『自転車泥棒』

戦前イタリアはそれほど戦争につきあわなかったのに釣り合わないほどの被害を受けた。悲惨と中途半端さから生じた屈辱感こそが、『自転車泥棒』の人間を見つめるラジカルさを理解した。公に感謝せよみたいなことを言って再び自らのブルジョワ性を隠蔽して恥じないナショナリズムの腐臭を恥じたのである