時枝国語学について

時枝国語学では、漢字を借り物とみるナショナルな観念に従属せずに、不可避の他者とみる可能性があった。思想史的に言って、この可能性はソシュール言語学から自立できた以上の意味をもっていた。漢字と仮名を切り離すべきではないから、漢字を排した形で再び仮名の側において無理に統合すれば、自己同一的包摂の観念を助詞に投射させてしまう。国語学は深まるが、このような投射によって、思想は他者性の獲得から離れてしまうことになるということが考えられる。