彫刻の肉体

仏像でもギリシャ像でも共通だと思うが、面というのは肉体を喚起する凹凸を演出するが、覆い隠した内部の個物たちを包摂してしまう。ところが空間は線の流れにおいて再構成されていれば、隙間から、其れらは表に現われるだろう、海面からランダムに現われる岩石のように。詳しくは知らないが、多分和辻はこのことを岡倉から学んだ。永遠の相は変化において支えられると。問題となってくるのは、線的再構成は外部を世界の中心にしているかという点にあると思われる。そうでなければ包摂してくる偶像を破壊したつもりでも、再び包摂する線の偶像を作り直してしまう。