書評; 子安宣邦「中国論」を読んで ー 人類史的に開かれた二十一世紀の精神をかんがえるために

書評; 子安宣邦「中国論」を読んで
ー 人類史的に開かれた二十一世紀の精神をかんがえるために

本多敬

1
だれもが他者の重要性をいう。誰もが他者との関係の重要性を知っているというのである。が、実際には、自分たちの首相のせいで隣人である東アジア諸国からの信頼が奪われているだけでなく、同じその安倍に煽られて自らが隣人の信頼を裏切っている結果、精神的に不安定になってしまったかもしれない人々を前に、ほからない、重要な他者であるコーリアと中国について語ることがますます難しくなってきたのではないだろうか。出口がみえない、息苦しくエモーショナルになってきたなかで、だからこそ、他者問題としてできるだけ知的に語るしかないではないか、と、わたしはやっと気がついてきた。子安宣邦氏の'なぜこの中国認識は問われねばならないのか?'を読んだときまさしく、このことが書いてあった。子安氏は現代中国の思想家についてこう書き始めている。

汪暉とは現代中国の〈新左派〉を称される思想家である。いまここで読もうとする『思想空間としての現代中国』も『世界史のなかの中国』も、その書名に見る通り中国の現代思想家である汪暉による中国の自己認識ともいうべき著書である。しかしこれらがただそれだけの書であるならば、すなわち中国知識人による現代中国の自己認識の書というだけであるならば、これらの書の日本人による論評は中国研究者の課題となっても、私のような専門外のものの論評の課題となることはない。だが汪暉のこれらの書は、専門外であっても現代中国に大きな関心をもつものの批判的論評を促すようなものとしてある。なぜ日本人のわれわれが汪暉という中国知識人の中国認識の著述を論評し、その言説活動に批判的な介入をしなければならないのか、その理由を明らかにすることができれば、私のこの報告の目的は半ば達せられたといってもいい。


'なぜこの中国認識は問われねばならないのか?'の最後はこのようにまとめられている。

汪暉は1989年の社会運動の失敗をいっても、挫折させられたその運動の継承をいうことはまったくない。〈天安門事件〉を、その犠牲者を汪暉は中国共産党国家とともに歴史から抹殺してしまうのである。中国に〈民主化〉という〈再政治化〉の道はない。汪暉がいう〈脱政治化〉としての中国の「国ー党的体制」とは、〈もう一つの政治〉への民間的運動を抹殺したことから生まれてきた政治体制ではないか。汪暉はこれをグローバル時代の二つの社会体制間に共通する〈脱政治化〉のプロセスとして記述していったのである。だが汪暉のこの〈脱政治化〉の叙述が否定したのは中国の〈民主化〉への道だけではない。議会制デモクラシー国家における市民的〈再政治化・再民主化〉への道をも彼は否定したのである。汪暉の中国の自己認識の言説がわれわれにおいても問われねばならないのは、このゆえである。

大きな人間の言葉が'軽い'。しかしそうして小さな人間たちの政治の世界が非政治化してしまったならば、大きな人間に再び政治化をもとめることよりも、小さな人間たちのが政治化していくチャンスではないだろうか?。大きな人間が<掘り返せ掘り返されろ>をやめたならば、そのときこそ、小さな人間たちが、自らが依る世界を、<掘り返せ掘り返されろ>化していくチャンスがきたということにほかならない。
国の秩序に反するから立ち退きしたまえ!は、国に本当の意味で秩序がなければ理性の知を動かせないだろう。国が乱れているからこそ、立ち退かない愚者としてふるまうのであるから。国に都合がいい「公」から身をひき、そうして晴れでも「傘」をさして街頭に立つのであるー 天の「公」をもとめて。(「公民」というのは、「市民」という意味)。ここでもし人々は愚者としてふるまうことすら絶望的に無意味だと知るときはどうするか?やはり国を捨てて逃げ出すしかないのではないか。これは、3・11以降、隣国の話として他人事では片づけられなくなってきた問題だ。香港の声なき声は、一党制の政治にたいする抗議。香港は自らを代表する声を奪われる危機に直面している。同様に、(中国から独立しているはずの)台湾においても中台貿易協定にかんして自らを代表する声を奪われようとしているのだ。(台湾のデモに香港のフリーマーケットに危機感をもつ人々が支援に来たという)。なんとか複数政党制が維持されているとはいえ(だが社会党が解体し野党が事実上なくなっている!)、日本における原発体制の一体構造(政財官マ裁)の体制も、”安全神話"のような捏造された合意が押しつけられてきたのだ。この恐怖は現在進行中。安倍の原発体制に異議申し立てしていくには、原発問題を徹底的に国際問題化していくことが必要であるように、現在アジアの学生たちも、国際的連帯を必要としている。具体的には、日本はどのように報じているのか、人々が関心をもってくれるのかがかれらの大きな関心。が、残念ながら、いまのところは、まだ香港と台湾の問題を自分の問題としてとらえきれていない人びとがマジョリティーである。東アジアの問題をいかに自分たちの問題として構成していくのか?これについては一言で十分。現在台湾と香港の中国との関係は、TPPや集団的自衛権など日本のアメリカとの関係とパラレルとかんがえてみること。彼らの直面している全体主義の構造の問題は、たしかにわれわれが直面してくる問題ではないだろうか。

