なにを知るのか? ー 田中伸尚氏の<講演> 自由と抵抗をめぐって ー「大逆事件」と現在、を読んで

なにを知るのか?

冤罪を知ることは、国家が行った犯罪を問うこと。が、「大逆事件」の再審請求は1961年に起こされても、最高裁が再審請求棄却をしたために「大逆罪」による死刑判決は今もまだ法的には有効、無傷です。つまり大審院判決は今も生きているということなのです。だから、国家は自己の犯罪を謝罪も反省もしないし、補償すらしないのです。なにを知るのか?日本社会にもたらしたもの、日本人の心のなかに大逆事件がもたらした傷を知ることではないでしょうか
「大逆罪」というウソの物語は、捏造、歪曲、こじつけ、すり替え、隠蔽の組み合わせでした。国家の狙いは、処刑によって、全体の状況で恐怖を与えて沈黙をさせるという大きな狙いがありました。1912年から起きた沈黙は、死刑の恐怖と一体となった2014年の秘密保護法のもとで繰り返されることはあり得ないのでしょうか?

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以下、田中伸尚氏の<講演> 自由と抵抗をめぐって ー「大逆事件」と現在

この事件は「幸徳事件」といわれ、幸徳秋水をつぶすための事件であったと言われていますし、それはほぼ間違いないと思いますが、幸徳秋水だけが処刑されたわけではなく、ほかにも11人の人が命を奪われました。
検事の平沼が法廷で証言していますが、この犯罪は、「動機は信念」にあるのだ、と。つまり思想を裁くということです。その思想とは何かというと、無政府主義であり社会主義である
「幸徳は関係ないはずはない」。あるいは「彼は首魁に違いない」また「全然証拠はないけれども、とにかく捕まえて話を聞こう」と。小山は1920年代の終わりから30年代にかけて、思想検事を対象にした会合で「大逆事件」捜査の手柄話として、逮捕していった話を得意気に紹介しています。そういう予断と偏見でま、まず中心的な人物を捕らえていく。中心的な人物というのは、アナキストであったり、それに近い人たちです。捕まえて拘留し、検事から予審判事ー予審という制度は今はありませんが、実質的には起訴を前提にして取り調べを担当する判事ーが調べて、聴取書と予審調書ができるのですが、検事の取り調べを土台に、予審判事が取り調べ、明治天皇を暗殺するために、さまざまな計画、予備陰謀があったという架空のウソの物語がつくられていく。逮捕して、いろんな話を聞きながら「こうだろう、ああだろう」ということでストーリーをつくっていく。最終的にアナキズム社会主義を根絶してしまうための物語をつくっていく。大きな物語を書いたのは、おそらく山縣、桂らで、司法省の事実上のトップの平沼がそれを実行した。

非戦の思想というのは、当時の社会主義の中心的な思想でした。堺利彦は後に、日本の社会主義は非戦という思想を栄養剤にして大きくなっていったと言っていますが、それは間違いではないだろうと思います。明治末期の日本は、軍国化と、アジアに植民地を獲得して帝国化するという二つの車輪で強国に伸し上がっていった。その中で「戦争を禁絶する」、つまり非戦を主張した。国家の専権事項である戦争を認めない、それが当時の平民社社会主義でした。今から見ても、実に先進的な思想です。この思想は、その後、長く日本社会を支配していくことになる天皇中心の国家を相対化する射程を持っていました。非戦主義というのは、そこにまで射程が伸びる。それは天皇制国家を揺るがしかねない。国家の側からみれば、危険な思想だったわけです。