だれが「吉田松陰」を作ったか ー 洗脳マシーン、 '国民的膨張'の昭和ファシズムの「松陰」像

だれが「吉田松陰」を作ったか
ー洗脳マシーン、 '国民的膨張'の昭和ファシズムの「松陰」像

私は五年間テレビがないから見たことがないが、観ている人たちの話をきくと、NHK大河ドラマが依っているのは明らかに、昭和のファシズム的「松陰」像のようである。NHK会長に対する同じぐらいの怒りをもって、昭和ファシズムの言説をソフトに再び推し進めていくこの番組の制作者への批判があってもいいが、昭和ファシズムが拵えた「吉田松陰」の復活を問題にしている者がどれほどいるだろうか?ちなみに大杉栄吉田松陰に言及するとき明治の革命的「松陰」像があった。これにたいして、徳富蘇峰の「吉田松陰」は、昭和ファシズム的「松陰」像の発明であった。('国運興隆'の兆候だと自負している「吉田松陰」改訂版はファシズム期の昭和9年に出ている。)
MEMO (wikiより)。ジャーナリスト・評論家としての徳富蘇峰は、大正デモクラシーの隆盛に対し、外に「帝国主義」、内に「平民主義」、両者を統合する「皇室中心主義」を唱え、また、国民皆兵主義の基盤として普通選挙制実現を肯定的にとらえている。1942年には日本文学報国会を設立してみずから会長に就任、同年12月には内閣情報局指導のもと大日本言論報国会が設立されて、会長に選ばれた。内閣情報局職員の立会いのもと、特に戦争に協力的な言論人が会員として選ばれた。蘇峰の考え方の変遷は、この言葉に要約されている。'維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり'。