MEMO

ゴダールは、『新ドイツ零年』(Allemagne année 90 neuf zéro、1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵として、かつて東西を分断した境界を超えていくドン・キホーテの分身として呼び出している。ドンキホーテにとって、類似の徴は至るところに。戦争と国家とはそれほど別々のものではない。しかし同一性の時代にあって違いがわからないドンキホーテは笑われる。戦争は戦争、国家は国家である。『新ドイツ零年』はニューヨークで見た。衝撃だったのは、戦争という国家悪を外へ追いやるのではなくて、映画と現実とが溶け合う映画の諸々の断片によって形づけられた回想を通して、戦争国家を自己の内部に掘り起こすかのような編集である。大熊信行の言葉を考える。国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が国家を超えた実在である、そうでなければ、国家悪を超える思想領域と精神領域へ歩み入ることができないと訴えるかのように。‬


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ポストモダンは近代知識人に対してもつネガティヴなイメージをもっている。このことは‪、ポストモダンが68年の運動から転身したという事情から説明できるだろう。百年後は、20世紀に生じた知識人の全否定はイコール全体主義だったと思い返されるとき、だからポストモダン全体主義に抵抗できない思想だったと表象されてしまうのかもしれない。しかし思想史はそれほど単純ではない。さて知識人の漢字エクリチュールへの依拠を批判した、従って総体として知識人を全否定したラディカルモダニズムだけが皇国史観を批判できた。この津田左右吉のような普遍主義か普遍主義でないか曖昧な位置と機能は近代主義からはみえない。だがポストモダンからはみることができる。なぜならそれは、“普遍主義である”<と>“普遍主義でない”をみとめるような思考の柔軟性をもっているからである。20世紀の思想史に記述されるべきだろう‬



Impossible


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「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし」あるいは「われわれ」と言えず、主体の形式をとることができないというのである。この自己にあっての差違がなければ、文化や文化的同一性は存在しない。」(デリダ『他の岬』)


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 ‪

2021年7月の東京五輪の開催までにコロナの収束は国家的事由である。世界はもっと数えろという。数えないためには、日本における例外主義の神話を言い続けているのだろうか?



Man has not been able to describe himself as a configuration in the episteme without thought at the same time discovering , both in itself and outside itself, at the borders yet also in its very warp and woof, an element of darkness, in apparently inert density in which it is embedded, an unthought which it contains entirely, yet in which it is also caught. ーFoucault


思考が同時におのれの内と外に、その外縁に、しかもそれ自身の横糸と交叉するかたちで、夜の部分を、思考の束縛されている一見して動かない厚みを、さらに、思考にことごとく含まれていながらまた思考をとらえている思考されぬものを、発見することなしには、人間は、<エピステーメ>のなかの布置として描きだされることはなかった。ーフーコ『言葉と物』渡辺一民


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バタイユブランショアルトーとクロソフスキが蘇るというか、フーコは文学的な文体をもっている。原文と読み比べる日本語訳ではっきりわかる。フランス語は日本語だと言っていた人が翻訳した。『言葉と物』の英訳は文学的文体が無い。だが英米で中国学生が読む。彼らの認識の仕方を考えるのは面白い


ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。どうだろうか?「ゲルマニカ」のピカソも動物を描くが、現代アートにおける最後の表象性というか。スペインに行って見ると感動する(ピカソはキュビニズムの抽象化を切り開いたが、どうしても「美しい」スペイン人の顔を描きたかった)。ベーコンには、記号のある夢はない。トラウマテックな言説の反復というか、フロイトを読んではじめて感動する本ではないか。


推敲中

ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。ベーコンの絵画は、存在が表象にすんでいる西欧の伝統の枠を出ないようにみえるが、存在は小動物との出会った事件に遡るだけであって、それ以前に遡っていくことはない。存在は失うために失われる。比べると、「ゲルマニカ」のピカソの場合は、描かれるのは人間化した動物である。そして存在の日付をスペイン市民戦争の前においている。民衆の顔の至上性を書くのは物である。物ならば無限にさかのぼることができる。物が可能にしてくれる。ほかならない、始原にこそ失われることのない人類の起源がある。しかし物によって至上性を与えられているというのに、人間はそこでますます失っていくのである。


推敲中


荻生徂徠『弁名』


(子安先生訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている。それゆえ統治は君主の力に頼り、養育は人民の力に頼り、農工商買(しょうこ)がみな相互に頼り合って生活をなすのである。群としての集団を離れ、無人の郷で独立して生活することができないのは、それがただ人間の性質だからである。君主とは群としての人間集団の統率者である。君主においてその統率を可能にするものは、仁に非ずして何があるだろうか。」

ここでは君主と人間の集団性が言及されている。‪「君なるものは群なり」といわれるところの、人間の集団性とその統率物の存在との分かち難い関係の意味は何か。ここで子安先生は徂徠を理解するために荀子を引く。「君とは何ぞ。曰く、能く群するなり。能く群のするとは何ぞや。曰く、善く人を生養するなり」。「君なるものは民の原(みなもと)なり。原の清めば則ち流れも清み、原の濁れば則ち流れも濁る」。仁斎が『孟子』を読み直すことで、「聖人の道」をめぐる仁斎の言説体系を構成することに対抗的に応じている、と子安先生は指摘している。 ‬徂徠の言説と仁斎の言説が宿る近世の言語は絶えず注釈によって自身を顧みる。テキストの絶対的先在による。"il faut le préable absolu du texte‬"(Foucault)


デリダの翻訳は、わかってない人がやった翻訳のようですね。デリダをわかっている高橋哲哉のおかげで読めるようになりました。問題は、わかっていない人による翻訳は翻訳権で保護されてしまうことです(たとえば、『グラマトロジー』の翻訳ですね)。改められることが難しいのです。不思議なことに、日本には右翼のデリダ主義者(!?)が多いのです。デリダを読んでナショナリズムにいくことはあり得ないのですが、これは、問題のある翻訳の悪い影響によることだとおもいます。ヨーロッパではポスト構造主義とポストコロニアリズムは密接に繋がっていて、ナショナリズム民族主義の言説に絡みとられることはあり得ないです。が、どうも日本ではそうではありません。デリダをわかってない人の問題のある翻訳を読んで民族主義的となった人たちがポストコロニアリズムを読んでナショナリズムへいくのです。

フーコの原文と、フーコをわかっている渡辺先生の日本語訳と英訳をいっしょに紹介していこうとおもっています。とくに、言説discours を理解していないと、フーコを理解できません。中村雄二雄は、わかっている人ですが、言説を「言語表現秩序」と訳してしまう問題がありました。そういうこともあって、日本では、近代を批判的に相対化する鍵となる、言説discoursの概念の理解が定着していません。

ついでに、ドウルーズの翻訳も最初から問題があったのですが、Deleuzeをわかっている宇野邦一のおかげで読めるようになってきました。ただしドウルーズの理解について言えば、正しく翻訳されたフーコにかかっているとおもいます。<一>的多様性という多元主義の思想を、一に還元される多元主義(全体主義?)にしてしまうのも日本だけではないでしょうか。

子安先生の全集が出るなど、現在の中国はポストモダンの思想がはじまっているようです。言説の語は中国語にもあるのですが、これは意味が違います。おおまかに言えば、学者の議論というふうに理解してみるのもいいでしょう。学者の議論は学者が読むのですが、学者でない市民が読んだらどういうことが起きてくるのか?これがフーコの視点でしょう。ちなみに江戸時代の学者さんは市民に近いです。江戸の儒者は士大夫ではありません。天皇・貴族・寺社が独占していた学問が町人と農民に解放されて、市井の自発的に学んだ人たちです。


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‪言説は言語に宿るので、作品において言語のある部分を差し引くと、言説性が露呈されるのかもしれない‬


コラボで勘違いしている安倍にチコちゃんもイカってるよ、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


«The plane of immanence is not a concept that is or can be thought but rather the image of thought, the image thought gives itself of what it means to think, to make use of thought, to find one’s bearings in thought.»

