「大正」とは何か?「大正」をいかに語るか?

「大正」とは何か?「大正」をいかに語るか?

 

河上肇は『貧乏物語』(大正5年、1916年)は、の中で「ワーキングプアが生まれるのは、富裕層が贅沢をして、社会が貧者の生活必需品を作らないから」と指摘しています。「貧困の発生は、政府が少数富裕層の巨大な消費の可能性を過大評価するから」と解すれば、このことは現代の話となるのではないでしょうか。さて大正の始まりは、帝国主義ベクトルの起点だったことも大変気懸りです。昭和の満州侵略は、新しい国土の成長の夢。この帝国主義的に方向づけられていく言説が大正の関東大震災を契機にあらわれてくる事実は、よく注意しておきたいポイントであります。その前に日比谷焼き打ち事件があった (明治38年、1905年)。これについては大正との連続性があります。当時の民衆のナショナリズムを、安倍の「コントロール」の嘘を知りながら東京オリンピック開催決定に熱狂した世論と重ねてとらえてみるというのは、行き過ぎた比較かもしれません。が、自分たちが何をしているのか分からなくなってきたという点ではそれほど違いがみえません。大正を媒介に昭和に結実した戦前の大東亜共栄圏の'集団的自衛権'の狂気。これが現在の「地球の裏側」まで行ってドンチャンやるという安倍の「強い日本」の方向と重なり合うことはおそろしいぐらいの一致ですね...