2
ポストコロニアリズム的民衆史は、自らに、非西欧世界のことを書くことを課している。書き手は、旅行者の立場で、色々な地を遍歴した自分の場所感覚を利用して自分の体験を書く。場所感覚とは、共通感覚のこと。ポストコロニアリズム的民衆史の「朝貢貿易」観も、このような、交換・流通を中心とした場所感覚を利用をみてとることができないだろうか?ポストコロニアリズム的民衆史の根底には、環境 (外部)に開いた多様性を共通項にしようという、「判断力批判」のカントが分析したような有機体論的な生命観がないだろうか?それにたいして、わたしは、多様性の認識において共通感覚は不要であるとかんがえる。カントは、中村雄二郎がいうような共通感覚のことも言っているので厄介だが、カントにおいてはそもそも普遍的な共通なものを相対化することが「判断力批判」の大きなテーマであった。つまり、無限ともいえる感性の多様性は、それ自体ではカオスに陥るが、理性によってコンパクトに統一され得るものなのだとカントは主張したのである。この場合カントがいう理性による統一とは、理性による介入、という程度の意味である。(この点に関しては、カントは「判断力批判」を「実践理性批判」と差異化しているから、「判断力批判」の理性と「実践理性批判」の理性は同じものではあり得ないが、ここで肝心な点は、両者がいかに重なり合うのかをみること)。「判断力批判」の理性は、実践理性的な理性を前提とした理性のコンパクトなあり方を語っているとみれば、「判断力」がいう理性の介入とは、「判断力」がいう実践理性の介入といってもいい。あるいは、東アジアの問題として、実践理性的な憲法概念の介入、たとえば東アジアの民主主義を要求する平和原則の介入を意味してくるだろう。そうすると、たとえば、「近代」以前の、ポストコロニアリズム的民衆史が目的的に理想化してしまう、'無限'ともいえる多様性に同一化することは不可能ではないけれど、倫理的には無意味であるということなのだ。つまり連続性は、「近代」によって、消滅することになるとみなさなければならない。ポストコロニアリズム的民衆史のように、N個の多様性から特権的特異点的な一を取り出し、あたかもそれを、アジア的非西欧的「近代」以前に存在したという起源にまで割りふる言説は、汪暉における倫理的な問題を構成するものと言わざるをえない。現実に、この言説によって西欧的近代ときめつけられた、現在のチベットウイグルの民主主義の要求は、(アジア的近代の特殊性・特権性をいう支配者から)、非西欧的な文脈をもっていない非現実的なものであるゆえに、はじめから理念的に正当性をもちえないとされる危険性がある。が、このような言説はグローバルデモクラシーの人類史からすればゆるされないことは明らかであろう。この点について子安氏の'中国と〈帝国〉的視野―「琉球」をなぜ語るのか?'は、こう書きだしている。

汪暉の『世界史のなかの中国』の副題は「文革琉球チベット」となっている。その副題通り、本書第2章のタイトルは「琉球―戦争の記憶、社会運動、そして歴史解釈について」である。中国の現代思想家の自国認識にかかわるこの書が「琉球」の章をもつことは当たり前のことだろうか。そんなことはない。私にはそれは異様に見える。しかもこの著者があえて語ろうとし、そして語ってしまったのは「琉球」であって、決して沖縄ではない。「琉球」としてはじめて沖縄は、この中国の〈新左派〉を称される思想家汪暉の語りうる対象となったのである。それはなぜなのか。そこには「琉球」が中国的呼称であること以上の問題があるように思われる。彼はなぜ沖縄を語るのか、あるいはなぜ沖縄を語ることができるのか。沖縄が「琉球」であるからだ。汪暉は沖縄を「琉球」として語るし。語りきってしまうのである。どのように彼は語るのか。彼がそのように語りきってしまうことの意味は何か。私がここで答えようとしているのは、そのような問題である。

子安氏はこの問題について長い論考を行い、最後にこのように結論している。

汪暉のいう〈朝貢関係〉的モデルによる〈中華帝国〉的統合とは、中共党の一元的支配による全体主義的政治社会体制をもった経済大国中国への統合でしかない。この統合が何であるかは、チベットや新疆ウイグルの苦難の実状が教えているし、「一国二制度」がいわれる香港の現状は台湾の人びとに明日の自分たちの姿を予見させている。この春の大規模な〈民主的台湾〉のための運動は、香港の現状に台湾の将来が重なることを拒もうとした学生・市民の民主的決起でもあったのである。われわれはこの〈朝貢関係〉的モデルの提示に欺かれることはないといいうるかもしれない。だが「なぜ伝統的な政治関係や結合モデルにおける、文化や政治、その他習俗の多様性に対する容認度は現代世界のそれよりも高いのだろうか」といった問いかけとともに汪暉が提示する〈朝貢関係〉的な関係性をもった〈東アジア世界〉像はわれわれにとって挑発であり、挑戦でもあるだろう。それは浜下が歴史的な「琉球」からわれわれに読み開いていった多重・多層・多元的な海洋的交易空間としての〈東アジア的世界〉を、一体的な〈中華帝国〉的世界に多元性の相互承認的空間として包摂してしまおうとする挑戦的な〈東アジア的世界〉像の新たな提示であるからである。浜下の〈朝貢関係〉論の汪暉における剽窃的盗用がもつ犯罪的意味はこの点にある。

たしかに、ここでいわれているように、「琉球」のように、国家の事情で外の世界との多様な関わりを奪われて国家の事情によって囲い込まれてしまった少数派の人々にどんな「特権」があるというのだろうか?これについて、同化主義について疑いもしない言葉とは常にこういうものだった。<諸君は何かを失ったからこそ「何か」を獲得できる>と。ここから、西欧的近代の体制派は、<君は国家の中で主体性を獲得できよう>といい、<国家は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>と繰り返し諭してきました。他方、これからは、(冊封的関係・朝貢貿易の帝国の理念的復活を装う) 非西欧的近代の体制派の方は、いいかえれば、ポストコロニアリズム的民衆史の言説のほうは、<君は帝国の中で主体性を獲得できる>といい、<帝国は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>という。つまり、思考の仕方において、西欧的近代の体制派と、非西欧的近代の体制派とがいかに互いに似ているかということに驚きを禁じ得ない。こうした大きな人間たちは、地球を画一化していくグローバル資本主義にたいして、21世紀精神は自らをいかにグローバル・デモクラシーとして創りだそうとしているのか理解しない。小さな人々から起き始めた運動の広がりをそのまま見ようとはしないのである


