2019-01-01から1年間の記事一覧

『インディア・ソング』(1975)

『インディア・ソング』(1975)は、ベケットとサルトル、演劇と文学から自立する映画とは何か?書くこととは何か?ラカンとフーコ『言葉と物』(ラス・メニーナスの分析)から自立する哲学とは何かを問いました。ついでにゴダールに自分のことばで喋らせるため…

MEMO

‪ LES MOTS ET LES CHOSES ‪ Absurdity destroys the and of the enumeration by making impossible the in where the things enumerated would be divided up. ーFoucault 不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって…

方法としてのオーストラリア

わたしは「きコクしじょ」らしいのだけれど、どうも「日本人」が見上げる他者ヨーロッパのフランス帰りの連中とちがうようだ。見下げる他者アジアとも違って、わたしが4年間いたのは見下げられる半ヨーロッパのオーストラリアである。この時代のオーストラリ…

MEMO

‪BBCでヘンデルのオペラをながしている。なぜヘンデルがイギリスにきたのかと疑問をもったのでネットで調べてみた。‬ ‪「1701年、ステュアート朝のウィリアム3世の時に制定された王位継承法に基づいて、アン女王が継嗣がなく没したため、1714年にド…

伊藤仁斎を考える

「天は吾を滅すか」の「天」は、伊藤仁斎によって17世紀にはじめて新しく意味づけられる(子安 宣邦 仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈)「天」との関係において自己を否定して「人」が依拠できる「道」とは、なにか?皆が往来している表側の路を考えてみる…

グローバル資本主義の問題をどう読むか ー子安氏と柄谷氏

‪西欧列強のアジア進出の時代に帝国(清朝)が植民地化されていく歴史の中で、日本近代国家が方向づけらて、明治維新から大正に確立した帝国主義が展開していくのは昭和の全体主義に向かってである。この歴史のことを考えるとき、「大正デモクラシーに帰れ」と…

『フィネガンズ・ウェイク』1

The fall (bababadalgharaghtakamminareonnkonnbronntonnerronntuonnhunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘ 多言語で構成されている雷の音 ‪フィネガンの落下、雷の音、20年代のウオール街の株価落下... ジョイスは身…

ベケット

Becket ‪ダブリンに引っ越して一週間めに、「モロイ」のひとり芝居をテンプルバーでみることができた。小説はその後に、数年後に読んだ。アイルランド出身のベケットは小説を書くときかならずフランス語で書いた後にこれを英訳した。理由はわからないがこの…

市民社会論の言説

国家神道の定義を狭くとることによって国家神道は天皇ファシズムの戦争と無関係だとしたくても、2000万人の死者は死者である。天皇ファシズムの戦争は例外的に起きたのではない。子安氏が問題にしているように、それはクーデター明治維新と国家祭祀のあり方…

普遍主義

‪普遍主義は、一国の大国主義に支えられたその中心的な担い手がリベラルであれネオリベであれ、EU帝国となってしまった、この帝国の内部はグローバル資本主義をもっているとする批判がある。これに対しては、英国のEU離脱が起きているが、しかし現在のナショ…

MEMO

盲目の核心におけるあのの過剰[trop de vue]こそ、私が語りたいことなのだ。(デリダ『盲者の記憶』) ナショナリズムは人権(言論の自由)を以って理性を爆撃している。「何をダメだとおっしゃっているのかよくわからない」あなたの中で「ダメだとおしゃっ…

MEMO

ナショナリズムは人権(言論の自由)を以って理性を爆撃している。「何をダメだとおっしゃっているのかよくわからない」あなたの中で「ダメだとおしゃっている」あなた自身の理性の声を聞きとってみて

関係の思考

ものを以ってトータルに考えさせてくるものとしては、例えば資本主義の商品交換体系(生産と流通)における「世界史的近代」がある。それに対してを以って方法概念的にトータルに考えるのは、一国の「それぞれの近代」である。「世界史的近代」と一国の「それ…

方法としての「それぞれの近代」

‪昨日の講義(子安氏)が「それぞれの近代」を方法として提唱なさっていたのは、五月末に北京で討議するためにであるが、私は最後まで出れなかったのが残念である。「世界史的な近代」と「それぞれの近代」を考えようというものである。正確で詳しいことはブ…

自立的私の思想

子安宣邦氏は北京大学講演を準備なさっているが、今日の講義のなかで、近代主義は民主化の永久革命であるというお話がでた。それはそれですごいものだとおもう。しかしこの時代はグローバル資本主義とナショナリズムの終わりにあるが、無関係に、近代主義を…

サイレント映画とスピノザ

‪ ‪20世紀の‪サイレント映画は、顔が光の中に置かれている。籠のなかに囚われている観念みたいだ。胴体は暗い。身体はどこにも立っていないし(『M』)、どこにも立っていたのである(『極北のナヌーク』)‬。17世紀のスピノザを考える。身体は、厳密に言って、…

