白紙の本 - これから何が起きるか、それだけはいつもわかる

 

グローバル資本主義に巻き込まれる時代に次々に起きてきた、ダブリンの2003年イラク反戦デモとロンドンの2009年G20抗議デモ、東京の2009年反原発デモはまさしく、現場的に言って、「たったいま起きたことが何なのか、それが最後までわからない。これから何が起きるか、それだけはいつもわかる. On ne saura jamais ce qui vient de se passer, on va toujours savoir ce qui se passera.」(Deleuze&Guattari、「千の高原」より) のでした。「第二インター」以来の国家が社会主義を無理に規定し戦争を推進し、他方でノンセクトの自発性の運動を排除してきた無意味な歴史が終わりつつあるのではないか。それだけはわかります。グローバル資本主義を巻き返していくニューヨーク、台湾、香港...。多国籍企業と(柄谷が好む言い方で)世界宗教だけでなく、市民的「でもくらてぃあ」(小田実) の「ワイワイガヤガヤ」「ウロウロウヨウヨ」のアナキズムもまた、国家の「法」とはまったく異なったノモスをもっている、いやまだノモスですらない、これから一字一字書いていくしかない白紙の本だろうとおもいます。つまり、「(国家の)外部と内部は、相互に独立しているのではなく、たえざる相互作用の場において、共存しかつ競合している。この相互作用の場の一方が内部性として国家の内側に確定され、他方では国家の支配から逃れる、あるいは国家に対抗するものとして外部性が描き出されるのである」」(D&G 同書)