3
子安氏の'中国で読む『世界史の構造』'は、柄谷行人に対する違和感から書き始めた。子安氏はこういう。

 私が違和感をもって投げ出していた『世界史の構造』が、昨年から私に気になるものとして再登場してきた。昨年(2013)の5月号から雑誌『現代思想』が柄谷の「中国で読む『世界史の構造』」を連載し始めたのである。この連載は5回、昨年の10月まで続いた。この連載はその前年(2012)に中国の清華大学で『世界史の構造』の中国語訳出版に合わせてなされた講義によるものである。私が『世界史の構造』にあらためて注目したのは、この著述が〈中国で読まれる〉というそのことによってである。〈中国で読む〉とは、端的に中国においても読まれ、講じられることを意味しているのかもしれない。これが中国においても読まれ、講じられることをもって、まさしくこの本が〈世界史的〉な構造解明の書たるゆえんが実証されると著者はいいたいのかもしれない。たしかにこの書が〈中国で読まれる〉書であることだけによっても、その理由を問いただしたい気が私にはある。
 だが〈中国で読む〉とは、ただ中国において読まれ、講じられるということ以上の意味をもっているのではないか。〈中国で読む『世界史の構造』〉とは、中国という巨大な世界史的な経験的素材をもってはじめて読み出される〈世界史の構造〉を意味しているのではないか。柄谷の清華大学での講義とはそのことを汪暉らを含む聴衆に語り出したものではなかったのか。それを私に教えたのは、『現代思想;特集いまなぜ儒教か』(2014年3月号)の柄谷と丸川哲史との対談「帝国・儒教・東アジア」であった。この対談は『世界史の構造』が「中国問題」の書であることを私に教えたのである。

'中国と〈帝国〉の経験 ―柄谷『世界史の構造』を読む'の最後で、子安氏は抗議の意思表示をもってこのように結んでいる。

さきにふれたように柄谷が『世界史の構造』で〈帝国〉の問題を考えるようになったのは、現代中国になぜ〈帝国〉が存続しているかという問題であったといっていた。マルクス主義者に指揮されたソ連や中国の社会主義革命は、それを意識することなく〈帝国〉を再生したともいっていた。また柄谷を「帝国・儒教・東アジア」(『現代思想』14年3月号)という対談の場に呼び入れた丸川哲史も現代中国における「帝国の原理」の持続をいい、その「再浮上」をいったりしている。彼らが現代中国について〈帝国〉をいうのは、多くの異民族とその文化共同体を包括支配してきた〈中華帝国〉的広域支配を持続させている現代の共産党国家中国をいっているのである。この現代中国の〈帝国〉的現状は、〈帝国〉的支配なのか、〈帝国主義〉的支配なのか見分けることができない事態になっている。すでにグローバル資本主義を支える大国である中国にあるのは、世界の二極分化に起因する中近東世界における動乱と同質の動乱である。『世界史の構造』が中国で読まれ、また〈帝国〉の経験が語られるのは現代中国のこの事態においてである。「だから帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統治してきたかという経験がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。」と前記「対談」で柄谷はいう。だが中華〈帝国〉の経験を教訓とするのは習近平以外のいったいだれなのか。

 柄谷の<帝国>の認識は、「資本論」の読むことの優越性からきているとかんがえることができるだろうか。これは思想史にとって大切なポイントである。というのは、日本知識人の間には、無誤謬性の神話と形容できるほどの「資本論」に託してきた、他国の知識人にはみられない、顕著な全体主義があったからである。そしてついに柄谷も例外ではなかった。子安氏は、この「資本論」の柄谷の問題を、〈交換様式〉論としての『世界史の構造』という過剰な語り出しにみいだす。子安氏はつぎのように分析している。

資本論』はただ商品交換様式が形成する世界を解明しようとするものであって、他の交換様式に根ざす〈国家〉や〈ネーション〉などへの視点をマルクスはカッコにくくっていると柄谷はいう。だが〈交換様式〉論によってはじめて〈国家〉論、〈ネーション〉論は可能になり、資本制社会の〈資本=ネーション=国家〉という三位一体的構造も明らかにされるし、社会的構成体の歴史的変遷への展望も可能になると柄谷はいうのである。だがこれはおかしい。もし資本制社会が〈資本=ネーション=国家〉の三位一体的構造からなるものとすれば、〈国家〉〈ネーション〉への視点をもたない『資本論』には、マルクスの方法論的な自己制約ということでは片付けがたい問題があるということではないか。何より〈交換様式〉論としての『世界史の構造』という過剰な語り出し自体が、『資本論』の歴史的制約をいっていることだと私には思われる。
 だが柄谷自身はそうは思わない。「彼は国家やネーションをカッコに入れることによってそうしたのだから、後者(国家・ネーション)に関する考察が不十分であったのは当然である。それを批判する暇があれば、国家やネーションに関して、『資本論』でマルクスがとった方法によって自分でやればよいのだ、と。実際、本書で、私はそれを実行したのである」(序論)と柄谷は反論する。だがこの反論は堂々めぐりのようである。〈国家〉論を欠く『資本論』への疑問に、『資本論』のマルクスの方法をもって自分で〈国家〉論は書けばよいのだとは、一種の堂々めぐりである。この堂々めぐりの反論が明かしているのは、『資本論』からすれば過剰な語りである〈交換様式〉論による『世界史の構造』の正当性の根拠は『資本論』しかないということだ。たしかに〈交換様式〉論としての柄谷の〈世界史の構造〉の読み出しの正当性を根拠づけるものは、『トランスクリティーク』におけるカントを方法とする『資本論』の〈可能性〉に賭けた読み出ししかないのである。「われわれは『資本論』を、重工業以前、国家資本主義以前の古典としてではなく、逆に、新自由主義(グローバルな資本主義)の時代に蘇生するテクストとして読むべきだ。

