「秘密保護法」自身の「秘密」とはなにか?

 

「秘密保護法」自身の「秘密」

「秘密保護法」のいわれている「秘密」の意味とは、政府批判が「秘密漏えい」であるということです。しかし「秘密保護法」自身の「秘密」はそこにはありません。「秘密」が意味してくるのは、政府を正していく小さな人間たちの存在そのものを「秘密」にしてしまうということ、これです!「秘密保護法」によって、法の前にこの国を批判する人間は存在しなかったし、法の後にも存在することはないのである、というような隠ぺいは、いかにも全体主義のテクニックを好むと公言してはばからないこの国の政治家たちが依る国体イデオロギーの教説です。<絶対に国家は間違わない>、<国家がもたらした災害の全部にたいして民は自分自身を責めろ>、したがって<国の失敗のことは黙っていろ>。しかし戦前に再び戻ったようなこんな時代錯誤な国体イデオロギーの野蛮などは、集団的安全保障のアメリカにとってもただ無意味な迷惑な贈り物にちがいありませんが、怖いことに、<黙っていろ>の圧力はエスカレートしていく一方であります。相対化する批判的な視点をうしなわせてしまうほどの、こういう絶望的な圧力に巻き込まれないために、人間の喋る自由が抑圧されてくる方向とは異なる方向になるべく行きたい、それならばそれはどこなのかと自分に問うている次第であります。