民衆史


 繰り返し'普通の人'という言い方と、いかに思想が民衆に影響を与えるかを疑う傲慢は、本当に腹立たしいものだ。正しい近代に向けて改革する主体に届く程度に従って思想の価値が決まるとする民衆史とは、'民衆感情'と同様に、近代の言説が自らのために構成した言説でしかない。問われるべきとしたら、なによりも、民衆史の思想の従属性それ自身が、思想において問われるべきなのである