映画と詩人

 

現実には映画は生産されているし、また自分も次々に新作を発表しているとしても、ゴダールにとっては、映画というものはもう終わってしまったもの、消滅しきったものである。よみがえることはない。だから「映画史」では、かつて存在したとする映画の名が廃墟の地にある墓たちの名のように呈示されている。映画のひとつひとつの名がなにをあらわしていたかはそれほどはっきりとわからなくなっている。映画の栄光を語ってみせるシナリオほど空しいものはなく、人間はそんなことをしても、過去の時間と現在の時間との間に連続性を回復できないのだ。人間に反発した、外部からやってきた詩人だけが、嘗て時間を横断した映画の足跡を見つけ出しそれらを辿ることができる。連続性に依ることなく、彷徨う映像の魂のひとつひとつに正しい名を与えることになるだろう。