-  Gilles Deleuze and Felix Guatarri, What is Philosophy



鎧戸


『言葉と物』は、‪主体と客体、鑑賞者とモデルが永遠にその役割を換え続けていく様子を書くのだけれど、『監獄の誕生』において見るものと見られれるものの関係をかく書き方は、『言葉と物』のそれとは別である。人間はコミュニケーションの主体になろうとするが、情報の客体の側にいる。空間の分割が鍵である。

昔読んだ本なので記憶があやしいが、思い出しながら書いてみよう。『監獄の誕生』を読んだとき面白いと思ったのは、フーコは監獄から話しはじめたのではなかったからである。その前に、ペストのときの隔離とか、動物園のことを書くことによって、空間はいかに分割されていくのか分析している。

この本に分析されている一望監視方式の監獄は、ダブリンにある。植民地時代の監獄を博物館にしている。天井の光は善の光であり、それと同時に、大英帝国がもたらす光であったわけだ。こんな所では冬は寒くて凍え死んでしまうだろう。それぞれの独房の囚人たちは少しの熱を感じようとして天井を見上げたに違いないと想像する。一望監視方式の監獄は動物園のように公開を前提とした監獄である。ここを訪れた人々は、どういう罪を買えばどんな罰を支払わなければならないということがはっきりわかる。罪と罰は商品と価格に対応しているというわけだ。いつでも鎧戸を開けて中の囚人の様子を見ることができるようになっている。これは恐ろしいことだ。囚人はいつでも監視されていてだれが監視しているかわからない。鎧戸という実に簡単な仕掛けで監獄のコストを最大限に低くできるという。

フーコによれば、言説的なものー「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義の善と悪を計算するアイデアーが建築に反映されているかといえばそうではないという。言説的なものと可視的なものは互いに独立しているとフーコはみる。

フーコはフランス革命の近代を考える。フランス革命後はアナーキズムと国家秩序との間に揺れ動いた。1789年のフランス革命は完全な革命ではなかった。革命はクーデターの軍国主義にとらえられてしまう。それは明治維新の場合とおなじといえるだろうかいまわたしは考えているのだけれど。軍国主義の規律と訓練が国家の秩序にとって都合のいい従順な身体を作り出していくに違いない。これは学校のモデルとなる。問題は、監獄の外部は一望監視方式の監獄の内部と違いがなくなっていくことをどう考えるかである。監獄の外部もだれが見ているのかがわからない。監視の権力に中心はない。現在はメッセージをネットワークに送るときにコミュニケーションの主体になろうとして他者を望んでいるが、現実は生活の隅々まで見られている情報の客体となっていて相互監視の網目を築いている‬。これについては、21世紀のアジアでの新しいコンテクストで考えることになりそうである


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元祖寸劇

ネコ(溜息)「あーあ、嫌なことばかりじゃない?」

フクロウ「ホー、いいこともある」

ネコ「ニャーニ、それは?え、教えて!」

フクロウ「天気だ」


推敲中



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


「弁名」


‪(子安訳)「しかも先王は聡明叡智の徳を備え、礼楽を制作し、道を定立し、天下後世をしてこの道を最上の規範として由らしめたのである。後世の君子たるものはこの道を奉じて、天下にこれを規範として行ったのである。先王は聡明叡智の徳を有するというが、その徳をこのように道の定立に用いずしてどこに用いることがあろうか。しかも先王における道の定立は、仁すなわち安民の徳をもってするのである。それゆえ先王の制作になる礼楽形政は、いずれも人すなわち安民の目的をになわないものはない。このようにあるならば仁を奉ずる人でなくして、だれが先王の道を行うことを己れの任務とし、安民の課題を果たすことができようか。それゆえ孔子の教えは、仁を至上とし、その「仁に依る」(『論語』述而)ことを務めとしたのである。聖人の大徳である仁に依拠することに務め、だが聖人となることを求めないのが古えの道であったのである。孟子が、「仁は人なり。合わせてこれをいえば道なり」『孟子』尽心)といっている。仁の大徳に依拠して徳をわれに為すことで、仁をもってする先王の道とわれとは合一するのである。これは古来伝来の説である。」‬


「聡明叡智とは聖人の徳である。徂徠において制作者としての先王が聡明叡智の徳を有する聖人だとされる。したがって先王が聡明叡智という聖人の徳をもって道を制作するのである。何にもとづき、いかにして道を制作するかという、制作するゆえんは、聡明叡智を称される先王(聖人)のみ知るところである。聡明叡智とは 、一般的な知と隔絶した超越的な知である。... 制作者である先王はさらに仁という安民の大徳を備える存在である。先王による礼楽刑政とく道の制作は、この仁の徳をもってするものであり、その制作行為はすべて安民というテロスに貫かれている。後世の人が先王の道を奉じて行うことも、道を貫く安民のテロス(仁の理念)をいまここで実現することだとされるのである。」(子安 『徂徠学講義』)



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


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「夢」や「数」、それに「水」というものにとても強く影響されています。「夢」という不定形なものへの欲望と、「数」の定形を目指す意志との衝突がぼくの思考を生きた持続あるものにするのですが、「水」はこうした対立概念の統合されたものとしてあるんです。ー武満徹


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Le plan d’immanence n’est pas un concept pensé ni pensable, mais l’image de la pansée, l’image qu’elle se donne de ce que signifie pense, faire usage de la pansée, s’orienter dans la pensée ...

ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?


‪Les concepts sont des événements, mais le plan est l’horizon des événements, le réservoir ou la réserve des événements purement conceptuels; non pas l’horizon relatif qui fonctionne comme une limite, change avec un observateur et englobe des états de choses observables, mais l’horizon absolu, indépendent de tout observature, et qui rend l’événement concept indépendant d’un état de choses visible où il s’effectuerait.‬


‪Concepts are events, but the plane is the horizon of events , the reservoir or reserve of purely conceptual events: not the relative horizon that functions as a limit, which changes with an observer and enclose observable states of affaires, but absolutely horizon, independent of any observer, which makes the event as concept independent of a visible state of affaires in which it is brought about. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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‪Le plan d’immanence n’est pas un concept, ni le concept de tous les concepts. Si on les confondait, rien n’empêcherait les concept de faire un, ou de devenir des iniversau et de perdre leur singularité. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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rory end to the regginbrow was to seen ringsome on the aquaface. ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘


roryは、「赤い」のアイルランド語、またroridusは、「露を帯びた」の意のラテン語。またダブリンの小劇場でみた’Making History’( 『歴史を書く』)、イングランド王ヘンリー二世に破れた最後のアイルランド王、ロリー・オコナー(1116?ー98)が暗示されているのか?


