2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧
大博物学の時代の想像で書いた動植物は教育上良くないという理由で大英博物館にもあまり展示されていないらしいのですが、これに怒っていた人がいたが、博物学の真面目さというか不真面目さというべきか、ヤバさみたいなものをあえていえば、あり得ない土地…
漢字不要論者というのは、他者から与えられた書記的言語も、それを1500年の時間を以て漢字仮名混交文という形で我がものにした歴史も、そしてヨーロッパ語で書いた近代を漢字仮名混交文で考えるという思考の限界の意味を積極的にとらえる視点をもたないなら…
古典的な市民刑法は行為を対象とするのは、そうでなければ、市民が罪と罰について議論できなくなるからということではなかったでしょうか。現在においてこのことは再び考える必要がありそうです。早すぎる実行行為性の問題が指摘されていることに関わります…
荻生徂徠は「弁名」のなかでこう言う。「孔子のいわゆる『人を愛す』とは、民の父母たるを謂うなり。苟も民を安ずるに非ずんば、いずくんぞ以て民の父母たるに足らんや」(孔子が仁を『人を愛す』と言ったのは民の父母となることをいったのである。民の生を…
近世の『童子問』を『教育勅語』の原型と言う渡辺昇一は、innocent pig !近代主義者の明治の前を考えるとき明治維新のことしか語れないとする思考の貧困な反復を思う
荻生徂徠はこう言う。「孔子のいわゆる『人を愛す』とは、民の父母たるを謂うなり。苟も民を安ずるに非ずんば、いずくんぞ以て民の父母たるに足らんや」(孔子が仁を『人を愛す』と言ったのは民の父母となることをいったのである。民の生を安らかにすること…
「弁名」ノート No. 27a ( 私の文学的フットノート) (子安訳) 後世の儒者は聖人の道を知らない。したがって仁もまた知らない。そこから後世儒者の仁説が生まれる。彼らは「仁とは愛の理、心の徳である」といい、また「人欲をきれいに除けば、天理があまね…
『フィネガンズ・ウエイク』Finnegans Wakeというのは、これを解説しているはずの文を読むとその冒頭から、「読解不可能 unreadable」といわれているわけです。救いをもとめる読者は途方にくれることになります(解説者もどうやって解説するの?) 要請されて…
人間が有限であり、言葉の極限に人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を規定する縁、死が彷徨い、思考の消滅、起源の約束が無際限に後退していくあの領域で、文学が注釈学によって活気づくのは。ここで止まっちゃいけない。「人間」と言う限り、西欧…
ベルギー人兄弟が監督した「午後8時の訪問者」を観たました。これは凄い映画でした。音楽が使われていない。映像はこれといった視点をもっていないから、編集も作り手の意図がみえないようになっています。情けない男性たちが主人公の女医に助けられるとい…
『フィネガンズ・ウエイク』のモチーフである「バベルの塔」の崩壊、雷と言葉の拡散をかいてみたんだけど、どうかな?フーコがいう言語の拡散とは「バベルの塔」の崩壊から繰り返し言われた。「人間」が現れたとき、問題となるのは、言語の集中とは何かだ。…
忘れないように、映画『ザ・論語』の構想を書いておこうとおもいます。孔子と弟子達を撮るとしたら、たとえば切り替えのショットを利用して彼らの位置的関係を示すのがよいでしょうか。そうして対称性を以て分割された空間は同質的であるといえるでしょうね…
官僚は国民の公僕としての自覚を言うも半信半疑。国民の多数派政党の為に働くと言うのもぶりっこ。文字を重んじる知識人の影響圏にあった。世界的傾向だが、計画をやめるという市場任せのグローバル時代に官僚は考えることをやめてもう二十年もたつ。なお存…
「弁名」ノート No. 26 b ( 私の文学的フットノート) 「ただ仁に依りてしかるのち道は我と得て合すべし」(仁の大徳に依拠して徳をわれに成すことで、仁をもってする聖人の道とわれとは合一するのである)といわれていることについて述べているが、いかに特…
