2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ポストモダンのモダン化という言説のはじまりはいつだったのか?ー 磯崎新と柄谷行人を読む

ポストモダンのモダン化という言説のはじまりはいつだったのか?ー 磯崎新と柄谷行人を読む ポストモダンのモダン化という奇妙な思想ブームは世界的傾向です。そこに、日本の言説も絡み取られておりますけれど、それがいつからはじまるのか?初めを定めるた…

宇野「経済学の方法」(1963)を読む

宇野「経済学の方法」(1963)を読む ‘読む'といっても、高名な経済学者の深遠な思想ー経済学研究の原理論・段階論・現状分析の分化についてーをコメントできる知識が私にはありません。ただ、思想史的に、宇野の文を眺めるだけです。そうすると、ヨーロッパ (…

N0.1 大島渚「愛のコリーダ」(1976) を読む

N0.1 大島渚「愛のコリーダ」(1976) を読む 大島の戦時中の自慢話に、軍部の没収と母親による処分を避けて、彼は父の蔵書・ロシア版資本論を壷に隠して地中に埋めたというのがあります。たぶん、この記憶は愛と嫉妬のイマージュに変容したのではないでしょう…

N0.1 ゴダール「リア王」(1987)を読む

N0.1 ゴダール「リア王」(1987)を読む ニ十世紀は映画の世紀といわれましたけれどね。▼あらゆる表現の可能性が尽きたといわれる1950年代から、かつての無声映画時代の古典的傑作が次第に忘れられていくようになります。▼むしろ映画は凄い量産体制で生産され…

柄谷行人「世界史の構造」 (2010) を読む

柄谷行人「世界史の構造」(2010)を読む ▼The rhinon(サイ) のエピソード。リアリズムのラッセルは机の引き出しの中になんのものがあるかと見ようとするが、他方で脱リアリズムのウィットゲンシュタインは事実の総体がいかにあるのかとその意味をみることを…

The rhinon(サイ) のエピソード ー 映画「Wittgenstein」 (1993、Derek Jarman監督) を読む

▼Die Welt ist alles, was der Fall ist.世界はそうなっていることのすべてだ。(木村訳) ▼Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.世界は、事実の総体で、もののではない。(木村訳) ▼映画「Wittgenstein」 (1993) は、監督Derek Jarman…

柄谷行人「探求2」(1989)を読む

柄谷行人「探求2」(1989)を読む 1989年という年は、世界史の教科書が証言しているように、「テレビや新聞などのマスメディアでは世界各地の政治・経済・社会・文化のニュースが毎日報道されています。ソ連・東欧の社会主義圏が消滅した後、市場経済が世界を…

キミの獲得した全歴史を総括せよ。だがそのキミが「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」に属しているとか、またはその逆に、「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」がキミに属しているとは信じてはなりませんぞ

キミの獲得した全歴史を総括せよ。 だがそのキミが「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」に属しているとか、またはその逆に、「一冊で世界史の全体像を把握できる書物」がキミに属しているとは信じてはなりませんぞ。▼「もういちど読む世界史」(2009)は…

2009年に出版された「もういちど読む日本史」を開くと、338頁の最後の2頁の凝縮された記述に、「日本史」を読んでいる、この<私>が属しているおぞましい時代が語られています。中でも2003年が大きな転換点だったかもしれない

「日本史」の教科書は、自己言及的に、家永教科書裁判のことを触れないといけませんね。家永三郎が、教科書検定に関して、政府を相手に起こした一連の裁判(1997年に第三次訴訟の最高裁判所判決をもって終結した)は、日本史の大切な一部を構成するのですから…

明治の漱石をあえて大正から読む

明治の漱石をあえて大正から読む 夏目漱石といえば、いかにも明治の作家のイメージがある。だが、元々新聞小説であった『明暗』は、河上筆『貧乏物語』と同じ年(1916)に出版されたのであった。漱石の最後の作品は、西田幾多郎『善の研究』の5年後に、大正期…

柄谷行人「言葉と悲劇」(1989)を読む

柄谷行人「言葉と悲劇」(1989)を読む 荻生徂徠の(1666-1728)の登場は、徳川日本の思想史上のひとつの「事件」(子安宣邦「事件としての徂徠学」)とされます。それは、それまでの日本の儒教を内側から壊す役割を担ったからです。そしてこの徂徠が影響を受けた…

「教育勅語」の国体イデオロギーが教科書に直に記述されていくのはいつからか?

現在、安倍晋三の思想の背景である「日本会議」と「新しい歴史教科書をつくる会」は、戦前の形の復活を主張している。その根底に「教育勅語」的な国体がある。だがいきなり「教育勅語」が言われ始めたのではなかった。田中角栄は官僚出身の福田武夫と比べて…

「君子は中庸に依る」、と、「論語」は朴実であれという。だがそれほど簡単ではないのはなぜなのか?

「君子は中庸に依る」、と、「論語」は朴実であれという。簡単さにこそほんとうの道が開かれているのだからと説く。だが現実にはそれほど簡単ではないのはなぜなのだろうか、と、「童子問」の伊藤仁斎は問う。古代のあり方の理念型はどうしても必要となるの…

公に上の者が言うのだから下の者も安心して言えるという他者攻撃のヘイト移譲原理

流れてきた記事によると、ナチスの萌えキャラ「ゲッペルスちゃん」が海外で問題になっているとのことです。▼ドイツの法律では学問的な理由を除き、ハーケンクロイツとその他のナチのシンボルの公での展示および使用を不法なものとし処罰を行っていますが、こ…