柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (2)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか?
ー日本オリエンタリズムについて考える (2)

ヨーロッパではサルトルが復活している。サルトルの復活、というか、構造主義によっては克服されはしなかったというべきだろう。日本ポストモダニズムの勝手な思い込みとは別に、だ。デリダの思想は<存在としてのエクリチュール>だったし(子安宣邦氏ならば他者としての漢字という)、 ドゥルーズ哲学も<存在としての構造>という性格のものである。ただし、その<一的多様体>が形式上、認識の<ー>でしかないと最初に気がついたのは、柄谷行人だったかもしれない。<交通>を言いはじめたのは、存在の一をいうためであった。それを言うことができたのは、柄谷が自分でみとめていたように、彼がカントとサルトルに依拠していたことから説明できるかもしれない。ところが、カントとマルクスを読み直すと言った「トランスクリティーク(英語版)では、サルトルに決定的な役割が与えられていない。天安門前抗議の事件性を、非政治的な出来事として政治的に語るところから、サルトルの抵抗する声は遠くなっていたのだ。そのかわりに、異惑星から小さな地球を眺める視点で、<交通>が結局、<一的多様体>の帝国に腐敗してしまった感がある。