柄谷行人は、グローバル資本主義の問題を考える上で、民族と国家の問題を知るべきだという。「資本論」の限界はなにであったか?それは資本の問題だけを論じていて、民族と国家の関係を捉えていなかった点にあると見抜いた。しかしそこから柄谷は、青年マルクスの民族と国家の関係を論じたテクスト(例、「経哲草稿」)に向うことはない。ここで柄谷は唯一のテクストとして「資本論」に依るとはっきりいう。この「資本論」に明白な記述がなくとも、文と文の余白から、民族と国家についての記述を読み出すことができたとすら彼は言い切るのだ。「資本論」を前にすると、日本知識人たちはなにか絶対的な存在の前に出たというようになるが、前述したように柄谷もこれうぃ反復している。しかし21世紀グローバル資本主義の問題を有効に解決できなかったテクスト(「資本論」)の問題を解決するために、再びそのテクストに委ねていくことはいかにして可能なのだろうか?テクストに書かれていないことは書かれていないのである。書かれていないときに書かれているとするのはなぜか?つまりそれは、書かれていないことと書かれていることを同一化しているからだ。あるいは、同一化の無意味さを隠蔽するような言説が機能しているではないか、と言わざるを得ないのである。さて柄谷のこのような<唯一のテクスト>の問題は、<唯一の空間>を構成する言説の問題に顕著にあらわれてくることは一考の価値があるかもしれない。実際に柄谷は、「天命=民意」なければ分割なし、つまり自由民主主義的な体制はゆるされない、とはっきり主張している。この言葉は、国家の中の国家をみとめることはできぬという19世紀的国家主義の言葉でないとしたら、グローバル資本主義を解決するためにオキュパイ運動のようなグローバルデモクラシーがあらわれてきたことを理解できていないような思想家の言葉である。この言葉の全体は帝国デモクラシーとよぶべき危険な言説を構成しはじめている。こうして柄谷が擁護する<唯一の空間>こそは、グローバル資本主義を推進してきた、したがってグローバルデモクラシーを抑圧してきた構造である。だが、やはり、この<唯一の空間>の問題を解決するためには、再びこの<唯一の空間>に委ねていくことは不可能だし倫理的にも許されないとわたしはかんがえる。だから柄谷に問おう。すなわち、デモクラシ一は存在していないときに存在していないのである。デモクラシ一は存在していないときに存在しているとするのはなぜなのか?言い換えれば、デモクラシ一は存在していないときに、「天命=民意」として存在しているとするのはなぜなのか?結局柄谷は<唯一のテクスト>のときと同じ幻想に絡み取られていることがみてとれる。つまりそれは、柄谷において、存在していないことと、存在していることが包摂的に同一化されているからだ。あるいは、繰り返しを恐れずにいうならば、同一化することの無意味さを隠蔽しているという言説のあり方が思想史においてわれわれが取り組むべき問題となってきたのである。

ここで子安氏の考え方を明らかにするために、あえて図式的に、子安氏と柄谷を比較してみることにしたい。子安的なグローバルデモクラシーは、<精神の市民社会>(マルクス的に、ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが、人間にとっての根本は、人間自身である)、<語る民主主義> (小田実的に、小さな人間が大きな人間をただすこと)、<脱民衆史> (国家に囲まれただけの人々に、あたかも果たせなかった真の近代を実現できるとするユートピアの主体性を読みださないこと)、から成り立つ。語る民主主義は自らをいかに選ぶ民主主義から差異化していくか、この語る民主主義こそは、ほかならない、グローバル資本主義の原点を構成するものではないか?オキュパイ運動以降は、台湾、香港でも、日本においてもどこでも。
それにたいして柄谷的な「帝国」デモクラシーは、<交換の市民社会> (なんでもかんでも交換が支配するとみなす視点)、<選ぶ民主主義> ('学生と貧困層は帝国の「民主」に干渉するな')、<ポストコロニアリズム、高度に次元で回復した民衆史> (民族の語彙で国家に囲まれた人々をユートピア化・実体化する言説。過大評価と過小評価の間を揺れるが、近代が自らの'優越性'を正当化するために対抗的に捏造した'劣等性'の言説)、なのである。

