2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

周辺から考える

周辺から考える ‪言語が世界を覆うとされると、世界の限界が言語の限界として現われるのであるが、外部との関係が観念されるその端に、偶然に、世界を映しだす大きな鏡が立つとき(キューブリック『2001年宇宙の旅』の冒頭のように)、鏡に映るこの部屋は何を…

周辺から考える

周辺から考える ‪言語が世界を覆うとされると、世界の限界が言語の限界として現われるのであるが、外部との関係が観念されるその端に、偶然に、世界を映しだす大きな鏡が立つとき(キューブリック『2001年宇宙の旅』の冒頭のように)、鏡に映るこの部屋は何を…

エリート政治家たちにおける義務の空洞化

‪「安倍内閣支持最低33%」(朝日新聞)をどう読むか?加計学園の問題が大きいだろう。安倍内閣は「公」「私」の混同をやってはならぬという義務感が全然ない。それどころか自分は正しいとすら確信しているようみえる。これは世界の何処でも起きている、グロー…

知の問題

‪ 「知」がやみくもにえらくなり、エリート的な「知」をつくらにゃいかんとかになる。…そうすると私は非常に不思議なのよ、いったい学校どこへいったんやという気がするんですよ。学校というのは否応なしに市民と結びつくでしょう、それでその市民との関係は…

イプセン「人形の家」

スウエーデンとノルウエイの間の独立運動のことは、イプセン「人形の家」とその解説本を読んで知りました‬。ノルウエイ語で書かれました

ヴィスコンテイー「Rocco and his brothers」

‪「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンは、明日観に行くかなとおもうヴィスコンテイー「山猫」、「Rocco and his brothers」のおかげで特集がある。ゴダール「ヌーヴェルバーグ」の中でゾンビ役をやっていなければ忘れられてしまった。 ‪橋の上で泣く場面、泣…

ソクラテス

‪近世における知の自発性のことがいわれます。たしかにカントは人であるために要請された理念性を見出しました。それは、同一性の論理に依存せずに方法論を重視した外部の思考です。それに対して近代は、人間の知の自発性を読むことよりも、「物」が主宰する…

複雑なものと単純なもの

‪せっかく複雑になるというのに、どうして単純にしようとするのだろうか?それは、単純なほうが簡単になるから。簡単なものほどわかりやすいから。そうして世の中は「わかりやすさ」というわかりにくさを苛立ちを以て受け入れなければならない。「わかりやす…

近世の注釈学

‪ ‪‪‪‪‪注釈学の近世は、遥か遠くへ出かけて行って深く探すことはしないのです。帝国の宇宙世界へ行かないし、そこで起源を探そうとはしません。近代の場合のようには逃げ場がなくなるほど隙間なく解釈し尽くす網目を作ることはおきません。寧ろ、人間世界の…

近代における学校の問題

‪ヨーロッパというのは自己決定を尊重している高さをもっているとみえるというのに、中流女性の非ヨーロッパ人との国際結婚が非常に少ないのは一体どうしてなのだろうかと長年疑問におもってきた。自己決定の自然な結果なのか?そうは思えない。とくに言語学…

グローバル帝国論

‪今日のようにかくも無自覚に、グローバル帝国論が「一国知」化してきたとき、問題となってくるのは、外部の批判的視野をともわず、「知」の文化論・世界宗教論へ行く世界史的モノローグのあり方ではないか。まさにパノプティコンの政治理論をここに適用すべ…

仁斎論語

‪仁斎論語というのは、仁は畢竟、愛なり、という詩の如く沸騰する言葉に凝縮されている。要請された理念的世界と美の感覚世界は、同じ大きさを以て存在していると思う。この二つの円は近代がするように切り離したら、此方の円が彼方の円を表象しているという…

ロッシーニの"シンデレラ"(オペラ版)

‪作品紹介の文を読むと、「カルメン」の19世紀はゴダール映画の20世紀を介してあるんだな。このあとに旧オペラ座でロッシーニの"シンデレラ"(オペラ版)を観た。ウオール街オキュパイの21世紀に意味づけられていると思った。オペラが滑稽で面白いのは、関係が…

ソフトな救済神学的な文化権力

この絶対的権威は、言論によっては覆すのが難しいですね。この権威は、これが嘘を言っているとだれも皆知ってるのに、厄介なことに、常に一定の支持率をもつのです。今回に限らず、その街頭演説にヤジが飛ぶし、抗議プラカードもあがることでしょう。奪われ…

南フランス

‪南フランスは二度目。大統領選挙の後だし、地方新聞に何が書いてあるか気になります。社会民主主義の衰退を分析していたり、フランスが改革もなくこのまま同じである続けることに疑問があったり、なにか言論の振動を感じます。大きな問題ですね。パリにおけ…

グローバル資本主義の問題

‪本来対立しているべき「私」の道と「公」の道とが混同しないようにしなければいけないのです。民主主義の道への信頼の回復のためにはその混同を防ぐことが欠かせないのですが、今日それをだれが言っているかです。グローバル資本主義がそれを言うのです。問…