ユダヤ人とわたし

ユダヤ人とわたし

私は三歳から七歳まで4年間オーストラリアにいました。帰国後の三年後に英語は完全に消滅しました。日本語に入れかわったのですね。さて当時のオーストラリアは日本人が500人足らずでしたから圧倒的少数派。まだ白豪主義の影響でパブリックスクール時代の友達全員が白人でしたから、奇妙な話ですが、夢の中でも英語をしゃっべていた自身をdどうも彼らとおなじ白人と思っていたようなのですね。この幻想がぐらつくのは、きまって誕生パーティーのときです。友達に呼ばれてもその親たちに追い出されることが続きました。友達が泣きながらいいます。「takashi、わるいけどもうかえってくれ」「なぜ?」「親が悪魔の子供だというんだ」「・・・?」。つまり親の世代が戦争の記憶が残っていましたからまだ反日感情をもっていました。私は子供でしたからそのことがわかりません。非常に気持ち悪い思いで家路につきました。このことは、いくら両親にきいても説明できません。日本人の親ですから「そんなこどもとは遊ぶのはやめなさい!」と叱る始末です。そういうときに同情してくれ私の親に抗議してきたのは、ユダヤ人の大...家でした。彼女の家に連れてくれました。と、誕生パーティーの話にずっと涙を流します。わたしはなぜ泣くのかわからなかったのですが。かの女のアドバイスはいつもこういうものでした。「わたしはタイプライターのおかげで自立した。いまからあなたもタイプライターをしなさい」と。これは大変当惑でした。が、あの言葉がなにを意味したのかいまやっとわかってきました。財産のある裕福な大家はユダヤ人であるゆえに非常に孤独だったということ、私の境遇にその自分の立場を重ねて同情していたこと、です。ユダヤ人達の同化していく苦労のことは、大人になってロンドンにおいて目撃することになります。最後に、ふたたび、奇妙な白人としてのアイデンティティーのことですが、帰国のとき隣家の大工の息子がアボリジニー(オーストラリア先住民) の写真集をくれました。この白人アイデンティティー大きく揺れました。<信じられない、罪深くも、わたしたち白人がこのひとたちを砂漠に立ち退かせたのか!?>、と、英語のなかでこの問いをつぶやきました。