2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『自転車泥棒』

戦前イタリアはそれほど戦争につきあわなかったのに釣り合わないほどの被害を受けた。悲惨と中途半端さから生じた屈辱感こそが、『自転車泥棒』の人間を見つめるラジカルさを理解した。公に感謝せよみたいなことを言って再び自らのブルジョワ性を隠蔽して恥…

‪「天地公共の道理」(横井小楠)

‪「天地公共の道理」大学時代にやった「法は科学として成り立つか」という議論は、常のこととして初めからもう結論がわかってしまっているような透明な中立性というか、目的合理性に枠づけるゴールをもっていた。しかし問題は、ここからであった。問題は、19…

演劇界のハロルド・ピンタがイラク戦争で嘘をついたブレア首相に抗議する形で言ってました。芸術は嘘が必要であるけれど、政治家は嘘をついてはいけないと。これはニーチェ的に解釈すると、芸術の嘘は人生に意味をあたえるけれど、政治家の嘘は他者から人生…

求めあう表の世界と裏の世界

求めあう表の世界と裏の世界小林秀雄の『本居宣長』を再発見しています。近代主義者たちが自分たちに都合よく宣長に思想を読みこんだ結果、あまりにもモダンな宣長を想定してはいなかったでしょうか、これが『宣長問題とは何か』が問いかける問題です。今日…

ファシズム

極右翼といっても、一度ファシズムが裁かれたヨーロッパで現在出てきている極右翼と、ファシズムが裁かれていない日本のそれとでは同じであり得ないでしょう。前者は、ヨーロッパの模索している新しい普遍主義が悪い形となる危険が心配されています。後者は…

戯曲を読む

タイムラインに「戯曲を読む」企画の告知が流れてきた。なぜ「戯曲」なのか?「戯曲」とはなにか?「戯曲を読む」まえに、「戯曲を読む」を読む必要はないだろうか?「戯曲」といえば、渡辺一民氏はチェルノブイリの映画を観たときカメラがもつ生き生きとし…

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読書人階級である官僚は知識人に従う(スピリチュアル系私人に非らず)。官僚制の近代化と反対の方向からきた毛沢東主義の反近代主義は、文化大革命の政治的災害と天安門前広場弾圧を齎した

MEMO

万引き家族もあれば、カッパライ三種の神器ー東京オリンピック、アベノミックス、日本会議ーもあるどんなことがあっても彼方はまったくゆるがない様子なので、此方は、思想の媒介性よりも力に依存する直接性のもとに惹きつけられてきた感じなんですかね、し…

朱子と仁斎

‪朱子とライプニッツを論じてカントに行くだけだったが、有限性としての人間の意味を問うた仁斎を忘れていた。近代の限界に直面したとき、形而上学を有限性に即して考えることができたのに。そこで歴史と人間は互いに重なりあう。そして問う。人間が人間であ…