風刺画の問題 ー 宮崎駿の発言を読む

風刺画の問題 ー 宮崎駿の発言を読む

宮崎駿さんはこう語っています。「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは間違いだ。」しかしここで'文明'という言い方でなにを意味するでしょうか?かれがいう'崇拝するもの'は'文明'を前提としています。(文明の「後」に'崇拝するもの'が現れた。その逆ではない。だから) '文明'を前提とするものによっては、'文明'を明らかにすることはできません。ヴィジュアル的には宮崎の成熟の対極にあるのが、風刺画の(追い詰められた人間が石のかわりに)ヤジを飛ばすグロテスクな単純さ、とおもえます。そのフランスの風刺画で一体なにが起きたのかは正直わかりません。だけれども、なにが起きようとすることだけはわかるのです。つまりそれは、(国家の敵対的他者に対する) 戦争です (戦争の拡大を含めて。) だから風刺画についてはあまり語る言葉はなく、いまもそれが表現の自由なのかそうでないのかもはわかりません。むしろ戦争に対する危機感から語る言葉がたくさんありました。そして実際に、戦争が起きようとしているのです。ただしフランスの戦争ではありません。いまのところそれについてはきいていません。戦争する国は意外にも、日本。まさか、あえてその緊張した時期にイスラエルを訪ねた安倍によって可能性としてだけあった集団的自衛権の輸出、戦争を、国民の無視できない割合の軍国主義的共感を伴って現実化することになったとは、ほんとうに語る言葉がでてきません。世界にむけて、だれがこの陰険さを風刺するのでしょうか!?