思想史というものは、認識学と倫理学倫理学がいかに互いに影響し合いながら発展していったかをみていく学だと言い切ってもそれほど間違いではないだろう。たとえば、ロールズの公正の正義論は、功利主義批判のときに必要なウィットゲンシュタイン的認識(批判)論をもっている。ウィットゲンシュタイン的認識(批判)論は、アートを定義するか(そもそも定義は不可能であるのか)をめぐる表象批判の論争を導いた。(実際にロンドンのテートのワークショップではこれにもとづいて展開されていたのを覚えている)。この英米系現代芸術論に反論していくのがまさにフランスのポスト構造主義であった、というふうに思想史の時間軸に沿って考えることができようか。思想史という名の<他と干渉し合う>プロセスの観察。思想史は、方法論的な自覚をもっている。日本思想史の場合は、ポスト構造主義の他に、カルチュアルスタディーズ、ポストコロニアリズムに規定されながら顕著な批判精神を発揮してきた。「方法としての日本思想史」は、自らを相対化するほどの批評性を自負した言葉である。が、今日敏感な知性からは、ついに日本思想史から「日本」の語を取り去らなけれなならないと嘆く声がきかれるようになった。つまり「日本」は危険なナショナリズム的な方向づけを包摂するに至ったが、このベクトルの基底のひとつにポストコロニアルな民衆史的日本思想の言説があり、まさに、これは子安氏が批判する日本イデオロギーの教説を擁護する言説のことである。
ポスト構造主義の知識人は、あとにエコロジー的視点を得て、(地球環境を成り立たせなくしてしまうほどの永遠の成長の夢にかられた) 資本主義の暴力的ともいえるほどの「発展」の必然性を分析していった。この点に関して、嘗てポスト構造主義の論客であったにもかかわらず、現在の柄谷の「帝国」論には、資本主義の必然性の分析が欠落しているという印象をもつ。21世紀のグローバル資本主義から起きてくる必然的な動乱を全部、'民族主義'という19世紀的語彙で枠づけてしまうことがどうして起きえようか?汪暉を読むと、ポストモダニズムの言説からマオイズム的な人民像にたいする民衆史的ノスタルジーをともなった、<ポストモダンのモダニズム的>現象を読み取ることもできる、と子安氏は感想を述べた。「帝国」論のほうは、あたかも、超自我と自我と無意識に対応した、中心と周辺に、亜周辺を新たに付け加えただけの)構造的に捉えた天皇的民衆像をアジアに投射している精神分析学的・人類学的言説への反動的な回帰ではないかとわたしは疑うのである。なににであれ、ナショナリズムを超えると期待される(?)、この代表的な日本知識人の'普遍主義'の言説は、しかし、その始まりからポストコロニアルな日本思想からの規定をもつかぎり初めから大きな限界があるといわざるを得ない。振り返ってみると、ポスト構造主義は、日本においては、(批評精神を失った) 80年代・90年代のポストモダニズム的消費社会論の内部に絡み取られていく危険性があった。たしかにポスト構造主義の武器であった(反)精神分析+フェミニズムは、民衆史のヴァリエーションであるポストコロニアリズムのナショナルな言説の方へに移動させられていったのである。しかし私がみるかぎりでは、ポスト構造主義は、そうした文化資本の言説の中に消滅しきったわけではないだろう。この<啓蒙的主体>批判の言説は、80年代に新たにフーコによって言いだされたカント的主体論によってまだ持続しているといえよう。このカント的主体論は、子安氏の「中国論」において、(一度死にきった)市民社会論からの再構成を迎えているのではないだろうか。

4
われわれの外部にある他者が、われわれが誰なのかを見てきたのである。つまり、われわれは誰であるかと問う知は、人類史的な外部の視点なくしては定立できない普遍主義的な知なのである。具体的な状況に即して語ると、東アジアの民族主義的対立という現状をいったいだれが望んだのだろうかとかんがえたときに、ポストコロニアルな民衆史的日本思想は民族のほかになにも知らないだろう。民族という大きな幻想。が、この点にかんして、子安氏が指摘するように、「われわれアジア市民はそれを望んだりはしない。国内危機を国際危機に転化させていったそれぞれの国家権力の担い手たちが望んだことだろう」という。つまり、ここでいわれるのは、あらためて、「われわれアジア市民」というカント的主体の構成の必要性のことであることは前述した。これにたいしては、ポストコロニアルな民衆史的日本思想は、人類史的な「われわれアジア市民」を、「民衆意識」によって根拠づけられなければ意味がない「大きなイデオロギー的役割」と批判してくるかもしれない。ふたたび、だが大切なのは、われわれアジア市民」という理念性を介在させなければ、われわれ自身が立ち行かなくなるということではないだろうか。小さな人間たちが自らの問題に向かって大きな人間を正すときにはじめて、「私たち」は自らのおかれた「現実」を相対化していくものなのではないか。それが「私たち」自身の思考する歴史だったのではなかったのではないか?そうして方法としての思想史の中心にあるのは、「民衆」でも人民でもない。中心にあるのは、グローバルデモクラシーとともにある普遍主義的な「知る」主体であるとわたしは思う。


