憲法記念日に小田実ならばなにを言ったか?

憲法記念日小田実ならばなにを言ったか?

「われわれはすぐ、国家、国家と優先するけど、市民を殺す国家なんて捨てていい、向こうへ寝返ってかまへんとアルキビアデスはいうわけです。私はそうやって国家と市民は平等だと思って生きているけど、皆さんも、そうやって生きてくださいよ」(小田実)
アルキビアデスの名は、フーコの「主体の解釈学」(L'herméneutique du sujet)でぼんやりと知っていました。彼の言葉を真剣に考えることになったのは、3・11以降の小田を偲ぶ講演会においてであります。さて古代ギリシャのアルキビアデス自身の亡命の経験から語っていますが、ここで言われている事柄は、自身のことを配慮する共同体の自立性ですね。これに関して、憲法のことを考えると、憲法前文から読みすすめて9条を経て25条に至るとき、憲法は自らを、共同体の存立の条件への破壊的侵入を防ぐ免疫システムのような働きとして規定していることが読み取れますが、こうした'戦争したがる国家'、'貧困問題は無いふりをする国家' は、常に一体となって、この免疫システムを壊そうとするのですね。アルキビアデスはこうしたことを見抜いていたのではないでしょうか。これからこの問題を考えていかなければなりません。現在、アメリカ<帝国>の内部で、'戦争したがる国家'、'貧困問題は存在しないふりをする国家'に自らを委ねることができない人々が地球規模の市民の共同体をいかにつくるか?そこでわれわれはいかに安心して人間的尊厳を生きることができるか?まずは近傍の東アジア諸国の人々とともに。このことがリアルに問われているとおもいます。