ファシズム前夜はどんな光景なのか?

ファシズム前夜はどんな光景なのか?

日本だけでなくアメリカも、過去のヨーロッパのファシズム前夜を喚起するという憂慮の声がきかれます。ファシストの心の中心から洗脳してくるその手口に、非政治化(depoliticization)、教説化(deep indoctrination)、包摂化(comformist intelligentsias) という三つがありますが、その中で顕著に進行中のものは、政治を非政治化してしまう文化論的な還元です。<美しい日本とはなにかですって?言葉で議論しないでください、政治立ち入り禁止!>。しかしこれをその通りにみとめてしまうと、ここから、議会制民主主義の中核にある対話の自由が崩されることになります。ていきます。トランプの誰に対して何を約束しているのかが曖昧な演説の危険性と比べられるのは、安倍応援団の憲法改定の政治団体が神道を習俗化することで国家神道を事実上復活させようとしているという危険性です。ここに、何が指さされるのかという問題を考えたいのです。ファシズムを自覚なく擁護する日本会議の文化人・作家たちが指さすのは、靖国神社の文化としてのアイデンティティーが定位する限定された空間です。これに対して、われわれはその空間がいわば救済神学として、政治を非政治化していくような限定のない空間になっていくことを主張します。またグローバル資本主義の分割である「帝国」の文化統制として「世界宗教」的なものの意義が柄谷において主張されるのをみるとき、ギリギリというか、非常に危険な、政治を非政治化してしまう文化論的な還元をまざまざとみる思いであります。