5

'帝国と儒教と東アジア、東アジア問題を今どう考えるか ?'に示された子安氏の問題提起はつぎのようなものであった。子安氏の言葉をひく。

 いま中国の津々浦々に次ぎのような12の言葉が流布していると、朝日新聞の論説記者はいっている。それは「富強・民主・文明・和諧・自由・平等・公正・法治・愛国・敬業・誠信・友善」という12の言葉である。北京の中心部の交差点に立つ巨大な広告塔にも、そして内陸地方都市の銀行や商店の電光掲示板、さらにバスやタクシーの中にまで中国の「社会主義核心的価値観」を表現する12の標語があふれているというのである。この12の標語には中国の党=国家が忌避してきた近代的民主社会の諸価値も含まれている。
 中国の党中央は昨年の春、各大学に講義してはならない七つの主題を提示したという。それは「七不講」と呼ばれている。すなわち「(人権などの)普遍的価値」「報道の自由」「市民社会」「共産党の歴史的過ち」「司法の独立」などである。とすればあの12の標語における「民主」も「自由」も「平等」も、そして「公正」も「法治」も、近代的民主社会における〈普遍的価値〉—中国はこれを近代欧米社会における〈特殊的価値〉とするとは異なった、まさしく中国のいう〈社会主義的価値〉であることになる。中国の人びとは街に氾濫するこの12の標語を見ても、また例によってお上のキャンペーンだとして気にも留めない風であると記者はいっている。だが私は中国の街中に氾濫する12の標語の報道を聞いて、「これはすごいことだ!」とあらためて思わざるをえなかった。中国が従来批判し、その受容を拒否してきた欧米的近代社会における〈普遍的価値〉を、おのれの独自的価値系列に組み入れ、「社会主義核心的価値」として再構成し、再提示してしまう中国のふてぶてしい大国性に、私はあらためて「これはすごい」と感嘆せざるをえなかった。しかしこれに感嘆するとともに、私は香港における行政長官選挙をめぐる政治的事態の性格をも理解したのである。
 中国の全人代常務委員会が2017年に予定される香港行政長官の選挙をめぐって8月31日にした決定とは、香港市民に許されるのは〈社会主義的価値〉としての「民主」であり、「自由」だけだということである。市民に許されるのは、ただ限定された候補者についての投票行為だけだということである。そのことは「一国二制度」をいわれる自治的行政区香港が、〈社会主義的価値〉の共有体としてあらためて中国に〈一国的〉に、いいかえれば政治的制度、価値観において一多様体としてある香港が中国に〈帝国〉的に再統合されようとしていることを意味している。これは東アジア世界におけるわれわれの存立にかかわる重大な問題だと私は考えている。だが香港の〈帝国〉的再統合に、東アジアにおけるわれわれ日本人の存立にかかわる危機を感じ取っているものはほんの少数でしかない。香港における民主的、市民的権利の行方について強い危機意識をもって見つめている日本人はまことに少数である。香港の問題だけではない、今年の春の台湾における学生らによる立法院占拠という〈民主的台湾〉のための闘争に支援の手を差し伸べ、支援の言葉を届けようとしたものは日本にはほとんどいなかったのである。私が台北に駆けつけても、それはただ例外性を示すことにしかならなかった。
 これは中国本土における民主化運動についてもいえることである。中国の党=国家政府によって規制されることがなくとも、日本の〈進歩的〉知識人たち、ことに中国に関わりの深い学者・知識人・出版人たちはあたかも自主規制しているかのように口を喊とざすのである。いや彼らは自主規制するというよりも、民主化運動を抑圧し、言論を封殺する中国党政府の側の正当性をむしろ積極的に認めているように私には思われるのだ。中国本土における民主化運動だけではない、香港市民の民主的権利をめぐる抵抗闘争についても、台湾の学生たちによる台湾の民主的自立をかけた闘争についても、〈社会主義的価値〉の共有による〈帝国〉的統合を貫こうとする中国の党政府の側に彼らは正当性を認めているのではないか。これは当てこすりの非難ではない。東アジア市民の民主的自立のための闘争に、終始沈黙をもって対する現代日本の知識人たちの政治的態度から自ずから導かれる結論である。なお自らを〈社会主義〉国とする経済大国中国に常に寄り添うかのごとき日本の〈革新的〉知識人の中国党政府との親和的姿勢は東アジアにおいて、いや世界においても稀れなことだろう。私は中国の自治的行政区香港における市民の民主的権利を抑圧して行われようとする行政長官選挙は、〈社会主義的〉中国による香港の〈帝国〉的再統合ではないかといった。明・清朝中国の〈帝国〉的領域の正統的継承をいい、〈中華民族〉のより強大な復興をいう現代中国はすでに〈帝国〉を自認しているといえるだろう。香港の行政長官選挙をめぐる事態は、中国の〈帝国〉的現前を香港市民だけではない、東アジアのわれわれにまざまざと見せつける事態である。
 この〈帝国〉的に現前する現代中国を日本の知識人たちはいち早く承認しているように私には思われる。さきに『世界史の構造』(岩波書店、2010)で世界史に〈中華帝国〉の正当な位置を回復させた柄谷行人は、中国・清華大学での講義からなる新著『帝国の構造』(青土社、2014)で、〈帝国〉としての統合的支配の経験を中国のために歴史から語り出し、東アジア周辺・亜周辺地域における〈帝国〉体験をコリアと日本のために歴史から語り出している。この『帝国の構造』が東京の書店の店頭に大量に平積みされている光景を見て、「これは一体何なのか?」「何を意味するのか?」といった問いを繰り返し発せざるをえなかった。さらにこの書の翻訳本が、北京で、ソウルで、そして台北でやがて販売され、あるいはすでに販売されていることを思うと、私の疑問と困惑とは東アジアと等身大のものとなる。〈中国=帝国〉は東アジアですでに文書上にはっきりと現前しているのである。

このあと、子安氏は、宮嶋の「儒教モデル」による日本史認識のパラダイム転換を批判していく。'帝国と儒教と東アジア、東アジア問題を今どう考えるか ?'の最後に、〈方法としてのアジア〉再考についてこう書いた。

 〈アジア〉の可能性を〈方法〉概念をもっていったのは竹内好が初めである。またぞろ竹内かと人はいうかもしれない。私自身もすでに何度も竹内と彼がいう「方法としてのアジア」について論じている。だが竹内のいうこのテーゼを除いて、われわれにおける〈アジア問題〉の理論的再構成を助けるものは他にない。戦後日本から、われわれの負う歴史と置かれている現実と己れ自身の認識に立って〈アジア〉をいった例外的な言葉でこれはある。竹内がいう〈方法〉とは〈実体〉に対するものである。彼は1960年の講演でこういっている。「東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する、これが今の東対西という問題点になっている。・・・その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。それは何かというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としてはありうるのではないか。」(「方法としてのアジア」)
竹内はここで「方法として」ということ以上に何もいっていない。後に竹内はこの講演を彼の評論集に収録するに当たって補筆している。すなわち「方法としては」の後に「つまり主体形成の過程としては」という言葉を補っている。だがこの補正によって竹内の積極的な読み手たちが、アジア的変革を担う民族的主体の形成を通じてのヨーロッパ近代とその〈普遍的価値〉の練り直しのように解するならば、それは竹内が「方法としてのアジア」といったことと微妙に違う、新たな価値的な〈実体としてのアジア〉の形成をいうことになってしまうのではないか。すなわちアジア的主体による近代ヨーロッパの超克の方式になってしまうのではないか。そうなると竹内の〈方法としてのアジア〉とは、「社会主義的核心的価値」をいう現代中国の党=国家的戦略と同じものになってしまうだろう。これは溝口雄三がいう〈方法としての中国〉である。
溝口もまた竹内の〈方法としてアジア〉にならって〈方法としての中国〉をいった。だが溝口の〈方法としての中国〉とは、世界認識、歴史認識の基準としてのヨーロッパ的世界史を読み直す方法としての中国的近代の独自性の認識を意味している。したがって溝口の〈方法としての中国〉は〈実体としての独自的中国〉を生み出してしまうのである。だから私は竹内のテーゼへの民族主体の読み入れと、溝口の〈方法としての中国〉は同じだというのである。竹内がいう〈方法としてのアジア〉とは、ヨーロッパ近代が生み出しながら、近現代史の過程でその輝きを失わせている〈普遍的価値〉をアジアで包みかえし、その輝きを再びとりもどすことはアジアにできるだろうということである。この〈アジア〉とは、中心と周縁という関係性において己れを中心化させたり、もう一つの中心となろうとする帝国的〈アジア〉ではない。竹内がいうのは〈アジア〉が〈アジア〉であることで〈普遍的価値〉を高めていくことである。竹内の〈方法としてのアジア〉がいおうとするのは、アジアの多元的な世界が、その多元性を通じて人類の普遍的価値を充実させ、輝かしていく道である。

