ポストモダニズムのモダン化 - 実践的にというか、不気味なほどにポジティブに、「左翼」を名乗るキモイ保守主主義者たち

2000年に入って、ポストモダニズムの所謂モダニズム言説が目立ってきました。厄介なこの言説は、ポストコロニアリズムから一定の影響を受けながら、ナショナリズムの言葉を喋っています。第三世界の数十か国を見渡したポストコロニアリズムのアカデミックな研究とは違う。実践的にというか、不気味なほどにポジティブに、「左翼」を名乗るキモイ保守主主義者ーなかには帝国主義擁護者も出てきたーは、非歴史的な文化論に定位するものです。そもそも、反ー新植民地主義復活の68年的課題として、ポスト構造主義は脱近代的に<書くことの歴史>を書いて、またポストコロニアリズムも反近代的に<歴史を書くこと>によって、帝国主義文化論的言説(戦う国家とそれを祀る民衆史)を批判しました。一応そう整理していいと思います。さらにポストモダニズムのモダン化というのは、この二つの思想の停滞を打ち破るものとして現れてきたと思うのですけど、異議申し立ての思想に猿轡を咬ませるとしか考えられないのです。ポストモダニズムの所謂モダニズム言説は、脱政治化の世界的傾向を指摘しています。例えば議会政党が国家の部品になり下がった現状に不満を持ちます。しかし別の見解も可能です。(既成の)政治が脱政治化したことは、市民社会が政治化するチャンスだともいえないでしょうか。<われ=われ>が立つとき
 
 
…la pensée …est parfois plus proche d’un animal qui meurt que d’un homme vivant, même démocrate.  Gilles Deleuze