<信>とはなにか?

<信>とはなにか?

自己の出生の秘密を知りたいとき人々が依拠していく<信>とは、見られず聞かれることもない<私の世界>にあります。そこで祈りが成り立つのだとおもわれます。しかし<私の世界>に留まるままでは生物的限界を超えれません。このようにして、この<私の世界>にはすでに、未来に生まれてくる人々と共有する<公の世界>が前提とされています。ここではっきりさせておきたいこととは、<信>は共同体に関わる本質をもっていますが、共同体に関わるからといって、他者を排除する必然性が無いということです。他者を排除することは、宗教とは全然異なる領域から来るものではないでしょうか。靖国公式参拝支持者は、自ら依拠する<信>としての神道を、国家ー即ち、他者を殺すためなら自己も死ぬという対外戦争によってしか自己自身のを創り出せない国家ーから自立させることを考えるべきではないでしょうか。不可能ではないとおもいます