英国首相ボリスはネオリベに対する闘いを台無しにした男であるが、NHSと外国人医師二人に示した深い感謝の言葉は嘘ではないだろう。再び社会をぶっ壊したらまた感染してほしい


ハンナ・アーレントはこう語りました。「世界の安定性は芸術の永続性の中で透明になったかのようである。そしてその結果、不死性が触れる形で現れ、輝き、音を発し、語っては読まれるようになったかのようである」(『人間の条件』)。この国は芸術が無くなったら何が起きるのでしょうか?生存の手段に隷属した死の物質的支配に覆われ、輝きはなく、音を発し、語っては読まれることはなくなるでしょう。


‪It is as though wordly stability had become transparent in the permanence of art, so that a premonition of immortality, not the immortality of the soul or life but of something immortal achieved by mortal hands, has become tangibly present, to shine and to be seen, to sound and to be heard, to speak and to be read. ‬

‪ーHannah Arendt‬


推敲中


「天」の意味と知識人が語る「天」の意味は同じにあらず。知識層から知識人となっていく方向づけにおいて、同様の普遍主義的な語り口とはいえ、仁斎と徂徠の差異から近世思想史の言説的曲面をかくことができよう。徂徠の謂わば「一番弟子」であったと考えられる宣長とて、この儒家言説の枠組みに接すると理解できる。篤胤は反知識人的だけれど、だからといって近代主義が烙印を押したようにそれほど反普遍主義といえるのだろうか?問題となってくるのは、篤胤の世界は先行する全ての言説的曲面の"正しさ"を疑う点でメタレベル的に普遍主義に属するという風に言えるのではないかという点である。


柄谷の「交通」から他者はどこに消えてしまったか?

ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか


他者との関係をいう「交通」の概念。マルクス「ドイツイデオロギー」に出てくるこの概念を、柄谷行人マルクスの可能性の中心に置いた。しかしそうして、柄谷氏はカントから学ぶよりも、「資本論」の読み方を教えてくるようになったのではなかったか(われわれは、「教える」という漢字は「鞭」の形と関係していると考えている。)「交通」は「交換様式」として投射される。しかし現実には彼の「交換様式」からは他者ー思考できないものーが消されていく。思考できるもの(<一>)と、思考できるもののなかで思考できないもの<多様なもの>を切り離して、両者のあいだの距離をできるだけ大きくする。つまり柄谷氏の「交通」の知は、透明な帝国の「交通」の言説に置き換えられていく。つまり他者に開かれたはずの「交通」は、他者を閉じ込めて同一化していく相互監視の体系となってしまう。そこに市民の経験が語られているだろうか?子安氏はこう指摘している。日本知識人による「〈儒教〉の〈世界=帝国〉性の主張は、東アジアの多様的文化、知識を一元的〈帝国〉的文化として包摂して行く〈帝国〉的イデオロギーの先駆的主張である。」これは、柄谷言説から影響を受けてくる現在の思想空間が、多様性の方向性をもつ<一的多様体>の理念性を、『資本論』の読み方を教える思考可能な<一>でしかないものにする言説の形成をみてとれる。これがいかなる危険性を孕むか。それに対しては、「ポストモダン孔子」(子安氏)の方向性をもつ市民の経験の多様性を学ぶことが大切だとおもう。


ナチスの手法を真似て、首相はマスクをしたゲッベルスだし、官房長官は正されるアイヒマンであるが、ヒトラーがいない(米国と中国にいる。)これでは4割だし左翼も立ち上がれない


‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)についてまず言わなければならないことは、「『軽蔑』はゴダールの映画である」、と同時に、「『軽蔑』はゴダールの映画ではない」。プロデューサーは映画にブリジット・バルドーの裸体の映像を求めたとき、ゴダールは映画から自分の名前を消すことを条件に了解したという。

ギリシャ神話「ユリシーズ」の海が枠付ける映像の系列。登場人物達は生活しているときに、ラングが語るヘルダーリンの詩の意味を理解できなくとも、神が支配する無意識に住んでいる。

『軽蔑』はブリジット・バルドーモラヴィアである。ギリシャ悲劇みたいな不条理な死が起きる、バルドーの身体は何を意味していたのか?身体は空間に属しているのだろう。この空間はそれほど空間ではない。空間的であるというか、そこは神の支配が貫徹した全領域の部分ではなかった。



ゴダールの『探偵』(Détective 1985)は、コロナのおかげでこの映画に気がついたというか、部屋のなかだけで事件が解決されなければならない。事件と言ってもね、ゴダールの初期の映画とは全然違っていて、まるで空間の中からその内部に沿って空間自身を語るような停滞と落ち込みと疲労感。何もないのだけれど、そこに思考のイメージが成り立っているのかもしれない。思考の存在を表象するためには、思考が綴られる平面(ベッドのうえ)を思い浮かべる必要がある。思い描いてもね、ゴダールの映画を見たときの感じとおなじで、いつも期待外れなんだけれどね



ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)。この映画には文化大革命の政治的災害は存在しない。ブルジョワ学生が集まるマオイズムの部屋で起きる偶像崇拝と、映画による偶像破壊(確立された映画をみる見方のなかでそれとは異なる見方も含む)との奇妙な分節化。68年前夜に現れたこの映画は「明確な映像に曖昧な言葉をぶつけよ」というように、単に自己否定を呼びかけただけではなかった。観念的な自己否定の曖昧さを明確にするような、精神の従属させてくる社会に対するネガティヴなイメージをはっきりもつことの重要性を訴えていたとおもうのである。


1、Ces jeunes gens représentent, comme autrefois les personnages des Bas-fonds de Gorki, 5 niveaux particuliers de la société. (JLG, 1967)


推敲中

ゴダールの天と地の間を語る形而上学においては、天から平等に物にロゴスが与えられる。「映像」も「言葉」もロゴスをもっている。だけれど「明確な映像と曖昧な言葉」(『中国女』1967)といわれる。ここでは映像そのものと言葉そのものとの関係について考えられているとしよう。すると、映像(明確な秩序)は完全な同一性で、言葉(曖昧な秩序)が不完全な同一性とされているのはどうしてなのか?平等ではないではないか。同一性と相違性のフレームにおさまらない、意味作用をもった不透明な外部の思考が存在すると考えようとしているからではないか?‬それは映画と呼ばれる...


