蓮舫氏という名の野党指導者に対する、事実上の屈辱

1、究極的に価値あるものとは、偶然によってはかられるものじゃないでしょうね。たまたまどこの国で生まれたとか、生まれなかったという事実は、偶然に属する事柄です。

2、究極的に価値あるものとは、そんな偶然的事実ではなく、むしろ共同体の人々と何を作り出すかという意志に存するとおもうのです。

3、人間相互の活動を助けようとする民主主義の普遍主義を妨害するならば、どの国に生まれたことにするという国籍法のこだわりは、無理があり、経験知を生かしているといえるでしょうか。

4、現実にこの国の国籍の問題にマイノリティーの人々が苦しめられてきた経験を彼らの立場から考えるという他者尊重と多様性の大原則が大切ではないでしょうか。

5、蓮舫氏に対しては、ファシズム前夜ということがいわれる日本の場合は、単に、党首の資格条件という手続きな問題がでてきているのでしょうか?疑問です。

6、排除したいというヘートスピーチの意味を論理的に読むのが無意味なように、排除したいという「二重国籍」の意味を実定的に読むのは無意味です。(罵る連中の言葉から敢えて意味をとれば、お前は非国民とかそんな意味でしょう。)

7、歴史から学ぶことは、ラベル貼りによって、(排除すべき)他者を作り出す手法がナチスの手法だったということ。大袈裟といわれても、どんな立場からであれ、蓮舫氏という名の野党指導者に対する事実上の屈辱にたいしては、それだけでわれわれは脅威に感じてしまうほどになりました。