「エコノミスト誌」の風刺画を読む ー China is struggling to keep control over its version of the past

  • エコノミスト誌」の風刺画を読む ー China is struggling to keep control over its version of the past

  • 天安門事件広場前の抗議の前にあらわれた、巨大な本(旗?)の戦車は、なにか、「ユリシーズ」のテレマコス挿話のなかに描かれた外部を拒絶した堅固なマーテル塔みたいな、あるいは、馬にまたがった高慢なドン・キホーテのように描かれているようにおもいました。記事を読むと、「歴史」を守らないと国家が亡ぶという危機感を現在の中国共産党がもっているのですが(安倍自民党と同じ類の危機感)、だがこの「歴史」は、民衆が言論の自由の新聞で読む現在進行形の歴史とはズレていることを皮肉っています。人びとは自分たちがどんな時代に生きているのかと行動の意味を検証するために新聞を読みます。経験知を言語化し知識を再構成するプロセスですね。ところが、巨大な本の戦車のほうは、本の正しさ(そこには中国は社会主義であると書いてある?)を確認するために、目の前に展開する現実を読み解くだけです。だれがこの本を読むか?とくに、ソビエトという名の共産主義の崩壊の<後>に生きる、中国という名の官僚資本主義は、自分たちのアイデンティティー(社会主義?)を考えることになりました。官僚資本主義の戦車にとって、本に書いてあることと(天安門前の)現実の間にギャップが不可避的に生じますが、そのときは、現実のほうを変えてしまえ!というわけです。官僚資本主義の守護者である党を批判する言論活動を社会主義に反する資本主義とみなし、これを囲い込んで消去してしさえすれば、本に書いてあることに矛盾が起きないということになりますが、それでも、無事、一党支配のもとで資本主義を推進する役割と、かつ社会主義を守るという自分たちのアイデンティティーを守れるでしょうか?しかしこの両立は、武力によってしか維持できないということは明らかです。問題は、他者を消去するこの歴史が終わるのではなく、むしろ現在、見えなくされたところで、カリスマのもとで反復されようと心配されていること、天安門事件よりも遥かに残酷に、文革よりも遥かに野蛮に。厄介なのは、ヘイトスピーチを行う安倍体制が中国だけでなく東アジア全体の歴史修正主義という権威主義体制を推進させていること、そして後者の民族主義の言説が前者の民族主義の言説を増幅させてしまうという配置です。エスカレートしていくこの悪循環を終わらせるためには、東アジアの人類の視点にたったグローバル・デモクラシーの理念をもつことをはじめるしかありません...

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