ここでいわれているのは、ほかならない、本稿のテーマである、開かれた人類史的21世紀の多元性の可能性についてである。21世紀の地球の座標は、互いに不断の闘争状態にある4つの基底(原理)をもつとわたしは予想する。すなわち、グローバル資本主義と帝国と国家とグローバルデモクラシーである。恐らくその一つの基底が他の基底を征服して21世紀の地球を独占することはなく、4つの基底が構成していくベクトルが、21世紀の地球を決定することになるのではないだろうか。二十一世紀は基本的には、グローバル資本主義とグローバルデモクラシーの間の対立が基本にある。この間の対立を調整するのが、国家とか帝国(EU,ロシア、アメリカ、中国)であるが、子安氏が繰り返し指摘している通り、一九九〇年代以降世界で起きている動乱で、グローバル資本主義に関係がないものはひとつもなく、したがって全部グローバルデモクラシーに関係あるものにちがいない。今日デモクラシーを訴えている人々は、時代遅れにも、マルクス主義の平等理念を捨て去ったコミュニズムによって、民族主義と烙印をおされているだけである。あるいはそう呼ばれているから市民たちは効果を狙ってそのようにふるまっているだけだ。国境を超えたデモクラシーとデモクラシーの連帯は、たとえばスコットランド国民投票の影響を、今後の台湾と香港の動きに与えていくことになるにちがいない。(大英帝国から独立したアイルランドを重要なモデルのひとつとする)スコットランドにおいてはもちろん、台湾と香港のどちらの場合も、グローバル時代のコミュニズムが強いてくる市場万能主義にたいする抵抗運動という側面をもつことはいうまでもない。そしてこれらの経済問題を中心とした運動が、民主主義の問題に発展していくのかという、天安門事件に関係した大きな流れが今後注目されている流れである。これにたいして、帝国の側は、(文革とはちがう)グローバルデモクラシーに対抗すべく、権威的な新儒教とかの普及を世界規模で国策的に展開している。この力関係を観察した子安氏は、「ソウルからの問いに答えて」のなかでこう言っている。

グローバル資本主義という現代世界のあり方は、転換すべき最終的段階にいたっているという多くの識者の認識を私も共有しています。これが「東アジア問題」を考えるときのマクロなレベルにおける私の認識・判断の最大の前提です。グローバル資本主義は一国的資本主義を超えて世界の地域的統合化、すなわち〈帝国〉的再分割を進めています。アメリカとEUと、そして旧社会主義国であるロシヤ、さらになお社会主義国を称している中国がグローバル資本主義世界における〈帝国〉として存立してきているのが、21世紀的世界の現状です。それが東アジア世界の現状でもあると私は考えています。グローバル資本主義が転換すべき最終段階であるということの最大の理由は、世界大で経済格差と社会分裂をもたらし、それをたえず拡大し、深化させていることにあります。人間の共同的生存条件を世界規模で失わせているのです。この社会分裂は国家的統合の危機であります。この国家的統合の危機はいつでも民族主義ナショナリズムを呼び起こすことになります。グローバル資本主義的世界で経済的躍進を遂げていった中国を始めとする東アジアの諸国が、21世紀の10年代に入って激しい民族主義的な抗争関係をとるにいたったことを、私はグローバル資本主義がもたらした国内的危機の深化と無縁に見ることはできません。

冒頭で述べたように、これらは全部、日本にかかわる問題である。日本の外部で起きているグローバルデモクラシーにかんする報道を十分に行わなければ、やはりそれはマスコミの信頼を決定的に失っていくことになることは明らかだ。安倍を起点とした集団的自衛権とTPPと愛国心の言説にたいして、デモクラシーの側に、グローバルな抵抗の運動がなければ、言い換えれば、国際的な連帯もなく一国的に孤立していれば、長期的には確実に、ブラックホールの中心としてあるアメリカの帝国の中心にむかって引き寄せれていく、閉じた未来しか約束されないだろう。このような知性もなんの感性もない孤立も、帝国のイデオロギーに属するものだとわたしはかんがえはじめている。 ここで書かなければならない
緊急の問題としては、日本と韓国の間に可能性としてグローバルデモクラシーがあるのだと信じなければ、人々は民族主義的対立を煽る両方の政府(+歴史修正主義)に引き込まれていくばかりだという問題がある。結局日韓のエスタブリッシュメントは両者ともネオリベの一部で、それぞれの国民の政府批判(経済政策)を避けるために、民族主義的対立を互いに利用している。両国の間に真に平和的な人間交際をつくっていくためには、もはや国家がなにもしてくれなければ、人々はなにができるかを問うときがきた。この点にかんして、EUも中国もそれらの内部はフリーマーケットなのに、日本人の帝国がグローバル資本主義を抑えこむという幻想が根強くある。この幻想に沿って、柄谷は帝国を正当化する言説すら展開しはじめたことはいままでのべてきた通りである。だが、繰り返すように、グローバル資本主義に抵抗するのは、帝国ではなく、オキュパイ運動以降の(イラク反戦もふくめた) グローバルデモクラシーにほかならない。竹内好が侮蔑した「ドレイ的日本」は、もし植民地をもたなかった近代日本は無に等しかったのかという問いを含む。方法としての<東アジア>。脱〈帝国〉化の非軍事的な平和主義的国家日本こそが、歴史的な〈負〉の遺産を負いながら、世界史にプラスの価値の徵を与えるグローバルデモクラシーの道を歩め!安倍体制の軍国主義に抵抗するためにそして普遍主義的多元世界の構築のために今後の根本的な議論をおこなう参考のために、子安氏の「ソウルからの問いに答えて」の二文を最後に示しておく。

