2009年のアラン・チューリングを読む

2009年のアラン・チューリングを読む

四年間ロンドンにいましたからイギリスについてそれなりに色々な見方をもっていますけれど、しかしかえってコンパクトにまとまったイメージがなくて困っている次第です。が、実はイギリス人も何が英国かということについてかれらのまとまった考えがないのではないかとおもうのですね、フランス人が1789年から始まったフランスを考えるようには。ここで'イギリス人'と書きましたが、そもそもだれがイギリス人かという問題がありますしね。1907年は、大英帝国のもとで植民地代表を招いた会議は、白人植民地の自治領化に伴い、大英帝国会議と改称した年ですが、ここから、文学者ウルフや哲学者ラッセルや経済学者ケインズとかのブルームズベリー・グループ(1907年から30年)が活動を展開しました。私が経験した労働党のマルチカルチュアリズムの時代は、なんとか、このブルームズベリー・グループに、イギリス独自のリベラルな時代精神を読み取ろうとする言説があることはありましたが、イギリス・ロマン主義という危うい言説に対抗した以上のものではなかったようにもおもえました。2009年はイギリスを出た...年ですが、一番最後にみたテレビ番組がチューリングについての特集でした。この年に、まだギリギリ労働党政権のときに、同性愛者だったことを理由に処罰したチューリングに謝罪したのですね。チューリングについてかれが人間の善を信じていて何日もひとりで街頭に立って訴えていたこともあったというまったく知らなかったエピソードを紹介していたことで、かれに関心を持ち始めました。正確に言うと、2009年のイギリスがいかにチューリングを語るのか、そうしていかにイギリスがイギリス自身を語るのかということに関心をもったというべきでしょうか。イギリスで戦争反対を言う立場は、中心はヒューマニズムを論拠に反対する道徳的な立場。つぎにマジョリティーに説得力をもつようにみえたのが、戦費は財政の無駄という経済効率と合理主義的規律に訴える論拠。それから、現在上映されているかれの自伝的映画のなかに引かれるチューリングの言葉によくあらわれていますが、「暴力はふるう時は気持ちがいいけれど、その後には空虚感に苛まれる。」(身体の知覚を伴う痛い空虚感だとおもいますが) という内容の、エピキュリアン的に、自分を保つというのでしょうか、そういう自身の感情を論拠にする立場ですね。これは推測ですが、もしかしたら、こういうことはチューリングから言いはじめたのかも。私はこれは唯物論的な主張に属するものではないかとおもいます。'物質はいかに思考できるか'という唯物論的なものは、エンゲルスがスコトスDuns Scotusの原点に見出したイギリスに顕著な(ちょっと言葉的に矛盾していますがスピリチュアルな)、唯物論的伝統ですね。2009年のアラン・チューリングの読みとはなにか?いかに、消滅しきった大英帝国を無理やり復活させようとしてきたサッチャーリズムの労働党(ブレアー)の魂を終わらせるかという唯物論的な覚醒を私は読みました。結局、やはりというか、イギリスについて語る努力は挫折してしまうことになりましたが、2015年の現在、<帝国>の言説にたいして批判している私の関心は、<イギリスとはなにか?>から、<唯物論とはなにか?>へと移ってきました。唯物論というのは、魂は消滅したのに、なぜ魂が永続するように語るのか?とか、消滅した魂はいかに、言葉を住処としていくのかを考える思想ですが、このような思想は、<帝国>の問題点をよくとらえることができるようにおもわれます。