'八紘一宇'発言を考える

 

どうも大衆的リアクションで終わる気配ですが、それにしても、安倍をはじめ、侵略も無かったとまで公に言おうとする歴史修正主義者の発言を原因として、こんなに東アジア諸国が緊張しているいま、これ以上の最悪な言葉があるだろうかという思いですね。腹が立ちます。'全世界を一つの家に'と響きはいいが、騙されてはなりませんよ。'八紘一宇'がヤバイのは、悪霊だからでなく、これからの日本の軍事的目標となる地理的表象を存在論的に指示しているからです。(ここで'存在論的'と書いたのは、最初から意味を拒むような開き直りをゆるす言葉に属しているから) '八紘一宇'という国家から行う死をかけた生命の有機的全体の集中を指示する言説にたいして、つまりはTPPの小さな政府の戦争経済を自立化させようとする集団的自衛権イデオロギーに対して、別の言説で抵抗できないものでしょうか。思考が足りない自分に苛立ちます...。ただこのままの形では使えないかもしれませんが、例えば、参照できるものとして、'器官なき身体'といわれる、非有機体の原子論的な分散を指示するポスト構造主義の言説があったのです。思想史的なこのことを言及することも無駄ではないとおもうのです。実はすでに'太平洋戦争'という言い方が、日本が問題を起こしたアジアとの戦争を隠ぺいしています。アメリカにたいしてだけに責任をとればいいとおもっているような、八紘一宇自民党政治家たちのもとでは、いつまでも戦争は終わらせることができません。こういう公の発言によって、‘全世界を一つの家'にするどころか、平和共存を望む東アジアと世界のなかで孤立していくのではないでしょうか。ああ、間に合うのか、なんとか、思考は、東アジアの市民のグローバルデモクラシーの言説へと行く