アジア市民の連帯は人類的、人類史的な普遍主義の立場において始めて可能でしょう。私が最初にいったように、グローバル資本主義の転換すべき最終段階としての現代世界は人類的危機をあらゆるところに、戦争や原発問題だけではなく、われわれの社会生活から生活基盤にいたるあらゆるところに問題を顕在化させています。この危機が民族国家をこえたアジア市民・生活者の連帯を呼んでいるのだし、この連帯こそが危機的現代世界の転換をもたらす力にもなるはずです。具体的には日本国憲法の平和主義的原則の理想と現実について日韓の学生たちが共同討議することがあってもいいのではないでしょうか。その際、韓国の徴兵制の実際について日本の学生が知り、ともに考えることができればきわめて有益だろうと思います。それと原発問題は本質的に地球的問題であり、原発的エネルギー体制として国際的体制の問題であり、これが一国的問題としてあるかぎり、その停止も廃絶も不可能であると思われます。生活者のレベルでの問題の共有と廃絶に向けての運動の連帯が緊急に求められていることです。

私は台湾における〈儒教〉や〈東亜問題〉シンポの体験をたぐり寄せながら、〈東アジア〉をめぐって私に可能な言葉を求めてきた。私は〈東アジア〉をいうことは〈帝国〉の仮装であってはならない。〈東アジア儒教〉をいうことは、東アジアの〈多元的儒教世界〉を見出すことである。私は徳川儒教がコピーでも、まがい物でもないことを知っている。私は徳川儒教の豊穣な成果の認識を通じて、これを成立せしめた朱子学の普遍的意味を再発見しているのである。それは宮嶋のいう「儒教モデル」としての朱子学とは全く違う。私は伊藤仁斎を通して孔子という存在の本当の意味を再発見するのである。私が徳川日本の仁斎によって『論語』を読むということは、〈東アジア〉における、むしろ〈世界〉における『論語』あるいは〈孔子の学〉の普遍的な意味を再発見することであるのだ。

昭和思想史研究会の講義「中国問題」とは別の枠で、子安氏の'鬼神は人の言語を住処とする'と題した鬼神論講義は、"われわれ"と"かれら"を排他的に分け隔てる境界線を批判的に相対化していくための、言語論的問題意識を中心に展開された特別講義があった。近代国家の産物である靖国神社は、外部の視座を失った、単一視点に絡みとられた民衆史的語りによると、あたかも日本内部に自立的に実体的に実在してきたように語られてしまう。しかしそれは徳川期の日本思想が受容した中国の儒家言説であることを理解すれば、靖国問題は徹底的に言説の問題でることがみてとれる。だからこそ戦後憲法のわれわれはこの言説を相対化することができるのだ。子安氏の鬼神論講義はこのことを明らかにするものであった。それは、「一つの日本」という偏狭なナショナリズムを無効化していく、「複数の日本」という多孔性としての批判精神を発揮したことは特筆したい。

 

(追補)

アイルランドの独立が何を意味するかが切実に問われてくるのは寧ろ内戦を経た独立後でありました。Inventing Irelandとは文字通り(新興独立) 国家の発明を意味し、作家たちの想像力がこれに取り組んだのでした。これは、Inventing Japanのことを考えさせます。竹内好も、敗戦後の日本のあり方を問うたのです。この発明にかんしては、アイルランドの作家たちにおいて奇妙な規則が発明されました。作家達はアイルランド文学の父として(なんと、彼らの'敵'である、植民地主義のシンボル的存在だった)作家スペンサーを想定しました。これはアフリカ作家たちがコンラットをアフリカ文学父としたアンチーオィデプス的戦略とパラレルでありました。オリジナルなもの(父=起源)と同一化することの無意味さに訴えたというわけです。(これと比べることができるのは、近代を、音声優位の言語学とともに脱構築しようとした、漢字エクリチュールの時枝の漢字論でしょうか)。さて、竹内好が侮蔑した「ドレイ的日本」は、もし植民地をもたなかった近代日本は無に等しかったのかという問いを含みました。彼の決定的な発明は、方法としての<東アジア>にありました。脱〈帝国〉化の非軍事的な平和主義的国家日本こそが、歴史的な〈負〉の遺産を負いながら、世界史にプラスの価値の徵を与えると主張したのです。最後に、選挙の前に何をかんがえておくべきか?です。安倍の権威主義体制は、東アジア諸国の民族主義的対立の原因です。呆れたことに、このトラブルメーカーの安倍は対抗的に自らの軍国主義を拡大再生産して答えているのです。日中の間で、悪循環の恐怖、歴史修正主義軍国主義を解き放っています。そして現在「帝国」の言説が、竹内の方法としての<関係>の多様性を、全体主義の抽象的な平均に置き換えようとしているのです。