精神の物を見る眼

精神の物を見る眼

ブッシュ以降、爆撃することがあたりまえとなりました。爆撃に慣れた、感覚が麻痺しきった、反証の精神も眠りこけたなかで、「人道」の言葉のなかに爆撃の雨が降っています。爆撃する大きな人間たちは、これから学校の「道徳」でなにを教えるつもりでしょうか?そもそもこの「教」という字に注意しなければならないときがありますね。(ほら、字のなかの右側に、従わないひとびとを丈(たけ)でうつ鞭があるのが見えませんか?)批判精神の自由とまでいかなくとも、憲法に書いてある、われわれのなかにある、精神の物をみる眼というのは、過去の人々ー戦争の悲惨に抗議しようとした人々ーから送られてきた力ではないかと思うのです。だから地球の裏側まで行く大きな人間たちに、あなたたちは本当のところ一体何をしたいのですか?と切に問いたいのです。というのは、大きな人間自身も自分たちがなにをしているのかわからないまま行動しているのかもしれませんからーしかしこれこそがこの前の戦争の悲惨の最大の原因だったのではなかったでしょうか?