柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (5) 結論

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか?
ー日本オリエンタリズムについて考える (5) 結論

柄谷の'形式化'は本当にそれほど'形式化'だったか?カントとマルクスの形式化について、思考を適用する歴史が、周期的に!、20世紀以降も反復するのか?たしかに語る対象を特定しなければ何の破綻も起きないだろう。<方法としての中国>よりも抽象化した行き過ぎた純粋な神秘主義が柄谷の思考を制約していないだろうか?スキゾとパラノイア器官なき身体リゾームノマド的脱領土化と戦争機械とドゥルーズが諸々の概念を生産したのに対して、柄谷は、これらを形式化すべきだといったわりには、帝国原理、儒教、東アジア、華僑といった多種多様な概念に依存しながら、脱構造主義的に、語る対象を固定化しようとはしない。つまり柄谷にとっては、何もかも中心なき自己関係化する諸々の関係体系の射影に過ぎない。彼が自身に対してこれを正当化しているのはただ、自己の思考がライプニッツ的、西田的としてある限りにおいてである。嘗てEUとユーロ(の限界)を語るときライプニッツに言及したように、中国(の可能性)に西田哲学を適用できると信じているふりをしている。そうして結局、柄谷の思考に先行するのは、支配する国家と支配される国家との<同一性>、グローバリズムを米中の帝国に分ける<分割性>、チベットウイグルの独立要求、天安門と台湾で抗議する声の歴史を無視した<可逆性>。が、安宣邦氏が分析してみせた、西田幾多郎を貫く<不同一性><不分割性><不可逆性>の思考に反している。柄谷が西田に沿っていないのは、キルケゴール的遊戯によっても辻褄が合わないだろう。