柄谷行人「可能なるコミュニズム」(1999)を読む

柄谷行人「可能なるコミュニズム」(1999)を読む

ここで二冊を比較してみようと思います。「不均衡動学の理論」はバブル期の80年代に書かれました。「トランスクリティーク」結論が収められている「可能なるコミュニズム」の方は、バブル崩壊後のグローバル資本主義の90年代に書かれたのですね。この違いを認識したうえで、柄谷によって新しく言われるようになったことは何かと考えています。「貨幣とは、逆説に満ち満ちた存在である、と岩井克人が言うところで、(その貨幣とは、ほかならない、差異のことなのだから)、差異とは逆説に満ち満ちた存在といわなければならない、と、柄谷行人は反駁を許さないほどに非常に抽象化して推し進めたことが読めます。社会的な交換過程に対して立ちはだかるありとあらゆる人間的、空間的、時間的な制限を打ち破る差異というものから柄谷は徹底的に考えはじめたように読めるのです。「資本制経済は重商主義自由主義帝国主義、後期資本主義という歴史的段階によって区別される。しかし、そこで何か根本的な変化があったように考えるのは間違っている。(...) 資本にとって剰...余価値が「物」から得られようと「情報」から得られようと何の違いもない。産業資本主義の主要な領域が「情報産業」に移行しようと、資本の性質に何の変化もない。そもそも、サイバネティックスの創始者ロバートウイナーによれば、情報とは「差異」にほかならないのである」。そうして80年代に経済学的に「交換過程」といわれていたものが、90年後半には、非常に思弁的に、純粋に理念的に構成されてくる言説の内部に包摂されてしまうのです。「マルクスの関心が古典派とは逆に、流通過程に向けられたことを再度強調しておく」と柄谷がいうとき、ここで言及されている「流通過程」は、「流通過程」以上の意味をもたらされていることに注意したいと思います。岩井ならば、効率制と安定制の二律背反を解決するものとして資本主義の中核に(資本主義そのものの崩壊を避ける)「公平に倫理的なもの」(貨幣賃金の硬直制を担保する経済の外部にある制度的な存在)を指さすところに、柄谷の場合は、「可能なるコミュニズム」といわれる理念的に構成された「統整原理」を指さします。ここに、差異を生産するシステムそれ自身の崩壊を避けるためにどうしてもなくてはならないという交換様式「X」が措定されます。「トランスクリティーク」の影響下に、「可能なるコミュニズム」の後に続く、「世界史の構造」「帝国の構造」では、グローバル資本主義の絶えざる差異化と安定制の二律背反を解決するものとして「「帝国」のアイデンティティかのように語られる「世界宗教」のXとしての?意義が強調されてくることになります。これは、ある意味で、グローバル資本主義の分割である、「帝国の構造」は、「文化と両義性」(1975)の山口昌男にみられた自己同一的二項対立の言説(天皇制的構造論)の近代主義がわれわれの前に再び現れたというものです。つまり政治を非政治化してしまうという文化論的還元化の危険性が再び現れたということです。ただし山口との無視できない違いもあります。なんといっても柄谷を読むとき、彼が見出した「帝国」に対抗する他者の存在をどうしても考えることになりますから。柄谷が言うようには、グローバル資本主義の後期近代の段階が他の段階と比べて意味が無いわけではありません。おそらく現在それは反近代に関係した何かが誕生しようとしているのではないでしょうか。事件性としての思考は、柄谷のポスト社会主義の理論的前衛としての「帝国の構造」にたいする批判から出てくるものです。他からは出てきません。そして、ここから、子安宣邦「帝国か民主か」(2015)の人類史的な読みが可能になってくるとおもわれます。ここで、柄谷が一生懸命再建しようとするヘーゲル的19世紀、20世紀に戻るアナクロニズムの努力を無意味とみなす、グローバルデモクラシーの事件としての意味が多様性の開かれた方向に向ってふたたびはじめて問われることになりました。