21世紀精神とはなにか?

21世紀精神とはなにか?

国家の事情で外の世界との多様な関わりを奪われて国家の中に囲い込まれてしまった少数派の人々にどんな「特権」があるのでしょうか?これについて、同化主義について疑いもしない日本知識人たちがはじめる言葉とは常にこういうものです。<諸君は何かを失ったからこそ「何か」を獲得できる>と。ここから、体制派は、<君は国家の中で主体性を獲得できよう>といい、<国家は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>と繰り返し諭してきました。他方、(国家に信を置かない) 反権力派の方は、<君は帝国の中で主体性を獲得できる>といい、<帝国は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>というのです。つまり思考の仕方において日本知識人の体制派と反権力派とがいかに互いに似ているかということです。とくに日本の反権力派については、世界の知識人と決定的に異なる点だが、かれらほど<国家を失ったからこそ、超越的に他と交換できない唯一のテクストを獲得できる>というような全体性の幻想に絡みとられてきた知識人はいないことを指摘しておきたいとおもいます。地球を画一化していくグローバル資本主義にたいして、21世紀精神は自らをいかにグローバル・デモクラシーとして創りだそうとしているのか理解しません。それどころかポストモダンのモダン化のような観念の反動に委ねさえし、近傍の小さな人々から起き始めた運動の広がりをそのまま見ようとはしないのです。