死んだ芸術家は愛される。常に、生きている芸術家が追放されてきた。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと


プラトンは詩人の追放を考えていたのは有名な話。どうも芸術それ自身を否定したのではなくて、表象に依存する芸術のあり方を考えていたのか、コンセプチュアルアートへの道であるとおもわれる


現場から考えることは大切。ところが危機の時になると「頑張ってるんだから批判するな」っていう紋切り型の言葉がでてくる。極端にいくと、天皇ファシズムのときも文革のときも、際限なく頑張った。「頑張る」エートスに、ラディカル・モダニズム永久革命があるが、これが齎した政治災害の問題を考えていない



‪「津田はいうのである。『王政復古』クーデターが「天皇親政」を騙った明治政府を可能にしたのだと。昭和の天皇ファシズムによる軍事的国家の成立を「王政復古」維新と無縁ではないと考える私は、津田の維新をめぐる論考を大きな助けとして「明治維新150年」を読み直したいと思っている」(子安宣邦氏‬、講座「明治維新の近代・1 」4月14日)


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‪ブレア労働党サッチャーリズムの先駆が八十年代のフランスの左翼と右翼の連立政権で、ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていたといわれる。『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)の物語のメインストリームは、ゴダール本人が演じる「白痴公爵殿下」。(『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(1993年)でも同じ役柄を演じることになる。)殿下が手にするドストエフスキー『白痴』の主人公ムイシュキン公爵からの引用であるが、この名はニヒリズムと嘲弄の時代の感情をあらわすように読める。右側のなかで、反証の精神が眠りこけた国家、無能で売れない落ち目の芸人たちに率いられる滑稽さと言ったら...。クルクルまわってめまぐるしく連続衝突するだけで、自己否定的な理念の運動もなくなった記号は、フランスの腐敗を描こうとしているが、果たしてフランスだけなのか


“Despite the virus’s highly infectious nature and our proximity to its source, we have prevented a major outbreak. As of April 14, we have had fewer than 400 confirmed cases. This success is no coincidence,” writes President of Taiwan Tsai Ing-wen ーTIME



気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)は、ゴダールの「東風」においてみられる東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたことが言われるように、ロマネスク風ミュージカルに誘われる溝口映画を喚起する道行の旅がある。映画はルノワールの生き方を物語る。美学的な問題提起が映画を貫く。黄昏と透明を重ねあわせた、画家ベラスケスが言及される。沈黙の交響曲が言説そのものを打ちまかす。そして根拠を問うコスモスは、イメージの傍らに佇む無(反コスモス)を利用して、事物の分節化されないあり方を探究して自らを再構成する。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと。映画のおどろくほど単純で純粋な詩は絶対を語る。地中海の死と太陽の島が映画のすべての歴史と等価の大きさをもっていた。必然として、アルチュール・ランボーの詩「永遠」が朗読される。と、われわれは『山椒大夫』の島々にいるー


ゴダールリア王』(King Lear 1987)


ニ十世紀は映画の世紀といわれていたように映画の徴は至る処にあったが、21世紀にはいってから古典的傑作は急速な勢いで忘却されることになった。このまま映画はついに見えないものとなるのだろうか。映画が記憶から追放されるとともに、「ゴダール」の名は、デカルトの名が哲学それ自身を表すように、次第に、映画それ自身の存在を表すようになってきた。そのときある伝記作家が、ゴダールに「リア王」の名をあたえたのは、映画の存在の表象のためには、映画が投射される姿が思い浮かべられなくてはならないからだろう。世界たる、この道化は、見るためには、見ることにもとづいて見えないものを在らしめると荒野を彷徨い続ける。その姿は思考から逃れゆく思考とともに経験世界のなかで帰属を失った人間のそれではない。むしろかつて魔術師がやったように、暗がりのなかで小さな箱ー白紙の本に変身したスクリーン?ーを開けたら光が溢れだして、見えるものと見えないものとが共存する世界があらわれるというものである。



『徂徠学講義』(子安宣邦氏、岩波書店2008)より


‪「後世の儒者は聖人の道を知らない。したがって仁もまた知らない。そこから後世儒者の仁説が生まれる。彼らは「仁とは愛の理、心の徳である」といい、また「人欲をきれいに除けば、天理があまねく行きわたる」といい、さらにまた「専言の仁があり、偏言の仁がある」いう。こうしたとらえ方は仏教や老荘の考えに根ざしている。それゆえ後儒の学は理を主とし、心を主とするのである、また『中庸』や『孟子』を誤読して、仁を性の概念とする。だが性とはひとごとに異なるゆえ、彼らはその異なりを気質のせいにして、理においては聖人と異らず、同一だといったりする。‬

‪彼らがいう意はこうである。仁者はたしか人を愛するのだが、愛とは情であり、情として動く以前の静かな心にあっては愛という情動をみることはない、と。しかし未発の愛としての理を、人は生まれるとともに天より享(う)けて心に具えている。それが仁である。仁が心徳であるとは、そのことをいうのであると。また彼らはこうもいう。人の生まれ初めの純粋さは聖人と異なるところはない。ただ気質と人欲にとらわれると、仁本来十全さを失ってしまう。したがって学問が成り、人欲を消尽し、気質を変化させるに及んではじめて、人の行うところ仁であらざるはない境地にいたるのだと。またこうもいうのである。天地の道は生々してやまざるものである。その天地の徳を人に享けたものが仁である。それゆえ天理流行というのはただ生々の意を表しているのであると。また彼らの考えによると、仁は心の全徳である。ゆえに仁は儀礼智信を兼ね備えている。これが専言の仁である。仁が儀礼智信に対するものとして、仁儀礼智信といわれるとき、それは偏言の仁であると。‬


• 徂徠は後世的仁説の批判を書いている。ここでは、「仁とは愛の理」という言語が問題とされている。


‪訳文を読めばわかるように、宋代の程子や朱子たち、宋代以降の中国や日本のの儒者たちは、古代先王のみちこそが聖人の道であることを知らないから、したがって礼楽形政としての道を、天下安民の徳・仁によって聖人が制作したものであることができない。そこからこの後世の儒者たちは先王の道から離れて仁を、彼らの観念の言語をもって語っていくことになったという。徂徠の言及から、宋学あるいは朱子の本体論的な哲学的言語と本来主義的な倫理学的な言語の姿がみえてくる。ここでは、「本体論」と「本来性」の違いに注意しながら、体用的二元論をもって、また性理学的視点とその概念をもって語られてきた宋学あるいは朱子学ー東アジアの漢字的世界を支配していったーのエッセンスを理解する必要がある。子安氏の評釈によると、「本体論というのは、宇宙や人間の根拠にかかわる議論である。人間という存在と行為が何に基礎付けられ、根拠づけられているのかという議論である。さらに宋学は禅の本体主義も己の言葉で語るようになる。人は現実世界において、その本来性を失って堕落するその危険性のなかに絶えずある。人の本来性とは、天に賦与された人間の道徳的本性である。それは道徳的存在としての人間を基礎付ける根拠(理)でみある。現実の世界における人間は情動的契機によってこの本来性を失うようにたえず脅びやかされているのだ。ここから本来性の維持と回復とが、「復初」の言葉とともに説かれるのだ。宋学あるいは朱子学は、この本体論的な哲学的な言語と本来主義的な倫理学的な言語とをもって中国だけでなく、東アジアの漢字的世界を支配していったということができる。日本人は朱子学の受容とともにこうした言語を自分のものにしていったのである。徂徠は後世儒家のこうした本体論的な言説から「仁」を解き放とうとしている」(子安氏)。‬


