亡命するエクリチュール

亡命するエクリチュール

ホホー、みんなあーお久しぶり!あれっ、落ち込んでいる亡命したいみなさんのために、亡命するエクリチュールのお話でーす。(なんのこっちゃ?) 正直わからないこともあり、ここまで言い切ってしまっていいのかという躊躇もあるニャリですけど、常のこととして無責任におもいきって書きますと、デリダエクリチュールの思考性についてかんがえるときは、ヨーロッパの場合には、ギリシャ語・ラテン語の基底があってこそ成り立つのと同様に、東アジアにおいては漢字の基底性が決定的だということはニャンとなくわかります。この漢字文化圏の内部から穴をあけていくような、ホー、代補性 (他のもの、といえるでしょうか)の痕跡として漢文エクリチュールが存在してきたとかんがえてみたいとおもうのであります。具体的には、ここでは、江戸思想の儒学者たちの存在を考えながら書いておりますが、現在の現代中国の<新儒教>の展開からみても、また日本の中国学研究(東アジア研究ですね)からみても、漢文エクリチュールで書いた江戸思想はいかにも本物ではなく、まがい物のコピーでしかないようなのです...ね。(畜生め!)しかしかえって、それだからこそ大切だとおもうわけです。とくに重要な点は、(漢字と仮名の)漢文エクリチュールで書いたこの時代の思想は、儒学的背景をもつ靖国的国体の近代概念を相対化する視点をもつことですね。文献学の伊藤仁斎でも、自然哲学の三浦梅園とか教育学の広瀬淡窓でもいいんですが、かれらには民族のせこい話は全然ないんですね。国家のことも身分制の制約のもとでかれらはあきらめていたようです。私の知る限り、亡命者のように、(近代国家のような形態の)国家の意義をどうでもいい。(だから講座派の近代がいうようには江戸時代全体に民族主義の前近代が支配していたというのは冗談か怪しい思い込みであります。) さて子安氏がご指摘するように漢文クリチュールの時代から、明治はもちろん、とくに大正・昭和を相対化してみるのは面白いだろうとおもうのですよ。なんといっても伊藤仁斎とカントは同時代の思想家ですし、(したがって啓蒙主義は単一ではないのですね、多様な差異がある)、驚くべきことに、福沢諭吉などは漢文エクリチュールヘーゲル左派ということになりますわね、ほんとよ。