鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?

鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?


安倍応援団の日本会議の問題は、どういう国にしたいのかという理念性を拒否している点にあると思うのです。残念ながら思ったほどには左翼からも声がきこえません。ヨーロッパ諸国は戦後、平等と多様性を重んじてきました。権利のない社会に反対してきました。「鎖国」をして非常事態体制でも権利のある社会を壊しているようにみえないのです、個人に補償をしています。市場至上主義も停止です。平等を重んじつつ、文化多元主義を保とうとしています。ところが安倍日本は、非常事態宣言もしていないのに、どんどん権利のない社会を作っている感じです。ウイルスとの闘いなのに、まるで権利に対する闘い(権利を抑圧する)をやっています。多様性を破壊しています。また平等に関しては、多国籍企業を規制するためには、一国主義ではやっていけなくなってきた、グローバルデモクラシーの時代にいかにやっていくかについての理念が要請されています(本来「要請」はこんな意味ではないでしょうか。) 現在はやむを得ない鎖国となりそうですが、実は日本は鎖国がはじめての経験ではありません。近代からは悪い評価しかきかれませんが、鎖国の時代に学問と教育と文化が開花したのです。識字率はヨーロッパよりも高かったのです。鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?人びとは学んだのです。ウイルスの問題が解決したときに、国をどう開いていくかを考えて準備するときです。現在のように五輪ばかりにとらわれていたのではそれこそ本当に「鎖国」‪の自国中心主義に陥ってしまいます。