原初的テクストとはなにか No.1

  • 原初的テクストとはなにか No.1

  • 原初的テクストというのは、こういうようなことを、高いところから躊躇なく、言うのです。「これから、二千年後に出会ったあなたたちのために、究極的なことをわたしは言います」。「一体それは何でしょうか?」。「あなたたちはわたしを読むことができません。あなたたちの側に存在しないこのわたしをそのままにたたえなさい、これが究極的なことです。」。唖然としてしまいそうですけど、まあ、言われていることについて検討すると、たしかに教典が成り立ったときから、すでに、そう遠くない過去に言われた原初の言葉がなんの行為を指示していたかがわからなくなっていたくらいですからね、二千年後のわれわれにはもう...。(サルトルならば究極的なことは存在しないと結論するに十分でしょう。) いまも昔も、そもそも、自由のために行動するとき、依拠できるような読み解くべき何かの「原理」が予めあるわけではありません。古えの言葉をたたえるという点で一見共通点がありますが、原初的テクストは、原理主義とは根本的に異なり、依るべき過去を読む出すことが不可能ですし、したがって過去によって現在を革新するといっても、そもそも現在のために翻訳できるような「原理」も「起源」もないのです。だからこうなったら、原初的テクストと共に、思考が破れて停止しまわないように、言葉の圏から言葉の圏へと歩んでいくだけです。と、二千年前と現在の人間の行為のために書かれた言葉は、原初性において投射された同時的一点に存在するのではないですか