<第三帝国>のまえに、また<大東亜共栄圏>のまえに、まず国家があったのである。逆ではない。

二人の下宿人

近代主義の「家」(国家)には二人の下宿人、「健全」ナショナリズムと「不良」ナショナリズムがいる。前者は大家(近代主義者)と仲良く食事をするが、後者は、15分の約束なのに一時間もシャワーを浴びている。いつまでも部屋からでてこない。窓から禁じられた煙草を投げ捨てる。俺の部屋だから立ち入るな!という('靖国参拝は俺のココロの問題だ')。ところでこのポイ投げ捨てはそもそも「家」がなければできなかった行為である。当たり前だ。すなわち、近代主義者がいうようには、家(国家)と「不良」ナショナリズムは無関係であるとはいえないのだ。国家が成立する前に、ファシズムヒトラー昭和天皇もでてくることはなかったのである。<第三帝国>のまえに、また<大東亜共栄圏>のまえに、まず国家があったのである。逆ではない。そもそも「健全」と「不良」の区別も怪しい。(「健全」な奴が一番危険だ!) 果たしてどういうファシズムが現れてくるのかは予言できないが、それが近代からしか起きてこないことだけはたしかだ。そして全体主義国家は、戦争と戦争経済に依存しはじめたらファシズムへと移行する必然性があったのだ。(私は現在の安倍自民党の国家'美しい日本'について考えながら語っている。ワールドキャピタリズムに対抗した全体主義国家は、21世紀にそのまま同じではあり得ない。柄谷がいう文化帝国主義的<帝国の構造>の地球分割が資本主義の問題を解決していくと信じろというのか?否、それはムリ無理)