2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

本居宣長

ひとつの時代そのものよりも長生きする唯一のものこそ、その時代が自ら創造した美の形態である。ある活動が一つの美にまでなるのは、その時代が終わってからのことでしかない。それからこの美は消え去っていく。‪これは『映画史』からヒントを得たのだけれど…

シドニーのユダヤ人

シドニーのユダヤ人 あまりこういう話はfbですべきでないかもしれないのだが、総体としての自分の愚かさについて考えるのはいまじゃないかとおもうので、メモとして書き留めておこうかとおもう。明日はいきなり惨めに感じるかもしれないが、劣等感といわれる…

詩 ー『仁斎論語』

日本語は漢字と仮名でできているというが、 そういう日本語は皆のためにあり、 われわれのためではなかった。 なぜなら、真の日本語とは、 見ることのできない日本語だったからだ。 それ以外になかった。なぜなら、すでに忘れられ、 なお禁じられ、つねに見…

MEMO

‪ ペンは道具ではない、著述者の器官の一部です。 ー『増補版カフカとの対話』 昨夜は、中国からいらっしゃって東京に滞在なさっている方の言葉を通訳していただいたら、交際する人々の間で取り交わされるジェスチャーを比較なさっていたようだ。興味深くき…

言説としては成り立っているが、等しくみんなが持つことができるロゴスか?

偽の真写真といわれるものは、‪真実でもなく偽でもないというような反証の精神の働きである。この場合、正しい事実というのは不可能なのである。だから偽の真写真としての知識のあり方が要請されてくる。だがそれほど簡単ではない。だからせめてなんとか、根…

言説としては成り立っているが、等しくみんなが持つことができるロゴスか?

偽の真写真といわれるものは、‪真実でもなく偽でもないというような反証の精神の働きである。この場合、正しい事実というのは不可能なのである。だから偽の真写真としての知識のあり方が要請されてくる。だがそれほど簡単ではない。だからせめてなんとか、根…

「信」とはなにか?

「信」とはなにか? 字の作り方を観察すると、人の外に「言」がある。だから「信」は、人が外をもつことによって言葉に依ることができると読める。このことは、講座「仁斎論語」のなかではなく、講座“『歎異抄』の近代”(第一回)で学んだことだった。外部とと…

詩 ー「昼の本」と「夜の本」

「昼の本」と「夜の本」 昔むかし、「昼の本」と「夜の本」しかなかったといいます。 「昼の本」は、 文と呼ばれる自己の影をもっていたので、 そこで誰が何をしたと大いに語ることができたのです。 だが「夜の本」のほうは満月のときしか影がありませんでし…

マイノリティ

‪ ‪「テクノロジーの(過剰な)夢」「現実感覚」「生産性」に、というような近代の原理主義が宿っているのでないか。これにたいしては、のでなければ、みんなが一人ひとりがマイナーに成る多様性が多分起きてくることはないだろう。共同体は、絶えずみんながマ…

ヴェンダース

‪ヴェンダースの映画はドイツの戦争の傷跡だった。映画は、アメリカへ行きたかった、彼の記憶が住処とする写真の展示室。ポロライドのこだわりは人間に空間との関係を回復させるものだったようにおもう。携帯電話が写真を消滅させた、と、最近ヴェンダースが…

<他者と共にある共通概念>と<身体>

現代哲学は、<他者と共にある共通概念>と<身体>とは一体だと教える。仮にそうだとして、どういうことが言えるか。極右翼の排除の言動にたいしては、そこに他者の<身体>への「物理的な」傷害を構成できると思う。彼らが無意味とみなしている言論の自由の基準…

それは投射する、人の心は天の心が空にあるのをみた自然の心は決して嘘をつかないとその逆の方向から、天の心が人の心を投射するとき、人の心とはなんだろうかと根拠づけた。と、古代はまだほとんど歴史をもたないが物語る世界はあった。人間が誕生するとき…

ヘーゲルとマルクス

ヘーゲル『精神現象学』の読みによって、マルクスの理解が定まるのだろう。未だヘーゲルの世界史しかもたないからマルクスの思考が成り立っていないのでは?どんな素材でも構わないのだが、投射される思考の映像をみるためにはスクリーンが必要だ。しかし現…

伊藤仁斎

ドン=スコトゥスやスピノザの思想の影響を読み取るエーコの説明では、ジョイスは普遍言語と等価なものは普通の人々がつかう日常の言葉によって成り立つと考えたという。同時代的に、地方言語の英語で書いたシェークスピア、イタリア語で書いたダンテ、フラ…