言語に定位する人間が有限であり、言葉の極限に人が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼らを規定する縁である。理の内部に位置づけられないとする「聖人の道」を指示できるのは、外部の領域からであると徂徠は考えるのである。‬



小池のような国家主義者にとって、国家の存在の表象の為には、国家の存在を飾る儀式(五輪)が不可欠で、その限りにおいてロックダウンする必要がある。総理待望の声が。だがロックダウンは人類を守る為にウイルスに対する戦いを構成するのに、東京を守る自国中心主義に行くようでは、これは隣同士を大切にするアジアのリーダーではないとわたしはおもう


‪近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。ーフーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬

The modern one, ...formulates no morality, since any imperative is lodged within though and its movement towards the apprehension of the unthought. ーFoucault ‬


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‪「近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。」(フーコ)。この点については、伊藤仁斎の道徳学、荻生徂徠の制作学から批判する仁斎道徳学を読むと、近代西欧とパラレルなことなんだね。漢字と仮名で議論を読むことが大切である。ここで言う漢字はわれわれが依存しきっている明治維新以降の漢字のことではなくて、朱子学を共有した漢字文化圏の漢字こと。漢字の存在の表象のためには、漢字が書かれる姿を思い浮かべなければいけない。漢字と仮名で議論を読むことが大切だというのはそういうことである。ここで、音声化された現代中国語にもとづく朱子の翻訳に依拠できないことも言っておく必要がある。ラディカルモダニズムの音声化を推し進める近代国家と対等の自立をえるためには、国語の外縁を為しているが母国語にとっては化石のようになんの価値もなくなった漢字エクリチュールのとりかえしが問題となっているからである。‬


昔は、「一億総懺悔だ」と言ったらしいが、いまはその”わたしに責任はない”と同じ意味のことを「わたし自身の責任です」(安倍)というみたいだ。メモしておこう


国家の戦争責任をみとめないかぎり同化を拒む人々がでてくるだろう。よろしい、国家は同化を本質としているとしよう。もし国家が同化できないなら、どうしても戦争責任をみとめることが不可能ならば、その国家は終わるべきなんだ。そしてその人々とほかのあり方をさがすしかないだろう。できるとおもう


「緊急事態に人間を家畜のように監視する生活権力が各国でまかり通っている」(東浩紀)。逆。家畜に等しい扱いだったのに、補償無しに自粛する倫理観ある人間として扱うのか?


パルマコンが「両面的」であるのは、そのなかでもろもろの対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)が対立し合う中間環境〔媒体〕をなすからであり、そうした対立物たちを相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなすからなのだ(『散種』)


ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)から学ぶことは、対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)を相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなす働きである。

“Sovietcong”,”Freudemocracy”,”Cinémarxism” という映画のなかに示される造語を笑うしかない。ゴダール文化人類学構造主義の原点がある。構造主義は強力な物の見方を構成できるが、構造主義は世界の半分しかみていないから、映画は開かれた全体にすんでいる以上、別の世界の半分を足してやらなければ...。ワン・プラス・ワン のプラス<たす> は、重ね合わされて交錯する多数の中断をもつ系列を為している。


推敲中


徂徠の社会全体の視点をもった彼の言葉を現代社会に適用すると、このこととして理解できるのではないだろうか。アベノミックスの破綻をみとめず、代替案を議論もしない。あたかもその破綻を隠蔽するように「教育勅語」の破綻し尽くした天皇ファシズム家族原理を再び言い出すことをやめよ、と、このことである。徂徠の批判はそれを読む者に論争と議論を教えるというか。




• 徂徠を読むと、理が破綻しているのになおなんでもかんでも理から説明しつづけることを批判するとき、学問というのは、依拠できるものが理の内部に位置づけられないことを考えさせようとするといわれる。依拠できるものが言葉にならないと聞くと、(近代的な意味で)神秘主義の非合理を思うが、しかし知識人が言うそれはそうではない。ここをよく考えると、(朱子や仁斎の)破綻しているかもしれないのにその理が疑問もなく一体化しているような言葉に依存しても、解決に結びつくことがあり得ない (「民の生」を安らかにすることができない)。無理に言葉で説明するとズレてしまうことがおきる。唯物論的とまではいえないが、「礼楽は外物なり、我に在るものに非ずと」という徂徠の議論を行うことを重んじる方向性をもった言葉に向き合うことになる。『弁道』で徂徠がこう言っていることに子安氏は解説している。人から与えられる礼楽の教えを重視するところには、人の心への次のような徂徠の見方があるという。‬


‪「善悪はみな心を以てこれをいうものなり。孟子曰く、「心に生じて、政に害あり」と。あに至理ならずや。然れども心は形なきなり。得てこれを制すべからず。故に先王の道は、礼を以て心を制す。礼を外にして心を治むるの道を語るは、みな私智妄作なり。何となれば、これを治むるものは心なり。我が心を以て我が心を治むるは、譬えば狂者みずからその狂を治むるがごとし。いずくんぞ能くこれを治めんや。故に後世の心を治むるの説は、みな道を知らざるものなり。」


祀られる神は祀る神であるという権力が皇居に現前しているにもかかわらず、皇居における「空虚の中心」などというオリエンタリズムの言説によって盲目にされていたような..


ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)。「ジガ・ヴェルトフ集団」の一部としてゴダールとジャン=ピエール・ゴランが1970年に作った親パレスティナ映画『勝利まで』のフッテージを使用して制作された。ビデオが積極的に利用されていることが注目された。

「ここ」と「よそ」の関係は、映画の編集概念(映像と音の関係)によって再構成される。「ここ」と「よそ」は空間的差異にもかかわらず、瞬間的な時間の分節化によっておなじに「ここ」になっていきた。「ここ」と「よそ」を敢えて映像と音の差異として語ったものは、この映画のまえにいなかった。「ここ」と「よそ」は、この映画からはじまったのである。

これは、コミュニケーションの主体を、情報の客体に還元する。だが「ここ」の思考から、「よそ」の思考にもとづく思考できないものを切り離してはならないし、切り離してはもうやっていけなくなったと語る理念性である。

ここから、現代国家批判が成り立つ。現代国家というのは、どこどこにある実体ではなくて、テレビのニュースが行う解釈のなかに存在する言説である。言葉の解釈は曖昧である。それははっきりとしたイメージにともなわれることを必要とする。問題は、テレビのなかの「ここ=映像」と「よそ=音」がはっきりとしたイメージを打ち出してきたかである。言葉の解釈が曖昧なまま、現代国家がイスラムとの関係の排除をやめて新しい普遍性を再構成しなくてはいけないのにそれを非常に悪い形でやってきた現在のあり方が隠蔽されている。言葉の解釈が曖昧なまま、後期近代においてもはやそのまま戻る必要がないのに、絶えず他者を排除せずには成り立たない国家のイメージに戻ろうとする。

