「論語」の世界 No. 6

論語」の世界 No. 6

 

原初のテクストを読むということは、二千年なり二千五百年後のわれわれが読むことは根本的にありえない。「論語」も注釈の痕跡を通してしか読めない。だが、合理的にみえる文献学の近代はなんというか、古ければ古いほど読みの正しさが大きくなるとしているのは、なんだろうか?起源としての唯一究極的に正しいものが存在しこれに接近しているはずだと思い込むというある種の幻想、不合理性を前提にしていないだろうか。