安倍自民党のファシズムはいつ、始まったのか?

安倍自民党ファシズムはいつ、始まったのか?

それは大正時代からと考えることはできないでしょうか。大正時代というのは、日比谷公園焼き討ち事件から既に始まり、治安維持法と(暴徒化したマルチチュードの統制のための)普選法を経て、事実上昭和の満州事変で終わるのです。前後の時代的な脈略を失うことを恐れつつあえて、「(ファシズムを) 終わらせる」という主体の視点からいうと、大逆事件と大杉殺害のあとに大正デモクラシー>戦争ー>戦後民主主義ー>安倍自民党全体主義国家という連続的流れの全体をファシズムとして措定できます。「大逆事件」と大杉栄殺害の後に天皇主権下の形だけの議会制民主主義が成り立ったが、陸軍ファシズムで形骸化してしまい、それは最終的に安倍自民党に至って完全に骨抜きになったという指摘もなされています。つまり、明治末から今日まで途切れることなく国体的権威主義が存在してきたのであり、大正デモクラシーといっても戦後民主主義といっても、安倍自民党に完成をみる国体的権威主義の様態でしかなかったと考えてみたら、現在のこの安倍政権も歴史的な視点でとらえる必要があるでしょう。株価みたいに無意味な数字の呈示に陥る内閣支持率の評価に、この歴史的な視点を介入させることは意味があります。安倍政権憲法で禁止した首相の靖国公式参拝で、東アジアの平和共存の願いを犠牲にして、戦前の天皇ファシズムの連続性を回復しようとしていて、これをジャーナリズムと文化人とアカデミズムの一部が翼賛的に支持していますね。「翼賛的に」という意味は「体系的に」という意味。「体系的」という意味は、どこの方向に逃げても取り囲まれしまったということ。日本の左翼は「ファシズムが来るぞ、始まるぞ」と心配して呼びかけるのが常ですが、始まりに関しては柄谷行人が言う通り安心していい。なぜなら日本はもうすでにファシズムだから。ずっと。たしかに、寧ろ現在考えなけれなればならないことは、いかにファシズムを終わらせるか。これだけです!