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)、そこで何を語っても許されるというのではない。王の治世に先行する神々の世界を想定しないと、矛盾することになるという見方がある。そうだろうか?わたしはこう思う。神々の世界は、原理を…

MEMO

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)、そこで何を語っても許されるというのではない。王の治世に先行する神々の世界を想定しないと、矛盾することになるという見方がある。そうだろうか?わたしはこう思う。神々の世界は、原理を…

フーコ『言葉と物』を読む

フーコ『言葉と物』のどの章が一番大事ですかときいたとき渡辺一民氏は「最初と最後」が大切だと語ってくれた。その「最初」は「序文」のことだったのだけれど、わたしは「第一章 侍女たち」のことだと長い間勘違いしていたことにひどく呆れた。「あんなもの…

ゴダールの『映画史』(Histoire(s) du cinéma)

ゴダールの映画『イメージ・ブック』の前半は、ゴダールの『映画史』(Histoire(s) du cinéma)を発展させたもので成り立っているから、『映画史』をしっかり見て欲しいと願うものである。『映画史』は、1988年 - 1998年の間に断続的に製作および発表され1998…

ヴェンダース『ベルリン・天使の詩 』

渋谷に来て、ヴェンダース『ベルリン・天使の詩 』を30年ぶりにみた。「天使達は地上の人々の心の声に耳を傾け、人間世界の物語や歴史を見守り続けてきた」。映画はどんな世も語り部を必要とすると物語る真理も含めて、壁(=真理)の崩壊の意味を語る言説がひ…

フィリップ・ガレル監督の『ギターはもう聞こえない』(1991年)

昨日は、恵比寿の東京都写真美術館でフィリップ・ガレル監督の『ギターはもう聞こえない』(1991年)をみた。 昨日恵比寿でみたガレル監督の映画は、ヌーヴェルヴァーグの影響を受けた八十年代的な作品である。前半はヒッピーたちが集まったイビサ島で撮影さ…

共和主義

‪アイルランドに行けば強力な共和主義の理論がわかるはずだと思って行ったのですが、実際に生活してみると、日本人が好きな?国家哲学のような単純なものはありません。今日地球のマジョリティを為しますが、政治的独立を獲得したが経済的自立ができないでい…

憲法記念日とはなにか?

憲法記念日とはなにか?憲法記念日の今日は、敗戦のときに軍国主義と国家祭祀をやめたことの誓いを思い出す日である、と同時に、だからこそ象徴天皇制の意味を考える日でもあります。じつは象徴天皇制は二度目?江戸幕府の天皇の京都幽閉によって象徴天皇制…

ゴダールの映画『イメージの本』の感想

イメージの本に先行しているのは、本のイメージ、すなわち映画を思考手段とする思考のイメージである。それは自己の周りにあるものー卑近なものーを示すことによって、自己自身を考える方法である。 トータルに考えることが不可能となっているのは、知識がな…

西暦2019年五月一日とは何か?

西暦2019年五月一日とはなにか? 問題は、天皇の過剰な祈りの行為が象徴性を超える政治性を帯びてしまったことにある。君主論の言説は非常に危険である。また「たたかっている」とか、皇室民主主義論とかは的外れだ。元号好きも天皇好きも自然消滅するだろう…

次になにが起きるのか?

憲法は軍国主義と国家祭祀をやめることを敗戦のときに誓った。日本会議の安倍政権は憲法改正の必要もなく解釈改憲によって、敗戦のときの誓いを奪ったのである。次になにが起きるのか?大阪G20サミットと東京五輪を契機に、米中から自立した「靖国神社として…

ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995)

‪ ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995) ゴダールの78年からの映画復帰はウィットシュタインの哲学界への帰還に喩えられる。この7年後の1985年に、ゴダールは思考手段としての映画の意味を語っている。以下、ゴダールの言葉。 自画像、…

ゴダールの『女と男のいる舗道 』(Vivre sa vie 1962)

ゴダールの『女と男のいる舗道 』(Vivre sa vie 1962) ジャン・ドゥーシェは、溝口健二監督の『赤線地帯』(1955年)の影響なしには本作は存在しないと指摘しているという。アンナ・カリーナの渾身の演技をみよ。ゴダール映画はアンナ・カリーナがいなければ…

ゴダールの『小さな兵隊』(Le Petit soldat )

‪ゴダールの『小さな兵隊』(Le Petit soldat )は、1960年に製作されたが、検閲にあった。1963年に公開された。ゴダールはいう。‬ ‪『小さな兵隊』は、鏡のなかに映る自分の顔が、自分の内面に思い描いている自分の顔と一致しないことに気づく男の物語である…