集団的自衛権が行う戦争は嘗ての総力戦ではないだろう。だけれども、その戦争は総力戦よりももっと陰険な戦争になる可能性がある

集団的自衛権が行う戦争は嘗ての総力戦ではないだろう。だけれども、その戦争は総力戦よりももっと陰険な戦争になる可能性がある。なぜか?

 「歯止め」が「他国領に入らず」といっても、その「他国領」のなかでもはやかれらの「敵」が地上にいなくなってもずっと爆撃しつづけてきたのが、アメリカでしょうに。この「友達」の止まらない爆撃を自衛隊が英雄的に助け続ける?現地ではたとえ爆撃で殺されなくとも、爆撃の影響で薬や水や食糧の供給が確実になくなるから、病院にいる子供たちは(病院があればの話だが) 百万人は死ぬ。何十万、何百万人の難民を出しながら、この国の人々は、(アメリカ国民と同様、) いつまでたってもアメリカが爆撃する理由もはっきりとわかることはないだろうし、そもそも爆撃される国たちがどこにあるのか世界地図を指させないだろう。ただ、アメリカといっしょに「地球の裏側」まで守っているのだという根拠ない英雄的プライドだけが興奮ハッスル。だけれど、それも最初だけのこと。テレビの前であきてしまう。現地から送られてくる死者たちの映像に涙した人々もそのうち、'大したことはない。世の中にはもっとひどいことが他にある'、とばかり忘却。あきることも忘却もどちらの場合にしても、不安感の方はおさまらない。リアルに、かかわってくる周囲世界にますます安心ができなくなってくる。と、すでに、グロテスクに報じられる、次のスケープゴート、(場合によっては) 憲法の平和主義とヒューマニズムの名を借りた、用意周到な、次の爆撃の計画が堂々と告げられてくる。国民は、武器を消費していくために、戦争を生産するというマーケットに身も心も依存しはじめる。厳密にいって、軍国主義全体主義は同じものではないが、互いに親和的なのである。万歳三唱、戦争と商売が織るナショナリズムに邁進していく道しかないとおもわされてくる。他の道は、"非国民"?

 

繰り返し言うけれど、アメリカの爆撃によってかならず多数の難民が出る。'自衛隊は後方支援だけだから難民を受け入れません'は、国際世論が絶対に許してくれないのだ。通常、一国にたいする爆撃で数十万人とか百万人の数の難民が生じるが、この政府は「地球の裏側」までドンチャンやるつもりであれば、もちろんこんな数では全然足りないはずだ