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 ‪この文、好きだな。ほんとうにそうだ。「円錐体の虚頂点」が嘗ての近代の力だったというか。人間が終焉する<他者>の時代は、円錐体も消滅するが痕跡として平面スクリーン上の線になるのではないか。平面の上で点たちとはりついている球体たちと共存している


‪(人間の)起源とは、あらゆる相違性、あらゆる分散性、あらゆる不連続性が、もはや同一性の一点のみを、みずからのうえで炸裂して他者となる力をそれでもうちに秘めている、触知しえぬ<同一者>の形象のみを、形成するため、そこで凝縮されるような、そうした円錐体の虚頂点‬

‪なのである。フーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬


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‪封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっていると言うことは可能か?開けたときは手紙は脱出していたかもしれない。私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているとは言えぬ。日本語で書くが日本人は存在しない。日本語で書くと言っても何語でもよく、母国語を逃すために書く国内亡命である‬


推敲中

作品の名に値するようなテーマの存在を説明するのが苦手ですが、何も頼らずに読めるかというとそれはあり得ないという問題がありますね、この問題を考えています。例えば、ヨーロッパ語で書いたヨーロッパの近代を読むときは、それを考えるフレームが必要です。漢字仮名混交文がそのフレーム。だけれどそれで日本語を読んでいるだけなのです。不可避的にギャッが起きてくるのは、ここにおいてですね。不一致というか、距離というか。自然に読むということはあり得ないと思うのです。依拠するフレームの存在を考えることなく、読む行為はそもそも不可能。思考の限界というこの問題をべつの仕方でかんがてみます。封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっているなどと言うことは可能でしょうか?封筒を開けるときに、手紙は脱出しているかもしれませんから。それなのに、私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているというふうに考えるのは、言葉のなかに人間が存在していると考えるのと同じくらい無理なんだろうと気がついてきました。かならず二つの封筒を使っているのですが、中の手紙が自ら封筒に成ることで脱出していることをうまくあらわしていますかね?‬まだまだかー


‪道端に倒れたひとの意識が回復したとき、助けてくれたひとの名前を間違ったままでその自分の体験を他人に語ることは問題が起きない。‬だれと出会ったかの間違いは正されなくとも、間違ったまま成立してしまうのである。しかし間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない。たとえばもし歴史修正主義の安倍政権を批判するつもりならば国家祭祀を天皇ファシズムの名を以って批判する必要があるのに、専らナチズムの名で語られてきたものを語っている。結局これは安倍を助けている。また、中国の民主主義にとっても日本の民主主義にとっても、支配者である皇帝の官僚が考えた民主主義なき近代の成立のあり方と、外縁においてその思想から被支配者の人びとは民主主義を考えようとしたが政治思想としては展開できなかったこともあって、まだ多元主義としての民主主義を実現できていない近代のあり方を問題にしなければならないのに、それができないようでは、民主主義をもとめた劉暁波の固有名を消し去ってしまわないだろうか。これが、間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない問題である。


‪昔、映画館というものがあった。映画館とは何だったのか?映画館の中はプラトンの洞窟の内部とどう違っていたのか?洞窟といっても、都市の構築された秩序からしか洞窟のあり方を考えられなかった筈だ。古代の公共建築物の壁に投射された論理形式を思考した筈である。それは神話から自立している。中世がそれをどう理解したかはわからない。自身の分身である世界に巻きついたイメージ?重要なのは思考ではなく、やはり、光を以って、暗闇から世界が一気に開かれてくる悟りだったのだろう。それに対して、映画が誕生したのは自由なお喋りがあったカフェにおいてだったから、映画はリュミエール兄弟が投射してみせるたその出発から、言語的存在である人間の意味を考えるようになっていた‬。映画は、近代が死よりも生を中心に考えるようには、死を遠ざけなかったのは、映画館のなかに死衣装であるスクリーンが配置されていたので、死後の問題を考えざるを得ない。この点について朱子を読んでおもうことは、映画は映画館と共に消滅しきってしまうのではなく、それを迎える生者達に帰ってくるというか。そうでなければ記憶することに意味がなくなってしまうではないか


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お肉とお魚、マスク、10万円、全部よこせ。3000億円はワクチン開発費、あとWHOへ



議会の近代は、王政から共和制へ移行する時代に起きてくることだが、誰が誰を代表しているのか曖昧になる。このことは指摘されることだが、フランス革命のこの時代のナショナリズムは、代表されていない人々の平等を推進する一定の役割をもっていた。現在のポピュリズムの問題は、政治風景が非常に狭くなること。どうしてそうなったのか?従来のやり方では平等化が十分に進まないと考えて危機感をもった左翼が70年代から戦略的に右側に接近した結果、だんだん差異がなくなってきた。と、気がついたら右側からすっかり巻きかえされていて、結局投票できる政党もなくなっているのが現在の有様である。安倍政治に顕著であるが、理念のある政治が棄てられてしまった。伝統と保守に仮装したナショナリズムのおぞましい声が権利のない社会をつくりあげるようにみえる


ハイデガーアインシュタインを語っていたのは、悟性の永遠の知に譲渡されたものを思想にとりかえしたいからで...それよりも、そのハイデガーも含めて、近代の知は人間と同時代でない起源の後退とか逆向きとの関係を語りはじめることになって、裂け目としての起源から、物との不可能な同一性をさがしている。17世紀の仁斎にとって顔回の死が契機となって問題となっていたのは仰ぎ見る天を最も卑近なものに関係づけること。人に根拠づけられる思想のあり方‬。仁斎は『論語』の読みを再構成することによって、言語的存在である人間にとっての存在の意味についての朱子の問いを発展させたのではないだろうか、存在から理念へと


‪安倍がやっているのは情報操作ばかりでしょう。不安を抑え込む情報操作にばかりに頭を使っていることがはっきりとわかってきたことが今回の問題です。その効果もあるみたいで、「日本はうまくやっている、自民党のおかげだ、政府のおかげだ」とか「野党は何もしない、桜問題に取り組んでいたからいけないのだ」とか、「成功している、いいことをしていることを認めなければならない。政府を批判するな」などと、何の疑問もなく喋る人が周りにあまりに多いのでこれは何だろうかと呆れますし怒りも覚えます。おそらくフランスの人々はマクロンに対する闘いを保ちながら、マクロンと共にウイルスと闘っているのでしょうが、比べると、この国は、安倍の何の解決をもたらさず現実を隠蔽する情報操作と、ウイルスにすらヘイトスピーチに利用しようとするなんと不毛なナショナリズムー安倍に同一化したいミクロの安倍たちが増殖しているーに翻弄されていないでしょうか‬


公害企業に対したときを思い出す。人の命を守りたいと皆思っているのになぜそれに無関心になるのか?小池も守りたいだろうが、同じ命ならば国の命を守るほうが絶対になるのでは?


