言説の関係が地層の中のように反転すること

言説の関係が地層の中のように反転すること

丸山真男の「心の中のxx」でいわれる意味は、彼が勝手に想定した日本文化の「基底」に一致するとき、そのXXを実体化してしまい、それを取り除けなくなるという危険性を丸山はどれほど念頭に置いていたでしょうか、疑問におもいます。例えばよく知られるように、心のなかの、このxxには、'天皇'が入ります。そうして丸山は批判者として戦前の天皇ファシズムの問題を彼なりに考えたことは疑いないことですし、戦後の一定時期にワクチンとして有効だったかもしれませんが、しかし天皇ファシズムにたいする批判のつもりだったのに、現在、かれがいう「心のなかの天皇」の言説が、<靖国は古代日本にあった>の右翼的言説をかえって補強してしまうことが起きてきたのではないでしょうか。その証拠に、最悪なことに、公式参拝する小泉元首相や安倍現首相は、永久に、誰にも干渉できないかれらの心の中の靖国のことを堂々と言いはじめたじゃありませんか?(この点にかんしては、'積極的平和主義'が例ですが、安倍という政治家は巧みに、左翼的言説を正反対の意味で自らに都合よく有利に取り込んでしまう狡猾な政治家です。) かれを取り巻く、'売れている' 右翼文化人たちはそれがいかに日本人の心を豊かにするものであるか、まっとうなものかという無責任な説を合唱していますね。しかしそれを認めてしまったら、A級戦犯を祀る靖国神社を、つまり祀る国家=戦う国家を、永久に、取り除くことができなくなります。また靖国神社が、戦争の顕彰施設であることをやめて、他の民間の普通の神社として再出発するという可能性も失わせるものです。もちろん、自民党政治家たちの「心のなかの靖国」の外にいる、平和共存を望むアジアの人々の信頼を失います。ここでヴィットゲンシュタインの言葉が喚起されます。価値ある「世界の意味はその外にある」「うちにはどんな価値もない、もしあるならば価値では無かったのだ」。