣長がやったことは差異を差異化することだったのである。‪共同体が依拠できる絶対の原初テクストをさがしたのである。


最後に、本居宣長近代主義からは一言で言えば<困ったやつ>とされてしまった。その本居宣長を擁護することは、近代主義を批判することである。近代主義はこれを許さないのは、<困ったやつ>としかみれない自分の物の見方が批判されたくないから。宣長を非難する近代主義者が、宣長擁護を宣長批判と烙印を押す。これは何だろうか?‬