現在は、外国語は頭から訳せ、順番を保てと言われるが、昔はそうではなかった。非常に長い和訳に訓点を付しレ点をふって原文を読む。本来は外国語(中国語)にやっていたのだけれど



推敲中

ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬

国家の力は芸術作品をどれくらい所有しているかによるといわれるように、美術館は美術館以上の意味をもつこの問題提起は政治的なものである。しかし『離れ離れに』では政治が語る歴史への関心から遠ざかっていった。むしろ映画は、日常の人びとの間を遊戯的に構成する、映像の博物館的な沈黙と知覚される存在の流れへ行く。そこにこそどうしても語られなければならないものがある。映像の運動が為す視線が先行する。‬


山々の輪郭は大変美しいです。文学にすんでいるような美しさというのでしょうか。またわたしは人のほうもおもしろいのです。京都に行きますと、運転手の方やお坊さんが「応仁の乱」まで遡るでしょう。あれはアイルランド人が800年前まで遡るこだわりと共通しています。東京中心主義に巻かれたくない歴史感覚というのでしょうか。詳しく書けませんが、アイルランドでは自分たちは北の地中海人という自負があります。内藤湖南を勉強して「応仁の乱」の意味がだいぶわかってきました。明治維新の近代は権門体制の復活(天皇と寺社と貴族の支配体制に、下級武士と軍人と官僚が加わった)と理解できますが、明治維新に帰れという安倍政権の東京も権門体制に反抗する「応仁の乱」が必要です。京都は伊藤仁斎の古義堂がありました。修学旅行のとき、バスガイドの人が堀川の散歩のときここを強調しました。お父さんが大事なだと言っていました。たしかに、ここを訪ねてこそ、17世記アジアの知識革命が見渡せます。

わからんことを投稿したかもしれませんが、子安先生の講座で大岡昇平を読んだことがあります、このときの議論をおもいだしました。大岡昇平は『野火』をあんなにラディカルな懐疑精神で書いたのに、『レイテ戦記』では何か死者の魂を救うつもりで戦闘に意味があったことを明らかにしたいと言ってこれを書くのですね。局所的な戦いをみてもダメで、全体をみないとわからないというのです。これでは、明治維新の帰結であったレイテ島の悲惨を意味あるものとして語る国家祭祀の視野です。平成天皇の象徴性を超える統合性(象徴行為)に対しては警戒と危機感ではなく、最近出てきた「天皇抑止論」が共感をもって受け入れられている世論のことも考えると、どうも何か、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人の古代から始まるのかもしれませんが、日本知識人の視点を規定する枠組みがみえちゃうのですね


自然に並べられてこのようにあるのかもしれませんが、『仁斎論語』と『言葉と物』のあいだに、溝口『中国の公と私』がみえてくるのがわたしには大変興味深いです。本の地層のような配置で隠されていたもの(?)がみえてきたり、考える必要のないと気がついたものが沈黙したりして、自分でも色々考えてみようとおもいます


言語は差異を住処とする。文学ージョイスベケットーは言語より高くあるいは低く行った。絵画は言語であり得る。イメージの傍らに存在している無から、ピカソは絶対の差異へ行く


「戦前」は二度あった。第二次世界大戦の前だけでなく、日露戦争の前を「戦前」と言っていた。

われわれが「戦後」と言っているのは実は、二度めのそれである。


‪私にとって、まだ芸術の力が存在し不可欠だとすれば、死に切った過去の世界が芸術によって蘇ること、その内在平面の差異から、現在の世は生きるに値しないと学ぶ反時代的精神にある‬


The modern reversal shares with the traditional hierarchy the assumption that the same central human preoccupation must prevail in all activities of men, since without one comprehensive principle no order could be established.  

ーHannah Arendt ‘ The human condition ‘


つまり、近代の転倒は、一つの包括的原理がなければいかなる秩序も不可能であるから、人間のすべての活動力には人間の同一かつ中心的な第一義的関心が支配しているにちがいないと仮定している点で、伝統的なヒエラルキーと同じである。

ハンナ・アーレント『人間の条件』2


多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解している


The coronavirus epidemics does not signal just the limit of the market globalization, it also signals the even more fatal limit of nationalist populism which insists on full state sovereignty: it’s over with “America (or whoever) first!” since America can be saved only through global coordination and collaboration. SLAVOJ ŽIŽEK




□「歴史的にみれば「オホヤケ」の対をなす語は「ワタクシ」ではなく「ヲヤケ」であった。「オホヤケ」とは大宅であり、「ヲヤケ」とは小宅の意である。「ワタクシ」が「オホヤケ」の対語となるのは、中国から律令制が継受され、「公私」の概念が輸入されて以降のことである。律令国家の誕生という事件は、「大」が「小」を包摂し、秩序づけていく過程でもあったが、実はこの「公私」の前史こそが、前近代日本における「公私」概念の基本的な用例を規定することとなり、中国の「公私」ともヨーロッパの public/private とも異なる分岐点をうみだすこととなった。日本における「私」が「公」と原理のうえで対立する概念とはなりえず、「公」に対する部分性、すなわち impartial/partial という語義で用いられるのはそのためである。なお中世の禅林社会では、やや例外的に、publicに近い「公議」「公論」「公挙」「公選」などの語が、「江湖〔ごうこ〕」の理念のもとに使用され、近世儒学においてはj ust/unjust の意で「公私」が用いられた」(日本思想史辞典[2009a:132])

□「日本史上、「公私〔おおやけわたくし〕」は概念的に対立していないことに特色がある。たとえば743年(天平15)の墾田永年私財法は、西欧近代型の私有財産の誕生、すなわち国家に介入されない私的自立の圏を誕生させたわけではない。それどころか同法は、律令法を通じて導入された中国型の「公私」観念が、既存の固有法的秩序に沿って再解釈されざるをえないことを示すものである。すなわち、中国から継受された律令によれば、「公」は官、「私」は民を表し、したがって人民に班給される口分田は「私田」であった。しかるに墾田永年私財法では、口分田こそが「公田」と再定義されるに至る。これは、天下の人民一般を「公民」とよぶ観念ともかかわり、その歴史は古く大宝律令以前にさかのぼるものであった。それゆえ、中国型の国家と社会の分離を前提とした「官」―「民」が、律令以前の「オホヤケ」―「ヲヤケ」の・・309 大小関係の読み替えとして登場したことは、日本の「公私」観に大きな特色をもたらすことになった。すなわち大小関係が相対的にありうるように、「公私」もまた相対的なものとして意識されざるをえなかったのである。先の墾田永年私財法を例にとれば、口分田は官有地ではないという意味において「私田」であるが、国家から班給されるという点において、墾田よりは「公田」である、というわけである。日本の「公私」観念は、国家と社会の分離ではなく癒着を前提とし、しかも社会をを入れ子状に包摂する形で国家を措定するのである」(日本思想史辞典[2009b:309-310])