知識人が語る「天」の意味 「天」の意味と知識人が語る「天」の意味は同じにあらず。知識層から知識人となっていく方向づけにおいて、同様の普遍主義的な語り口とはいえ、仁斎と徂徠の差異から近世思想史の言説的曲面をかくことができよう。徂徠の謂わば「一…
戦争が始まると反証の精神が眠っていました。(科学者の報告を無視した)ブレア元首相の「大量殺戮兵器あり」とするテレビでの説得と米軍との戦争協力の決定によって、イラクへの空爆を賛成する声があっという間に二割から八割となったのです。さて安倍政権が…
「弁名」ノート No. 27 ( 私の文学的フットノート) (子安訳)「しかも先王は聡明叡智の徳を備え、礼楽を制作し、道を定立し、天下後世をしてこも道を最上の規範として由らしめたのである。後世の君子たるものはこの道を奉じて、天下にこれを規範として行っ…
トマス・ピケティ(社党候補アモンを支持)が、決戦投票がマクロン対メランションになったときは、メランションを選ぶという。ちゃんと社会民主主義のグローバル資本主義とル・ペンに対する対抗軸を作る言説の闘いがある。安倍政権に対しては、どうしてフラ…
世界は岬にあった。私のほかに誰も入れない鍵がかかった部屋にその岬と同じ大きさをもった他の岬がある。この岬で私が描くのは、自身とまだ鏡が無いので眼を背けあった王と民衆の姿 他の岬がある、この部屋で私が描くのは自身とまだ鏡が無く眼を背けあった…
世界は岬にあった。私のほかに誰も入れない鍵がかかった部屋にその岬と同じ大きさをもった他の岬がある。この岬で私が描くのは、自身とまだ鏡が無いので眼を背けあった王と民衆の姿 他の岬がある、この部屋で私が描くのは自身とまだ鏡が無く眼を背けあった…
「弁名」ノート No. 26 ( 私の文学的フットノート) (子安訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている…
誰が教育勅語を語るのか?何が隠蔽されているのでしょうか?皇国史観の研究者からきいた話ですが、わたしが理解したところでは、教育勅語をめぐる元勲のリベラル派と保守派との議論があったらしくて、前者は後者に対して、教育勅語による無理なマインドコン…
安倍の最高理解者の防衛大臣は「教育勅語には現代でも通用する価値観がある」という。日本会議の古代的復古主義の無秩序に抵抗すべく、21世紀の応仁の乱である無秩序をつくること
「差異とエクリチュール」は書記的言語を知の内部に置かない。ヨーロッパにおける脱構築的読みが可能だったのは、理念のヨーロッパと同じ大きさをもつ「他の岬」に依拠できたから?
命題;「われわれ」あるいは「わたし」をいう文化人であることが知識人がする外部への依拠の全否定を導くときは、自己にあっての差違において要請される批判性が失われることになる 「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし…
「応仁の乱」において、京都の政治中心性・文化中心性の解体が起き、全国に拠点をもつ複数形の「小京都」への分裂が起きた。京都からの脱領土化を現実化した武士は、彼ら自身の文化を作らずとも、16世紀から17世紀の知識層の形成を促した媒介的存在であった…
サルトルは「カメラ万年筆」という理念をもっていたが、「カメラを意味のギロチンの下敷きにした」という。これをどう読むか?これは知識人が語る言説だ。ただ映画を読み解く批判性をもたぬ文化人と違って、ゴダールもまたそのカメラ万年筆を以て制度を批判…
思考に映像と音が伴うことに、楽観的になりある時には悲観的になるのだけれど、精神的世界と感覚的世界は切り離してはいけないし、どちらかに無理に統合もできない。ここから芸術は精神的世界と感覚的世界との中間に位置するといわれるのは意味がある。思考…
恐れていたトランプの時代がやってきた。二度目のイラク戦争?戦争は文化多元主義というものを崩壊させてしまったのであるよ。だけれど、日本会議とその文化人がもつ正統性の感覚に対して、まだまだ取り組まなければならない文化多様性をいう脱近代的リベラ…
別の近代 「教育勅語」を文部省がみとめてしまうこの狂気はどのように説明すべきかと途方にくれるなかで、この種の狂気の誕生については歴史感覚をもって考えてみるという必要もでてきました。「武士の時代とは何か」を問う子安氏が強調するのは、近代のは…