柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか? ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (4)

 柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?
ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (4)

 世界史は本当にそれほど世界史なのか?それは産業革命を経た英国と仏を中心としたヨーロッパが語る近代史でしかあらじ、それなのに、なぜ、人口から言って世界の圧倒的少数派が語るこの歴史を、普遍的な歴史として語らなければなたないのか?と、ヨーロッパの外からこの問いが立つとき、歴史概念の政治的な発明が始まっている。柄谷行人の「帝国」概念は、かれの「世界史の構造」というタイトルの本で言及されはじめたことも、ここにかかわる。柄谷の「帝国」概念は、彼の夏目漱石論に遡る一貫した大テーマだったとしたら、彼はロンドンから帰国した漱石と共に中国を考えている可能性があろう。そしてこの概念において理念的に何が言われているのかを読み解くだけでは足りず、言説としてこの概念によって柄谷が何に関わるのかという政治もみなければならない。
ところで、フーコ「言葉と物」が、近代主義者の思考はいかに起源の表象に絡みとられるかを暴いている通り、たとえば、近代は靖国問題を'民族感情'とするが、その問題が戦後における言説のあり方に存する点を隠蔽してしまうものなのである。宣長に('前近代的'な)'民族感情'をみる丸山においても、起源の表象に依存した近代知の構造が反復されている。さて近代は'前近代'を乗り越えよと言えば足りるか?否である。自己肯定するためには、他を否定しなければならない。そうして近代は国民国家としての近代国家が誕生する以前の近世をネガティヴに捉えてきた。本来柄谷の交通概念に、この近代知の構造から自立することが託された。が、交通概念が帝国概念に依る言説を伴うとき、交通を再び起源の知の構造に分節化していく危険が生じるのだ。
最後に、交通概念は構造から自立するために何処へも行ける。が、帝国概念に包摂されてしまっては、天安門事件を証言した「08憲章」において現実化した小さな人間たちの大きな人間を正そうとした抵抗が全くの無となってしまうのである。I'm more interested in what can't be resolved and what is irreconcilable(Said)