□「かくて、相対的に相手より大きく、相手より筋目が正しいということが「公」であるこの世界は、古代から中世にかけて社会が多元化するにともなって、「時の公方」という語に象徴されるように、「公」の多元化という現象を招来した。すなわち、荘園領主もまた荘園という秩序の中では「公方」たりうるのであり、要は多元的(かつ時限的)に存在する三角形の秩序の、それぞれの頂点により近く立つものが「公」とされた。一方、南北朝の動乱にともなって社会の流動化が進むと、万人に開かれた西欧近代の public に近い、「江湖〔ごうこ〕」という概念が浮上する。中世の禅林には、「公議」「公論」「公挙」「公選」など、既存の「官」や「オホヤケ」とは異なった「公」の用例がみられるが、その究極の「公」こそが「江湖」であった。だが、中世後期に浮上した自治的共同体である惣村は、この「江湖」の思想とはまったく対蹠的なものであった。近江国今堀や菅浦の地下掟で「私」と対置されているのは、「公(official)」でも「江湖(public)」でもなく「惣(common)」であった。また伊勢国大湊のように「公界」とよばれる自治組織も、上位の公権力に対抗する下位の公権力(小さなofficial)としての「公」であるにすぎず、万人に開かれたpublicな「公」が全面展開することはなかった」(日本思想史辞典[2009b:310])



□「中国における公私は、社会秩序における支配・被支配や上下の関係というよりも、道徳的な対立の関係を表わす対概念である。「公」を肯定的なもの、「私」を否定的なものとしてとらえる価値評価は春秋戦国時代にまで遡る。『説文解字』において「公」が「平・・94 分」、「私」が「姦邪」として規定され、また『荀子』において、一方の「公平」「公正」と他方の「私欲」「曲私」が対比される。宋代以降の朱子学陽明学において、公私についての道徳的な評価はより鮮明になり、「天理の公」と「人欲の私」が鋭く対比される。「私」は道徳的秩序からの逸脱を意味し、それゆえ「私」を脱却することが望ましい当為規範とされる。明代半ば以降、私的な欲望の充足が肯定されるようになるとしても、それは、「公」の道徳的優位を覆すものではなかった。また、溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉である」(斎藤[2006:94-95])


溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉であるという。


「まず中国の公私の原義だか、詳しくは次節で再述するとして、ここではとりあえず戦国末から後漢にかけての資料の範囲でみてみると、ム(=私)について『韓非子』は自環すなわち自ら囲むの意、『説文解字』では姦邪の意としている。これに対する公は、(一)群として『韓非子』のいわゆる「ムに背く」すなわち囲いこみを開くの意であって、ここから衆人と共同するの共、衆人ともに通ずるの通、さらに私=自環の反義として説文解字では「公は平分なり」としている。一方、(二)群として、これは 『詩経』の用例からの類推だが、共から衆人の共同作業場・祭事場などを示す公宮・公堂、およびそれを支配する族長を公と称し、さらに統一国家成立後は君主や官府など支配機構にまつわる概念になった。」(溝口)


 一方、日本の公すなわちおおやけは大家・大宅で標記されるように大きい建物およびその所在地で、 オホヤケの枕詞が物多(ものさは)にとあることから古代的共同体における収穫物や貢納物の格納場所、さらにそれを支配する族長の祭・政上の支配機能をさす語であったと考えられる。律令国家の成立期に公という漢字が、天皇制支配機構に直接的にかかわるミヤケよりは、なお当時すでに古語化しつつあったオホヤケ概念と結びつけられたのは、オホヤケにまつわる古代共同体的な共のイメージが公の字の訓としてよりふさわしいと思われたからであろう。衆人とかかわる世間・表むきのことから、官・朝廷の諸事物に公の字があてられたのは、このおおやけの原義に由来するのであろうが、ただしここで注意されねばならないのは、オホヤケとして受容された公は、前述の(二)群の方にかたよっていて、(一)群の方はほとんど捨象されていたということである。つまり、おおやけの原義にはもともと(一)群の概念とくに通とか平分の部分は含まれていなかった。もともとおおやけは一応は共(軍事・祭事・農事などの共同性)を含みつつもなおその共を包摂する支配機能の方に概念の比重がかかっており、大和朝廷の政治イデオロギー上の要請からもその傾向はむしろ増幅された(平安期には公(おおやけ)は天皇個人を指す語にすらなった)。かつ当時かれらが導入した漢唐の文献は、先秦のそれに比べて、公については(二)群の方が優位であった、などの事情がそこには介在した。


「一見小さな差異だが、中国では(一)群の方は漢唐の間にも生きつづけ、さらに宋代に入ると天理・人欲概念と結びついてより深化し、特に近代に至ると、孫文の公理思想に展開するなど、ほとんど(一)群のみの、すなわち国家や政府を公とする日本の公とはまるで違う言葉のように差異が決定的となる。 ところがその差異が意外と明確にされないままきているので、明清以降の中国の公概念の展開をみるにあたって、そのことをあらかじめ念頭におく必要がある」(溝口)


「例えば秦の呂不韋が、「昔、先聖王が天下を治めるには、必ず公を先にした。公ならば天下は平らかであり、平は公より得られる。…天下を得る者は…公であることにより、天下を失するのは必ず偏であることによる。…天下は一人の天下ではなく、天下の天下である。…甘露時雨は一物に私(かたよ)らず、万民の主は一人に阿(かたよ)らない」(『呂氏春秋』貴公*1)と述べるときの公は偏私に対する公平であり、私の自環・姦邪に対する公の通・平分の義がここに生きているのがみられる。また漢代に編纂された『礼記』礼運篇の「大道が行われているとき、天下は公である(天下為公)」云々の有名な「大同」の個所は、 人々が自分の親族だけを大事にするのではなく、よるべなき老人・孤児や廢疾者を相互扶助し、あるいは余った財物や労働力を出し惜しみせず、要するに人々が「必ずしも己れのみに蔵(とりこ)まず」「必ずしも己れのみの為めにしない」、そういう共同互恵の社会を天下公の大同世界としてえがきだしているかにみえ*2、そのかぎりでこの公は平分の義を強くうちだしたものであるといえる」(溝口)


 しかし、にもかかわらず皇帝が支配者たりうるのは、タテマエであれ、共なり公平が期待されているからであり、それがなければ皇帝は単に天下をひとりじめする「独夫」「民賊」でしかないという 易姓革命の思想も背景にちゃんと流れているのであり、そのかぎりにおいては皇帝は一群がもつ公の倫理性から自由でありえない。これは日本の天皇が無条件かつ無媒介におおやけそのものであるのとは、やはり非常に違う。


「この倫理性の有無というのが、両者の差異をきわだたせる特徴の一つで、中国の公私が、特に(一)群については、公正に対する偏邪という正・不正の倫理性をもつのに対し、おおやけ対わたくしの方は それ自体としては、あらわに対するしのび、おもてむきに対するうちむき、官事・官人に対する私事・私人、あるいは近代に入って国家・社会・全体に対する個人・個というように、何ら倫理性をもっていない。公私のからみや対立はあっても、往々それは義理人情に擬せられうるもので、決して善・悪や正・不正レベルの対立ではない。強いて倫理性があるとすれば、おおやけのためにすることが支配の側からあるいは全体の意思として規範づけられる場合においてであり、その場合その支配者なり全体の意志の善・悪、止・不正は全く問題にならない。したがってかりにそれを倫理とよぶとしてもそれは所属する集団内部を紐帯するだけの閉鎖的なもので、むしろ対外的には当該集団の 私に従属することさえあり、公平なら公平の原理がもつ内外貫通の均一性・普遍性はみあたらない。」(溝口)


溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る?